下泉(引用1:明主の出現を願う)

下泉かせん



冽彼下泉れつかかせん 浸彼苞稂しんかほうろう

愾我寤嘆がいがごたん 念彼周京ねんかしゅうきょう

 冷たい沢の水が流れ、

 群生するイナグサを水に浸す。

 目覚めては慨嘆する。

 ああ、かの周の都よ、と。


冽彼下泉れつかかせん 浸彼苞蕭しんかほうしょう

愾我寤嘆がいがごたん 念彼京周ねんかきょうしゅう

 冷たい沢の水が流れ、

 群生するヨモギを水に浸す。

 目覚めては慨嘆する。

 ああ、かの周の都よ、と。


冽彼下泉れつかかせん 浸彼苞蓍しんかほうしょ

愾無寤歎がいむごたん 念彼京師ねんかきょうし

 冷たい沢の水が流れ、

 群生するメドグサを水に浸す。

 目覚めては慨嘆する。

 ああ、かの栄えある都よ、と。


芃芃黍苗ほうほうしょびゅう 陰雨膏之いんうこうし

四國有王しこくゆうおう 郇伯勞之じゅんはくろうし

 おいしげるキビの苗を、

 しとど降る雨が濡らす。

 王が国々を良く治め、

 いにしえの君子、郇伯が民を労う。

 そんな時代もあったのだ。




○国風 曹風 下泉


周の都=今でいう洛陽は、曹の国よりほど近い。そこでは大いなる栄華が築き上げられているというのに、我が国はどうだ、そう嘆いているようである。


○儒家センセー のたまわく


曹国は常に外部よりの圧迫にさらされ、国内に明主なき状態が長く続いていた! 故に国人らは明主の出現を思い、嘆いたのである!




■外より中でしょーがよ


晋書69 劉波

百姓懷浮游之歎,『下泉』興周京之思。


東晋末期、淝水の戦ごろに活躍した人物である。淝水の戦いの前哨戦である苻堅の襄陽侵攻においては援軍として派遣されたのだが、持たされた兵力に対しあまりにも敵軍が強かったため躊躇、結果襄陽は陥落。ここで一度解職されているのだが、淝水の戦いののちには「淮水北岸を制圧してね」なる任務を任ぜられようとしている。淝水は淮水南岸、つまり晋の領地とも言い難いところに打って出ろ、と言われた形である。それに対して「あほですかその命令」とばかりに訴え出た文書の中の一文が上記。でかい戦乱によって国がぐちゃくちゃだってのにもかかわらず外征を起こそうとか、その前に国内を見てくださいよ、民は浮游=蜉蝣の詩に描かれるがごときふわついたふるまいに嘆き、また当詩に描かれる「京」すなわち建康に戻りたい、という思いを抱いているんですよ、と諫めた。なお劉波はこの上奏文をしたためた後、亡くなっている。




毛詩正義


https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%B8%83#%E3%80%8A%E4%B8%8B%E6%B3%89%E3%80%8B

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