伐檀(引用5:君主の怠惰を監視)

伐檀ばつだん



坎坎伐檀兮かんかんばつだんけい 寘之河之干兮ししがしかんけい

河水清且漣猗かすいせいしょれんい

不稼不穡ふかふしょう 胡取禾こしゅか 三百廛兮さんびゃくてんけい

不狩不獵ふしゅふりょう 胡瞻爾庭こせんじてい 有縣貆兮ゆうけんかんけい

彼君子兮かくんしけい 不素餐兮ふそとうけい

 かんかんとムクの木を切り、

 材木として川岸近くに置く。

 普段濁っているはずの

 黄河の水が、突然澄んだ。

 さざ波が水面を走る。

 植え刈りもせずに、

 何故三百件分の稲を取るのか。

 狩猟したわけでもないのに、

 何故ムジナが庭先にかかるのか。

 かの君子であれば、

 無駄食いなぞせぬであろうに。


坎坎伐輻兮かんかんばつふくけい 寘之河之側兮ししがしそくけい

河水清且直猗かすいせいしょちょくい

不稼不穡ふかふしょう 胡取禾こしゅか 三百億兮さんびゃくおくけい

不狩不獵ふしゅふりょう 胡瞻爾庭こせんじてい 有縣特兮ゆうけんとくけい

彼君子兮かくんしけい 不素食兮ふそしょくけい

 かんかんとムクの木で車軸を作る。

 できたものを川岸近くに置く。

 普段濁っているはずの

 黄河の水が、突然澄んだ。

 ひたひたと波が寄せる。

 植え刈りもせずに、

 何故三十万件分の稲を取るのか。

 狩猟したわけでもないのに、

 何故けだものが庭先にかかるのか。

 かの君子であれば、

 無駄食いなぞせぬであろうに。


坎坎伐輪兮かんかんばつりんけい 寘之河之漘兮ししがししんけい

河水清且淪猗かすいしょりんい

不稼不穡ふかふしょう 胡取禾こしゅか 三百囷兮さんびゃくきんけい

不狩不獵ふしゅふりょう 胡瞻爾庭こせんじてい 有縣鶉兮ゆうけんじゅんけい

彼君子兮かくんしけい 不素飧兮ふそそんけい

 かんかんとムクで車輪を作った。

 出来上がったものを川岸近くに置く。

 普段濁っているはずの

 黄河の水が、突然澄んだ。

 さざ波が水面を走る。

 植え刈りもせずに、

 何故蔵三百件分の稲を取るのか。

 狩猟したわけでもないのに、

 何故ウズラが庭先にかかるのか。

 かの君子であれば、

 無駄食いなぞせぬであろうに。




〇国風 魏風 伐檀


ムクの木は非常に頑丈であるため、車のような、重いものを載せるもののために用いられるのだという。黄河の水が澄み渡るのは、数百年に一度の奇跡。そう言ったものを目の当たりとしつつ、仕立て上げられた車で運ぶのは、農民猟民が汗水たらして手に入れた労働の成果。さて、領主さま、いま目前でめでたい奇跡が起こっているとは申せ、これらをまさか無駄飯ぐらいのためには使ってくださいますまいな、というのは、ずいぶんと皮肉や批判の風合いが込められているようにも思われるが、さて。




〇儒家センセー のたまわく


国君が貧しき国にあって貪欲であることを批判するのである! 君子は自らの力によって得たもの以外は食さぬが本来の姿である! なれどいま、この君主は領民より多くの職を巻き上げておる! これが果たしてよき君主の姿であると言えようか!




■褒賞授与は慎重に


三國志3 明帝

魚豢曰:爲上者不虛授,處下者不虛受,然後外無伐檀之歎,內無尸素之刺,雍熙之美著,太平之律顯矣。


上役はホイホイと褒美を与えず、下の者はホイホイと受け取らないようにする。そうすることによって空疎な褒賞がなくなり、当詩で歌われるような無意味な乱獲も無くなろう、と語る。無論こう言う事が書かれるのは、明帝の御世にいた佞臣・孔桂が見事にこの逆を行って所領を荒らしたがゆえである。




曹植そうしょく、兄上陛下に恨み言


三國志巻19

君無虛授,臣無虛受;虛授謂之謬舉,虛受謂之屍祿,詩之『素餐』所由作也。


曹植そうしょくの初代皇帝、曹丕そうひの弟。いちど雍丘ようきゅうから浚儀しゅんぎに転封されたが、翌年には雍丘に戻された。「おい兄ちゃんどういうことだよ意味わかんねーよ」と言い募る訴状中で語るのが上記である。君主が考えなしにポンポン領地を配るのも、臣下がそれをポンポン受け取るのもおかしいでしょうよ、そんなことやればミスもトラブルも起こるし、そしたら臣下がうまく録を受け取ることもできなくなるんですけど。なあ兄ちゃん、それって「伐檀」の詩で「無駄飯ぐらいダメ絶対」と詩人が批判してること、まさにそのものなんじゃないのかい、というわけである。




簡文帝かんぶんてい陛下、人材を求める


晋書巻9 簡文帝本紀

使善無不達,惡無不聞,令詩人元素餐之刺,而吾獲虛心之求焉


晋の簡文帝陛下は仰る。我が元に良き者の評判が届かぬことが、悪しき者の悪評が届かぬことがなきようにせよ、と。詩人は我が元に「素餐の刺」を届けよ、即ち怠惰を常に監視せよ。かくして我が元に有為な人材が集まるのである。「元」字をどう扱うかが難解であるが、おおよそではこのような感じであろう。なお簡文帝陛下は即位一年もせずに亡くなり、「有為の人材」は次代の孝武帝こうぶていが引き継ぐこととなる。



■晋武帝への忠告


晋書48 段灼

朝廷詠康哉之歌,山藪無伐檀之人,此固天下所視望者也。


段灼ははじめ鄧艾の属官として働いたが、その後武帝に多くの進言をなし、重んじられた人物である。しかし出身が卑しかったため昇進は叶わず、やがて田舎に引っ込むこととなった。その際、武帝に「くれぐれも安逸にうつつを抜かさないでくださいね」と釘を刺す上表をしたためておる。さすれば「朝廷では康哉の歌(尚書に乗せられている、世の平和を称賛する歌)」が歌われ、むやみやたらと領民から収奪するようなものもあらわれまい、と説くのである。上表本文はすさまじい長さであるが、およそフラグとして成立しているからこその採用なのであろう。




■賢王はよく見ていらっしゃった


晋書68 紀瞻伝

先王身下白屋,搜揚仄陋,使山無扶蘇之才,野無『伐檀』之詠。


かの陸機と政治に関する議論をなした折の発言。陸機が提示した「聖王は常に賢才を求めた。なぜなのであろうか?」というテーマに対する答えの一節である。賢王は粗末な居室に留まり、市井の賤しきものに至るまで賢才を探し、掬い上げた。故に「扶蘇」詩に歌うようなものも蔓延らず、当詩に歌われるような無様な政も行われなかった、と語るのである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%94#%E3%80%8A%E4%BC%90%E6%AA%80%E3%80%8B

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る