玄鳥(引用3:殷の武丁を讃える)
天はツバメに命じ、下りて帝嚳の子に
契、殷の始祖を誕生させた。
そして契を殷の広大な地に赴かせた。
時が降り、天帝は湯王に命じられた。
四方を束ね、統治せよと。
諸侯には、湯王に従うように、と。
こうして天命を受けた殷の国は、
高宗・武丁の代を経、
その子孫の代に至るまで、
大きな危機もなく、繁栄した。
武丁の子孫も大いに武威を示した。
諸侯らも十両もの車に
龍のあつらえられた旗を掲げ、
酒や肴を持ち寄り、祭祀を補助する。
国土は千里四方にも広がり、
多くの民が殷を頼りとする。
殷の国土は限りなく広がり、
遠方よりも長江の使者がやって来る。
黄河に船を浮かべ、やって来る。
天命を受けたる殷、まこと偉大な国。
湯王以来の福を負い、
天下に向かい合うのである。
○商頌 玄鳥
展開が速い。ツバメが殷祖・契を生んだと思ったらあっという間に湯王&武丁を通過して更に後代の話となってしまった。となると、この歌は宋で歌われていたものと言うことになるのであろうかな。ただ詩序では「武丁孫子」を「湯王の子孫の武丁」と解釈し、武丁を祀るものとして読むようである。確かに武丁は殷中興の祖とされるので、その方が据わりは良い。まぁ、好みで読み分けてしまえば良いのではなかろうか。
■天はツバメに命じる
当詩冒頭句は「国が生まれること」をめでたく語った表象として用いられるようである。特にそこが際立つのが、魏書。我が父、崔宏が道武帝に「国の名前、魏にするといいですよ」なる提案をなしたときに当詩を引いておられる。もっとも魏書にこう書かれてこそおるものの、考古史料では割と「代」呼びも続いていたそうなのであるがな。
・史記13 三代世表
詩人美而頌之曰「殷社芒芒,天命玄鳥,降而生商」。
・後漢書
契母簡狄,蓋以玄鳥至日有事高禖而生契焉。故詩曰:『天命玄鳥,降而生商。』
・魏書24 崔宏
故詩云『殷商之旅』,又云『天命玄鳥,降而生商,宅殷土茫茫』。此其義也。昔漢高祖以漢王定三秦,滅強楚,故遂以漢為號。
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E4%BA%8C%E5%8D%81#%E3%80%8A%E7%8E%84%E9%B3%A5%E3%80%8B
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