大明(引用48:天命下り、殷を討つ)

大明だいめい



明明在下めいめいざいか 赫赫在上かくかくざいじょう

天難忱斯てんなんしんし 不易維王ふえきいおう

天位殷適てんいいんてき 使不挾四方しふきょうしほう

 天下を広くお照らしになり、

 天上にて徳をお示しになる。

 天とはまこと保ち難きもの。

 王たるのなんと易からざること。

 天は殷に王位を与えてこそいたものの、

 ついに四方の寧撫を損なった。


摯仲氏任しちゅうしじん 自彼殷商じかいんしょう

來嫁于周らいかうしゅう 曰嬪于京えつひんうきょう

乃及王季しきゅうおうき 維德之行いとくしこう

大任有身だいじんゆうしん 生此文王せいしぶんおう

 摯国の任氏の次女は、殷の諸侯の娘。

 しかし縁有り、周の王季、

 すなわち文王のお父上に嫁ぐため、

 周の都城にまでお出ましになった。

 そして二人は契りを交わし、

 ついに任氏は、文王をお宿しになり、

 お産みになられたのだ。


維此文王いしぶんおう 小心翼翼しょうしんよくよく

昭事上帝しょうじじょうてい 聿懷多福いつかいたふく

厥德不回くつとくふかい 以受方國いじゅほうこく

 それが文王。万事を慎まれるお方。

 天帝への敬愛尽きせず、

 多くの福を追い求められた。

 文王が徳に違うことはなく、

 四方の国々の統治を

 引き受けられるようになった。


天監在下てんかんざいか 有命既集ゆうめいきしゅう

文王初載ぶんおうしょさい 天作之合てんさくしごう

在洽之陽ざいこうしよう 在渭之涘ざいいしし

文王嘉止ぶんおうかし 大邦有子だいほうゆうし

 天は天下への思し召しを下され、

 文王に天命の存在を示された。

 また文王の良き配偶者を賜られた。

 彼女の故郷は洽水の北、渭水のほとり。

 文王はお喜びになった。

 彼の国に、そなたがおったのか、と。


大邦有子だいほうゆうし 俔天之妹けんてんしまい

文定厥祥ぶんていくつしょう 親迎于渭しんげいうい

造舟為梁ぞうしゅういりょう 不顧其光ふこきこう

 莘国は姒氏の娘。

 天帝の妹であるかのごとき美しさ。

 文王との縁談がめでたくまとまると、

 文王は自ら渭水のほとりにまで

 迎えに出られた。

 そして舟を並べて浮橋とし、

 その川を渡られた。

 その礼の明らかなること、

 まことここに示したとおりである。


有命自天ゆうめいじてん 命此文王めいしぶんおう 于周于京うしゅううきょう

纘女維莘さんじょいしん 長子維行ちょうしいこう 篤生武王とくせいぶおう

保右命爾ほうめいじ 燮伐大商しょうばつだいしょう

 いよいよ天命は文王のもとに降られ、

 その余光は周の都にも及ぶ。

 そして姒氏は任氏の

 正后としての役割を継ぎ、

 そして、ついに武王をお産みになった。

 天は武王をも引き続きお守りになり、

 ついに大いなる殷を征伐すべく

 命をお下しになった。


殷商之旅いんしょうしりょ 其會如林きかいじょりん

矢于牧野しうぼくや 維予侯興いよこうこう

上帝臨女じょうていりんじょ 無貳爾心むじじしん

 殷の大軍は、林が動くかの如き様子。

 牧野の一戦にあたり、武王は誓われる。

 ここに予は決起し、民を興さん。

 天帝は汝らを照覧しておられる。

 汝らよ、天命に背かれるなかれ。


牧野洋洋ぼくやようよう 檀車煌煌だんしゃこうこう 駟騵彭彭しげんほうほう

維師尚父いししょうふ 時維鷹揚じいおうよう 涼彼武王りょうかぶおう

肆伐大商しばつだいしょう 會朝清明かいちょうせいめい

 広々とした牧野に、

 戦車が見事に輝く。

 たてがみ黒く、腹白き、栗毛の馬が

 四頭並び、戦車を引く。

 その勢い盛んであり、屈強である。

 軍を率いるは太公望。

 さながら鷹が羽ばたかんかと

 するがごときの鋭さを示す。

 その武勇が、大いに武王を助けた。

 そうして大いなる殷の討伐に成功し、

 天下が清明になったのである。




○大雅 大明


偉大なる周王国! 文王に降った天命が武王を生み、ついに殷を討った! ……を、実にどストレートに歌い上げる詩であるな。まぁ、周で編まれた経典なのであるから当然なのであるが。ところで伝世史料は牧野の戦いを大会戦とするが、当詩にてやけに「大商」を強調するあたりには違和感を覚ざるをえぬ。近日この分野で多くの著述をなされておられる佐藤信弥氏の記述によれば、現在牧野の戦いは周軍による電撃戦の勝利であった可能性が高い、とのことである。悪い言い方をすれば不意打ち、である。おやおや……。




■天命保ちがたし

文王に引き続き、当詩でもこのテーマが出てくる。それだけ殷王朝を他山の石として見ねばならぬ、としたのであろうな。……というか、「滅ぼした国は悪であるので、悪の倣いになってはならぬ」ところを強調し過ぎではないか?


