頍弁(滅亡の前の宴)
高くそそり立つ冠は誰のためか?
宴に用意された酒も、食べ物も美味。
集まる者は他人ではなく、兄弟のよう。
ヤドリギやマツノミドリと言ったツタが
マツやカシワに頼るがごとく、
彼らもまた王を頼りとする。
天子が見えぬうちにはそわそわとするが、
天子が現れれば共に相親しまん事を望む。
高くそそり立つ冠は誰のためか?
宴に用意された酒も、食べ物も季節の味。
集まる者は他人ではなく、兄弟のよう。
ヤドリギやマツノミドリと言ったツタが
マツの木に這いのぼるがごとく、
彼らもまた王を頼りとする。
天子が見えぬうちにはそわそわとするが、
天子が現れれば共に相親しまん事を望む。
高くそそり立つ冠は王の頭の上。
宴に用意された酒も、食べ物も沢山。
集まる者は他人ではなく、一族のよう。
雪が降る前にまずあられが降る。
ひと死にのない日などなく、
いつまでも会えるというわけでもない。
いまのこの酒宴を満喫しよう、
せっかく天子が宴を
設けてくださったのだから。
○小雅 頍弁
和やかな雰囲気を感じられもせぬではないが、最終連に及んで突然「大雪の前のみぞれ」などと言う大寒の予感を漂わせる。そうして詩全体を見返すと「この王が被る冠は、本当にこの王の頭の上にあってよいのか?」という疑問の投げかけであるようにも見えてくる。そして最終連が「間もなく滅ぶのだし、騒いでしまえ」という内容にも見えてこよう。こう言う詩ならば詩序の「幽王を批判する」に対し、素直にうなずけるのだがな。ただ別の疑問が湧きおこるのだ。孔子この詩で邪さが洗い流されるの……?
毛詩正義
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%AF%9B%E8%A9%A9%E6%AD%A3%E7%BE%A9/%E5%8D%B7%E5%8D%81%E5%9B%9B#%E3%80%8A%E9%A0%8D%E5%BC%81%E3%80%8B
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