鴻雁之什(こうがんのじゅう)

鴻雁(引用7:臣民の苦労を思う王)

鴻雁こうがん



鴻雁于飛こうがんうひ 肅肅其羽しゅくしゅくきう

之子于征ししうせい 劬勞于野くろううや

爰及矜人えんきゅうきょうじん 哀此鰥寡あいしかんか

 カリが翼をはためかせ、飛ぶ。

 カリのごとく、兵は野を遠征する。

 王は彼らの存在を気にかけ、

 その過酷な定めをあわれまれる。


鴻雁于飛こうがんうひ 集于中澤しゅううちゅうたく

之子于垣ししうえん 百堵皆作ひゃくとかいさく

雖則劬勞すいそくくろう 其究安宅ききゅうあんたく

 空飛ぶカリは、沢に集う。

 カリのごとく、兵らは集い、

 百近くの防護柵を建設する。

 今は苦労を掛けさせるも、

 やがては自宅にて安らげるよう。


鴻雁于飛こうがんうひ 哀鳴嗷嗷あいめいごうごう

維此哲人いしてつじん 謂我劬勞せいがくろう

維彼愚人いかぐじん 謂我宣驕せいがせんきょう

 空飛ぶカリの鳴き声は悲痛なもの。 

 ああ、あの賢人は、

 我らが苦しみを知るだろう。

 ああ、あの愚物たちは、

 この歌を聴き、

 我らが傲慢であると思うのだろうか。




○小雅 鴻雁


出征して、軍役につく兵たちの苦労をしのぶ歌であるな。「劬勞」句は他詩にも見え、こういうものを見ていると国風のボキャブラリーを小雅大雅で再編する手法は普通なのだろうな、とも感ぜられる。




■元帝陛下も、晩節がねぇ……


晋書6 元帝 評

中宗失馭強臣,自亡齊斧,兩京胡羯,風埃相望。雖復『六月』之駕無聞,而『鴻雁』之歌方遠,享國無幾,哀哉!


東晋を興した元帝司馬睿は、いわば中興の祖である。しかしその手腕は琅邪王氏に頼りきりであり、その権勢をどうにかしようとしたところ琅邪の王敦に反乱を受け、屈服させられ、失意のうちに死んだ。『六月』に語られる成果もあげられない、さりとて当詩に語られるようなメンタリティも守り切れなかった、とするのであろうか。なんにせよおしまいが悲しき皇帝である、とは認識されておるようである。




■確かに建設事業は大事だけどさあ


晋書83 江逌

周宣興百堵之作,鴻雁歌安宅之歡;魯僖修泮水之宮,採芹有思樂之頌。


東晋中期、穆帝が宮殿の中にある泉を修繕しようと考えた。それを知った江逌が当詩、及び魯頌泮水

を引き合いに出し、待ったを掛ける。確かに建設事業は素晴らしいことです、周の宣王も魯の僖公も共に名君で、士卒を守るために建築事業を行いました、けど今はド戦時中で、ちょっと池をどうこうとかまずいんじゃないですかね、と諫言を為した。それを聞き穆帝、確かにその通りだ、と計画を白紙にしたそうである。




■王の想い、民に伝わらず


晋書72 郭璞

『鴻雁』之詠不興,康衢之歌不作者,何也?


郭璞は西東晋移行期に活躍し、最終的には王敦の怒りを買い殺された占い師。彼は政府の失政が多くなった時に、そのことについての訴えを上げた。当詩に歌われるような思いが民に及んでおらず、また堯舜の時代に歌われたという「気付けば帝王の徳に民が感化されていた」ことを歌う詩が、いまは歌われていないと嘆くのである。




■禍にあえぐ民を救う王、応える将。


晋書 巻81 史臣評 賛

氣分淮海,災流瀍澗。覆類玄蚖,興微『鴻雁』。鼓鞞在聽,『兔罝』有作。赳赳群英,勤茲王略。


この巻は東晋とうしん期の武将列伝となっておる。当詩があてどもなくさ迷う民を何とか掬い上げようとする王の想いを歌い、兔罝が、それに応えんとその武略を尽した、と言った感じであろうか。




■ヘーカに民を憐れんでほしいっす


宋書2 武帝中

伏惟陛下,垂矜萬民,憐其所失,永懷鴻雁之詩,思隆中興之業。


東晋を滅ぼし、宋を打ち立てた劉裕の業績の一つとして「土断」政策による国内財政の再建がある。これはその土断を立ち上げる際に安帝に実施を訴え出る上奏文の一節。「民のことを思い、またこの国を再建するためにも、どうかこの政策の施行をご許可ください」と訴え出ている。なおこの政策で潤った財政は間もなく後秦討伐に注がれた☆




■永嘉の乱くっそやべえ


宋書11 律曆上

人佇鴻雁之歌,士蓄懷本之念,莫不各樹邦邑,思復舊井。


永嘉の乱以来人々は流亡の苦しみを味わった。人々はいつかまた故郷に帰らん、と願い生活をしていた。それは例えるならば、当詩に歌われるような思いに近似している、と言う。晋宋期のルールは、そういった「故地に戻りたい人に向けた特殊なルールも交えられていた」とする。おかげで様々な部分で煩瑣なルールが誕生しており、しかもこの当時の極度の前例依拠主義のおかげで煩瑣の累乗と言う感じになっており、割と死ねという感じである。




■佞言断つべし


魏書93 王叡 子 王椿

則物見昭蘇,人知休泰,徐奏薰風之曲,無論鴻雁之歌,豈不天人幸甚,鬼神咸抃?


北魏を実質的に滅ぼした梟雄、爾朱栄の権勢がどんどん大きくなっていく中で毅然と振る舞った人物。ある時雹などによる被害が多く出て、時の皇帝ですら不安定な政情に腰の定まらない詔勅を発布していた。そこに王椿が毅然というのである。「まず陛下が冷静にどっしり構え、物事を正確に見定められなさい、そうすれば人々も落ち着き、やがて『薰風』や当詩が歌われ始め、天も祖霊たちも祝福を再開するでしょう、と語るのである。




毛詩正義

https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E4%B8%80#%E3%80%8A%E9%B4%BB%E9%9B%81%E3%80%8B

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