靈臺(引用28:文王の穏やかな日常)

靈臺れいたい



經始靈臺けいしれいたい 經之營之けいしえいし

庶民攻之しょみんこうし 不日成之ふじつせいし

經始勿亟けいしこつき 庶民子來しょみんしらい

 文王が霊台、すなわち祭壇の

 建立をご命じになられた。

 命に応じ民らが従事、

 日を跨がずして祭壇は完成した。

 急ぎのご下命ではない。

 しかし皆が文王の徳を慕い集まり、

 想定以上の早さとなったのだ。


王在靈囿おうざいれいゆう 麀鹿攸伏ゆうろくゆうふく

麀鹿濯濯ゆうろくたくたく 白鳥翯翯はくちょうかくかく

王在靈沼おうざいれいしょう 於牣魚躍おじんぎょやく

 庭園におわす文王のおそばに、

 牝鹿が寝転んでいた。

 牝鹿はよく肥えてつややか、

 そばを飛ぶ白鳥はのびのびとしている。

 庭園にある泉に文王が移られれば、

 数多なす魚たちが喜びに跳ね回る。


虡業維樅きょぎょういしょう 賁鼓維鏞ふんこいよう

於論鼓鐘おろんこしょう 於樂辟廱おがくひよう

 美しき楽器の演奏台には、

 太鼓や鐘が掛かっている。

 さあ、音楽を語ろう。

 ああ、文王の教えに浴する喜びよ。


於論鼓鐘おろんこしょう 於樂辟廱おがくひよう

鼉鼓逢逢たこほうほう 朦瞍奏公もうしゅそうこう

 さあ、音楽を語ろう。

 ああ、文王の教えに浴する喜びよ。

 太鼓の音がやわらかに鳴り、

 盲目の音楽家は見事な演奏をなす。




○大雅 靈臺


文王の宮廷の庭園における穏やかな一コマ。ただしその様子もまた民に慕われるところである、と歌われる。あらゆる王の振るまいが民に愛される所以となる、とすべきであろうか。全く、王とは息が詰まるものであるな。



■霊台

この言葉はわりと一般名詞的になっておる。なのでちょくちょく皇帝らが霊台に上ったり、霊台守備の任務に就くものが現れたりする。そこを取り上げ始めるときりがないので、当詩に絡むようなものをピックアップさせていただいた。


・漢書12 平帝

 羲和劉歆等四人使治明堂、辟廱,令漢與文王靈臺、周公作洛同符。

・漢書87.1 揚雄上

 奢雲夢,侈孟諸,非章華,是靈臺。

・漢書99.1 王莽上

 莽奏起明堂、辟雍、靈臺,為學者築舍萬區,作市、常滿倉,制度甚盛。

 詩之靈臺,書之作雒,鎬京之制,商邑之度,於今復興。

・三國志2 曹丕

 禹立建鼓於朝,而備訴訟也;湯有總街之廷,以觀民非也;武王有靈臺之囿,而賢者進也

・宋書29 符瑞下

 晨晞永風,夕漱甘露。思樂靈臺,不遐有固。

・宋書95 索虜

 夫古有分土,而無分民,德之休明,四方繈負。昔周道方隆,靈臺初構,民之附化,八十萬家。

・魏書27 穆亮

 朕遠覽前王,無不興造。故有周創業,經建靈臺;洪漢受終,未央是作。




■民は徳を慕えば喜んで


「子來」で、文王のごとく徳高き振る舞いをなしておれば、民の力をいざ借りたいときに誰もが喜んでやってこよう、そう、子が親を慕うように、と語られる。そのため諫言で「頼むから徳のある振る舞いをしてくれ、でなきゃ人がついてこねーのも当たり前だろ」とも用いられるのである。


・左伝 昭公9-10

 詩曰.經始勿亟.庶民子來.焉用速成.其以勦民也.

