木瓜(恩に報いる)

木瓜ぼくか 引用3件

婚礼 祝い歌 プレゼント 縁 斉桓公



投我以木瓜とうがじぼくか 報之以瓊琚ほうしいけいきょ

匪報也ひほうや 永以為好也えいじいこうや

 木瓜をくださったお礼に

 宝玉を送りたい。

 お礼と言うほどではないが、

 長らくのよしみを通じたい。


投我以木桃とうがひぼくとう 報之以瓊瑤ほうしいけいよう

匪報也ひほうや 永以為好也えいじいこうや

 木桃をくださったお礼に

 宝玉を送りたい。

 お礼と言うほどではないが、

 長らくのよしみを通じたい。


投我以木李とうがじぼくり 報之以瓊玖ほうしいけいきゅう

匪報也ひほうや 永以為好也えいじいこうや

 木李をくださったお礼に

 宝玉を送りたい。

 お礼と言うほどではないが、

 長らくのよしみを通じたい。



○国風 衛風 木瓜

ひもじい時に果物をくださった、そのお礼に厚く報いたい、という内容である。完全に婚礼の祝い唄であるな。



○儒家センセー のたまわく

「美齊桓公也。衛國有狄人之敗,出處於漕,齊桓公救而封之,遺之車馬器服焉。衛人思之,欲厚報之,而作是詩也。」

この詩は斉の桓公、かの春秋五覇の一を讃えたる歌である! というのも桓公は衛の国が一度戦火に没し滅んで漕の地に逃れたときに、手厚く物資援助をなしたのである! 衛国人はこの援助に委託感激し、かれを大いに讃えたという!



○崔浩先生、にっこり

……そう、なのであるな☆ この詩はだいぶ評価が割れておって、朱子学では男女の嫁入り歌とはじめ認識しておったが、すぐにその一つ下の弟子が、いややっぱ違うんじゃねーの? とも言いだしておる(朱熹と輔広)。要はこの詩は、なにがなんだかよくわからんけど恩に報いるのは大切だよね(にこっ☆)あたりで理解を止めておいた方が心の健康によろしいのである。



■衛風を交わす

左伝 昭公2

自齊聘於衞。衞侯享之。北宮文子賦淇澳。宣子賦木瓜。


晋の韓宣子が魯の昭公就任を祝ったあと斉を経て衛に訪れた。この時衛公が開催した歓待の宴で、衛の太夫である北宮文子が衛風のはじめの詩である淇澳にて韓宣子の徳を讃えれば、韓宣子は当詩を歌いその心遣いに感謝したそうである。ここで衛風つながりが生じておるのにはやはり何らかの含意を拾えるのであろうが、まぁどのようなつながりであるかはとんとわからぬ。



■島夷ぶっ殺すが恩返しやねん

魏書71 夏侯道遷

臣往日歸誠,誓盡心力,超蒙榮奬,灰殞匪報。


夏侯道遷は梁武帝蕭衍の元から北魏に帰順した武将であり、譙国人と言うことなので三国志に出てくる夏侯氏ともつながりのある人物である。当時の北魏帝より大任抜擢の知らせが届いたあとの返報でクッソ長い上奏をしたため、上記はその末文近くなのであるが、印象としては「陛下より賜ったご恩をまだまだお返しし切れておれませぬ」と言った感じになるであろうか。匪報のたった二文字でもだいぶ当詩のメンタリティを持ち込めるものだと驚きを禁じ得ぬ。



■ごますりポエム、炸裂

晋書55 潘尼

如彼和肆,莫匪瓊瑤;如彼儀鳳,樂我雲韶。瓊瑤誰剖?四門洞開;雲韶奚樂?神人允諧。

潘尼は西晋屈指の大文人、潘岳の甥っ子である。その潘尼が太子舎人となったときに『釋奠頌』、祭祀の奉貢物について歌い上げたという賦の一節となる。この辺りを拾えばおおよそ「陛下と太子のお宮には、宝石がごーろごろ! あれっ違ったね(スットボケ)、名臣たちじゃあーん!」的な内容であり、要はごますり歌である。いや晋書、そんなもんは文選にでも突っ込んでおけ。史書に載せるな。



毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%89#%E3%80%8A%E6%9C%A8%E7%93%9C%E3%80%8B


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