・漢書72 貢禹

 故『詩』曰:「天難諶斯,不易惟王;」「上帝臨女,毋貳爾心。」「當仁不讓」,獨可以聖心參諸天地,揆之往古,不可與臣下議也。

・後漢書44 胡廣

 當令縣於日月,固於金石,遺則百王,施之萬世。詩云:『天難諶斯,不易惟王。』可不慎與!

・後漢93 評

 天難諶斯,是以五、三迄於來今,各有改作,不通用。




■財貨で徳は買えねぇから


左伝 襄公24-2

詩云.樂只君子.邦家之基.有令德也.夫上帝臨女.無貳爾心.有令名也.


范宣子という人物が春秋晋の宰相になると、晋への献上物請求がどんどんと増えていったという。これを見かねた鄭の簡公は諌めの手紙を送った。財貨をいくら求めたところで晋公の徳は高まらんで、むしろ痩せ細るやで、それで謀反でも起こさせようもんならお国ガッタガタやで、君子が徳に満ちてればみんなハッピーなんやで、だから南山有台では「ハッピーな君子こそが国の基礎」って言うし、「天帝のご意思に背かないように」って大明で言ってるんやで、といった内容である。この手紙を受け、范宣子はごめんやでしたそうである。




■地をゆくなら馬だろJK


後漢書103 五行一

行天者莫若龍,行地者莫如馬。『詩』云:「四牡騤騤,載是常服。」「檀車煌煌,四牡彭彭。」


後漢霊帝が宮中を移動する時、ロバに乗ることを好んだという。これに対して霊帝アホかとばかりにツッコミを入れるのが五行志である。天を行くなら龍、地を行くなら馬だろ、だから詩経の小雅六月にだって「四頭立ての馬車を引く馬も元気」とあるし、大明にも「戦車がきらめき、馬も盛ん」ってあるんじゃねえか、と主張するのである。では牛にしよう(名案)。




■小心翼々?

現代日本に於いて、小心翼々といえば「気が小さく、いつもなにかに怯えているさま」とされる。えっ文王を称える詩で、細かな配慮が行き届く、みたいな句をそう言い換えちゃうの……当然だが史書引用においては細かなところにまで気を配る、の用法である。これがどこで逆転するのかは、興味深いテーマであるな。


・左伝 昭公26-12

 若德之穢.禳之何損.詩曰.惟此文王.小心翼翼.昭事上帝.聿懷多福.厥德不回.以受方國.君無違德.方國將至.何患於彗.

・漢書56 董仲舒

 故盡小者大,慎微者著。詩云:「惟此文王,小心翼翼。」

・後漢40.2 班固下

 昔姬有素雉、朱烏、玄秬、黃咛之事耳,君臣動色,左右相趨,濟濟翼翼,峨峨如也。

・後漢5 安帝

 唯長安侯祜質性忠孝,小心翼翼,能通「詩」「論」,篤學樂古,仁惠愛下。

・三國志8 公孫淵

 淵小心翼翼,恪恭於位,勤事奉上,可謂勉矣。

・三國志29 管輅

 今君侯位重山岳,勢若雷電,而懷德者鮮,畏威者眾,殆非小心翼翼多福之仁。

・晋書37 司馬虓

 司空越,公族之望,並忠國愛主,小心翼翼,宜幹機事,委以朝政。

・宋書53 評

 是以小心翼翼,可祗事於上帝,嗇夫喋喋,終不離於虎圈。

・魏書21.1 元禧

 周文王小心翼翼,聿懷多福。




■鷹の揚がるがごとき


ここで語られる「鷹揚」もまた、明らかに現代日本の用法とは違う。外敵を打ち払うための俊敏なる動きのさまを語っておるのがわかる。どうも日本に入ってきた時に、おおらかなさまを意味する「大様」と合流し、乗っ取ってしまったようである。