・後漢85 劉陶

 是故靈台有子來之人,武旅有鳧藻之士,皆舉合時宜,動順人道也。

・三國志25 高堂隆

 臣聞文王作豐,經始勿亟,百姓子來,不日而成。靈沼、靈囿,與民共之。

・三國志28 鍾會

 比年以來,曾無寧歲,征夫勤瘁,難以當子來之民。

・晋書6 元帝

 朕應天符,創基江表,兆庶宅心,繈負子來。

・晋書7 成帝

 有司屢陳,朝會逼狹,遂作斯宮,子來之勞,不日而成。

・晋書37 司馬遜

 子來之義、人思自百、不命而至、眾過數千。

・晋書44 盧志

 今殿下總率三軍,應期電發,子來之眾,不召自至。

・晋書66 陶侃

 侃招攜以禮,懷遠以德,子來之眾,前後累至。

・晋書102 劉聡

 伏聞詔旨,將營皇儀,中宮新立,誠臣等樂為子來者也。

・晋書130 赫連勃勃

 土苞上壤,地跨勝形。庶人子來,不日而成。

・宋書2 武帝中

 今荊、雍義徒,不召而集,子來之眾,其會如林。

・魏書19.2 元澄

 今茲區宇初構,又東作方興,正是子來百堵之日,農夫肆力之秋,宜寬彼逋誅,惠此民庶。

・魏書41 源子恭

 愚謂召民經始,必有子來之歌;興造勿亟,將致不日之美。

・魏書62 高道悦

 子來之誠,本期營起,今乃修繕舟檝,更為非務,公私回惶,僉深怪愕。

・魏書78 張普恵

 遷都之構,庶方子來,汎澤所沾,降及陪皂。




■みずみずしき魚を見る


漢書57.2 司馬相如下

濯濯之麟,游彼靈畤。


漢代の大文人、司馬相如。彼が最晩年に作った漢王朝を讃える詩の一節である。当詩において濯濯は鹿のほうに用いられておる形容句であるが、下句にも「霊」の字があることから、漢書に注を付した顔師古は当詩にイマジネーションを得た表現なのであろう、としている。




■成帝陛下遊びすぎです


漢書87.1 揚雄上

帝將惟田于靈之囿,開北垠,受不周之制,以奉終始顓頊玄冥之統。


漢の大文人のひとり、揚雄が成帝の猟狂いをいさめるためにものした「校獵賦」の一節である。周の文王が開いたような庭園、すなわち靈囿で遊ぶのはいいがアンタ周の文王の業を継ぎきってねーだろ、そんなことして「顓頊」「玄冥」と言った殺戮を司る神にでもなる気かよ、と諫めたそうである。え、えげつないな。しかし成帝の狩り狂いは止まらず、その後も民の獲物すら奪いかねぬ勢いで続けたそうである。




■曲水の宴


魏書19.2 元澄

高祖曰:「此池中亦有嘉魚。」澄曰:「此所謂『魚在在藻,有頒其首』。」高祖曰:「且取『王在靈沼,於牣魚躍』。」


拓跋燾に皇太子として立てられ、大いに期待をかけられるも非業の死を遂げた拓跋晃。その、孫である。孝文帝が洛陽遷都をなした後、洛陽で曲水の宴を開いたという。その折のやり取りである。曲水の宴は、その名の通り池から引いた川に面しながら詩を読む会であるが、その場にて孝文帝が「嘉魚がいるな」、たくさんの賓客に恵まれたな、と言うと、元澄は小雅魚藻という「王が安らぐ詩」を持ち出し、さらに孝文帝は大雅霊台という「民が王の徳に帰属する」詩を持ち出す。要は「魚」字を用いてポエムバトルを決めているわけである。




■魏書108.4 礼志四

案詩云『鍾鼓既設』,『鼓鍾伐鼛』,又云『於論鼓鍾,於樂辟雍』。言則相連,豈非樂乎?


詩経において「鐘が鳴る」ことを述べた内容を挙げている。しかしこの議論がなされているのは「葬儀でどんな音楽を流すべきであるか?」であり、正直内容はえらく込み入っていてよくわからぬのだが、どうも最終的には「葬儀で音楽流すと喪主がキツいしやめておいた方がいんじゃね?」となったようである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%85%AD#%E3%80%8A%E9%9D%88%E5%8F%B0%E3%80%8B

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