皇皇者華(引用5:堂々たる使者)
きらびやかな花は高原でも、
湿原にも咲く。
王命を受ける使者は堂々たる大夫。
しかしかれは、無事王命を
果たせるかどうか心配している。
我が馬車を引くは堂々たる名馬。
その手綱もつややかに輝く。
さあ行け、それ行くぞ。
手落ちなきよう、
しっかりと計画を立てよ。
我が馬車を引く馬は堂々たる名馬。
その手綱さばきも見事なもの。
さあ行け、それ行くぞ。
手落ちなきよう、
しっかりと計画を立てよ。
我が馬車を引く馬は堂々たる名馬。
その手綱で、見事に統御される。
さあ行け、それ行くぞ。
手落ちなきよう、
しっかりと計画を立てよ。
我が馬車を引く馬は堂々たる名馬。
その手綱で、足並みはそろう。
さあ行け、それ行くぞ。
手落ちなきよう、
しっかりと計画を立てよ。
○小雅 皇皇者華
王命を受け、遣わされる先に向かう、堂々たる士大夫の姿。そこに描かれるのは果たすべき任務への高揚感と、いくばくなりとの不安であろうか。描かれているものが同じような調子の繰り返しであるので、基本的には王が使者を鼓舞する、といった方向の歌となろう。
■まぁ、やったりますわ
三國志48 孫皓裴注
使于晉,皓謂儼曰:「今南北通好,以君爲有出境之才,故相屈行。」對曰:「皇皇者華,蒙其榮耀,無古人延譽之美,磨厲鋒鍔,思不辱命。」
晋で司馬昭が死に、司馬炎が後を継いだ。このタイミングで孫皓が、晋に張儼という人を派遣している。「このタイミングでの使者の役割はあんさんにしかでけへんやろ、よろしくたのんまっせ」「そりゃもう皇皇者華歌いまっせ、光栄っすわ、やったりまっさ」とやり取りして出発した張儼であったが、道中で死んだ。
■蔡謨さん、楽礼について語る
晋書21 禮下
故『詩序』曰:'皇皇者華,君遣使臣也。'又曰:'『采薇』以遣之,『出車』以勞還,『杕杜』以勤歸。'皆作樂而歌之。
東晋中期の名臣、蔡謨が皇帝に対して宮廷音楽の必要性を説いている。『皇皇者華』では、臣下を派遣する時に音楽を伴う事で威厳を明らかにするのだとし、『采薇』は地方守備の兵が出征する際に歌われ、『出車』は戻ってきた兵をねぎらい、そして『杕杜』にて帰ってきたものに対し勤めるのである。いずれにせよ音楽を鳴らし、それを歌う事によって気持ちが高められる、とする。そのうえで「間違っても娯楽のためのもんじゃねえから浮かれんじゃねえぞおい」と釘を刺してこられるのである。
■余は民をかわいがる
宋書8 明帝
務詢輿誦,廣納嘉謀,每盡皇華之旨,俾若朕親覽焉。
前廃帝劉子業を打倒し、皇帝の座に就いた劉彧。彼はその詔勅において「人々の声に耳を傾け、良きはかりごとを採用し、臣下に任務を与えるのには当詩に歌われるメンタリティを常に抱き、よく天下の動きを見据えよう、と宣言しておる、ようである。なおこの詔勅の直後劉彧の即位を認めない者らがわちゃわちゃ反乱を起こした。
■使者のお仕事、ばっちり決めてくれ
魏書68 高聡
今更造璽書,以代往詔,比所敕授,隨宜變之,善勗皇華,無替指意。
北魏孝文帝拓跋宏の時代のひとで、南斉に使者として出た。そこで拓跋宏より使者としての大権を預けられ、立派な使者として余の意図をゆがめることなく伝えてくれ、と託されておる。
■臣下を心配してくれ
魏書21 元雍
非所以奬勵皇華而敦崇四牡者也。
北魏宣武帝(元恪)の時の王族の一人である。宣武帝の下で法令を定めようとするときに表明した中に見える一節で上掲句が見える。当詩は任務に従事した配下を盛大に労う詩、である。それを奨励せず、四牡のごとき想いを厚くせよ、というのであろうか。褒美とかそういったものも重要だが、臣下を思うことの方がより大切だ、となろうかな。
毛詩正義
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