ちなみにここでは多くの引用を省略しておる。というのも

・宋書39 百官上

 鷹揚將軍,漢建安中,魏武以曹洪居之。

と、魏の時代に、よりにもよって当句を引用した将軍号が出来、以降の国にはこの句を冠した将軍がたくさん現れるのである。そんなん構っておれるか、面倒くさい。


・漢書99.1 王莽上

『詩』云「惟師尚父,時惟鷹揚,亮彼武王」,孔子曰「敏則有功」,公之謂矣。

・後漢18 評

 宮、俊休休,是亦鷹揚。

・後漢23 竇憲

 鷹揚之校,螭虎之士,爰該六師,既南單于、東烏桓、西戎氐羌侯王君長之群,驍騎三萬。

・後漢51 陳龜

 臣無文武之才,而忝鷹揚之任

・後漢57 劉陶

 腢小競進,秉國之位,鷹揚天下

・後漢74.1 袁紹

 幕府董統鷹揚,埽夷凶逆

・後漢79.2 謝該

 今尚父鷹揚,方叔翰飛,王師電鷙,群凶破殄

・後漢80.1 杜篤

 遂命票騎,勤任衞靑,勇惟鷹揚,軍如流星

・三國志6 沮授

 幕府昔統鷹揚,掃夷凶逆。

・三國志6 評

 表跨蹈漢南,紹鷹揚河朔,然皆外寬內忌,好謀無決,有才而不能用

・三國志19 曹植

 昔仲宣獨步於漢南,孔璋鷹揚於河朔

・三國志25 高堂隆

 此魏室之大異也,宜防鷹揚之臣於蕭牆之內。

・三國志28 毌丘儉

 想公侯不使程嬰、臼擅名於前代,而使大魏獨無鷹揚之士與?

・三國志42 郤正

 侃侃庶政,冉、季之治也,鷹揚鷙騰,伊、望之事也

・三國志47 孫權

 故叔旦有夾輔之勳,太公有鷹揚之功,並啟土宇,並受備物,所以表章元功,殊異賢哲也。

・三國志47 孫權

 故周公有夾輔之勞,太師有鷹揚之功,幷啓土宇,兼受備物。

・晋書22 楽上

 神武鷹揚,大化咸熙。廊開皇衢,用成帝基。

・晋書23 楽下

 吳寇叛,蜀虜強。交誓盟,連遐荒。宣赫怒,奮鷹揚。震乾威,曜電光。

・晋書28 五行中

 高堂隆曰:「此魏室之大異,宜防鷹揚之臣于蕭牆之內。」

・晋書86 張重華

 臣守任西荒,山川悠遠,大誓六軍,不及聽受之末;猛將鷹揚,不豫告成之次

・晋書94 郭瑀

 昔傳說龍翔殷朝,尚父鷹揚周室

・宋書20 楽二

 神武鷹揚,大化咸熙。廓開皇衢,用成帝基。

・宋書22 楽四

 白虎司辰,蒼隼時鷹揚。鷹揚猶周尚父,從天以殺伐。

・宋書32 五行三

 高堂隆曰:「此魏室之大異,宜防鷹揚之臣於蕭牆之內。」

・宋書48 毛脩之

 但以方仗威靈,要須綜攝,乞解金紫寵私之榮,賜以鷹揚折衝之號。

・宋書95 索虜

 宣播政化,鷹揚萬里,雖盡節奉命,未能令上化下布,而下情上達也。

・魏書99 沮渠蒙遜99

 其以太傅行征西大將軍,仗鉞秉旄,鷹揚河右,遠祛王略,懷柔荒隅,




■浮き橋で妻を迎えるのは

文王が浮き橋を用いて任氏を出迎えた故事は、「君子の素晴らしきふるまい」として示されておるようである。いや素直に舟で迎えに行きーやと思ってしまうのはアウトなのであろうかな。


・後漢40.2 班固下

 辟雍詩:乃流辟雍,辟雍湯湯;聖皇馬止,造舟為梁。

・晋書51 摯虞

 嚴嚴南金,業業餘皇。雄劍班朝,造舟為梁。聖明有造,實代天工。

・晋書34 杜預

 議者以爲殷周所都、歴聖賢而不作者、必不可立故也。預曰「『造舟爲梁』、則河橋之謂也。」及橋成、帝從百僚臨會、舉觴屬預曰「非君、此橋不立也。」




■殷商之旅

要は「やべー敵」である。ただ段灼は「天下はひとりのためではなくみんなのためにあるんでしょうが」という、強敵とは別のニュアンスを語るためにこの句を引用しておるのが伺える。


・晋書48 段灼

 蓋亦天下之天下,非一人之天下也。「殷商之旅,其會如林,矢於牧野,維予侯興。」

・晋書55 潘尼

 四嶽三塗,九州之阻。彭蠡、洞庭,殷商之旅。

・魏書24 大明 商頌玄鳥

 故詩云『殷商之旅』,又云『天命玄鳥,降而生商,宅殷土茫茫』。此其義也。昔漢高祖以漢王定三秦,滅強楚,故遂以漢為號。




毛詩正義

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