抑(引用65:佞臣を諫める)

よく



抑抑威儀よくよくいぎ 維德之隅いとくしぐう

人亦有言じんえきゆうげん 靡哲不愚びてつふぐ

庶人之愚しょじんしぐ 亦職維疾えきしょくいしつ

哲人之愚てつじんしぐ 亦維斯戾えきいしれい

 諸々ごとに慎重、威儀を正す。

 これぞ君主が修めるべき徳の姿。

 しかし人は言う、

 いまは哲人と愚人の区別もつかぬ、と。

 庶民が愚、すなわち威儀を正さぬのは、

 これはある意味で当然のことである。

 しかし哲人と呼ぶべきものの、愚。

 これは大いに道に背いてはおらぬか。


無競維人むきょういじん 四方其訓之しほうきくんし

有覺德行ゆうこうとくこう 四國順之しこくじゅんし

訏謨定命くぼていめい 遠猶辰告えんゆうしんこく

敬慎威儀けいしんいぎ 維民之則いみんしそく

 国の発展は賢人の獲得による。

 だからこそ周辺地域も、国に従う。

 徳行が明らかなものにこそ、

 周辺諸国も慕ってこよう。

 大いなるはかりごとは天命を見る。

 遠きはかりごとは未来を見る。

 斯様に個人、現在のみにとらわれぬ

 賢人と共に威儀を正す王こそが、

 民の規範となるのである。


其在于今きざいうこん 興迷亂于政こうめいらんうせい

顛覆厥德てんふくくつとく 荒湛于酒こうたんうしゅ

女雖湛樂從じょすいたんがくじゅう 弗念厥紹ふつねんくつしょう

罔敷求先王ぼうふきゅうせんおう 克共明刑こくきょうめいけい

 しかるにいまの世の中では、

 上も下もが政を惑い乱している。

 徳行はひっくり返され、

 酒杯が乱れ飛んでいる。

 誰もが快楽に溺れてこそいるものの、

 その有様は子孫に伝えたいものか?

 先王がお示しになった

 偉大なる道のりに則り、

 公明正大な法や刑罰を

 運用すべきではないのか?


肆皇天弗尚しこうてんふつしょう

如彼泉流じょかせんりゅう 無淪胥以亡むりんしょいぼう

夙興夜寐しゅくこうやび 洒掃廷內さいそうていない 維民之章いみんししょう

脩爾車馬しゅうじしゃば 弓矢戎兵きゅうしじゅうへい

用戒戎作ようかいじゅうさく 用逷蠻方ようてきばんほう

 これら道理を蔑ろとしておるからこそ、

 天は国をお見捨てになりつつある。

 一度河川が氾濫すれば

 貴賤も関係なしに押し流されよう。

 斯様な事態は避けられねばならぬ。

 朝早くから夜遅くまで務め、

 敷地内を水で流し清め、

 謹厳を率先垂範する。

 戦車や馬、弓矢や武器防具を修繕し、

 いざという時に出動できるよう備え、

 蛮夷より侵略を受けづらくさせよ。


質爾人民しつじじんみん 謹爾侯度きんじこうど 用戒不虞ようかいふぐ

慎爾出話しんじしゅつわ 敬爾威儀けいじいぎ 無不柔嘉むふじゅうか

白圭之玷はくけいしてん 尚可磨也しょうかまや

斯言之玷しげんしてん 不可為也ふかいや

 人民や臣下を治めるのにあたり、

 よくよく道理に従い、

 またトラブルに備えよ。

 迂闊な政令発布をなさぬようにし、

 威儀を保ちつつも、柔和であるように。

 白き宝玉は、多少欠けても

 磨けば美しさを取り戻すものである。

 しかし王の言葉に落ち度があれば、

 それはもはや取り返しがつかぬ。


無易由言むえきゆうげん 無曰苟矣むえつこういー

莫捫朕舌ばくもんちんぜつ 言不可逝矣げんふかせいいー

無言不讎むげんふしゅう 無德不報むとくふほう

惠于朋友えうほうゆう 庶民小子しょみんしょうし

子孫繩繩しそんしょうしょう 萬民靡不承ばんみんびふしょう

 軽々な発言を慎まれよ。

 仮だからと雑なことを言ってはならぬ。

 己が舌を妨げる者はいない。

 一度言ったことの取り返しはつかぬ。

 発された言葉には因果が巡る。

 恩徳を施せば報われぬこともない。

 恩徳を臣下にも、庶民にも

 広く布かれるが良い。

 さすればその余慶は子孫らにまで及び、

 かくして万民がそなたに従おう。


視爾友君子しじゆうくんし 輯柔爾顏しゅうじゅうじがん 不遐有愆ふかゆうけん

相在爾室そうざいじしつ 尚不媿于屋漏しょうふきうおくろう

無曰不顯むえつふけん 莫予云覯ばくようんこう

神之格思しんしかくし 不可度思ふかどし 矧可射思しんかしゃし

 君子を重んじ、友として招けば、

 自ずとそなたの顔つきも和らぎ、

 無礼なる振る舞いは遠ざかろう。

 奥深い場所に一人あったとしても、

 そのときの振る舞いが周辺にばれても

 恥じることのないようになされよ。

 誰も見ていないからと、

 気を緩めてはならぬ。

 神はどこでそなたを

 見ているとも知れぬ。

 増して、見られたくないと望んでも

 決して叶いはせぬ。


辟爾為德ひじいとく 俾臧俾嘉へいぞうへいか

淑慎爾止しゅくしんじし 不愆于儀ふけんうぎ

不僭不賊ふせんふぞく 鮮不為則せんふいそく

投我以桃とうがいとう 報之以李ほうしいり

彼童而角かどうじかく 實虹小子じつこうしょうし

 よくよく徳を明らかとし、

 良きこと、美しきことを民に示されよ。

 その振る舞いをよく慎まれ、

 威儀に粗相のなきように。

 道義に違わず、不信を退ければ、

 民の規範ならざることも少なかろう。

 私にモモをお投げ下されば、

 投げ返すのもスモモとなろうに。

 子羊は子供でありながら

 角を持っていると自覚しているもの。

 王の側にある小人どもは、

 斯様なる迷妄を抱き、国政を乱す。


荏染柔木じんせんじゅうぼく 言緡之絲げんびんしし

溫溫恭人おんおんきょうじん 維德之基いとくしき

其維哲人きいてつじん 告之話言こくしわげん 順德之行じゅんとくしこう

其維愚人きいぐじん 覆謂我僭ふくいがせん 民各有心みんかくゆうしん

 琴は柔らかな地の木に、弦を通すもの。

 君主もまた温恭であってこそ、

 ひとの言葉をよく聞き入れられる。

 それこそが徳の発露の源である。

 哲人は先賢の言葉に従い、

 徳ある振る舞いをなす。

 しかるに愚人は、

 先賢を語る我が言葉を詐術と見る。

 人は、様々に解釈を違えるもの。


於乎小子おこしょうし 未知藏否みちぞうひ

匪手攜之ひしゅけいし 言示之事げんじしじ

匪面命之ひめんめいし 言提其耳げんていきじ

借曰未知しゃくえつみち 亦既抱子えききほうし

民之靡盈みんしびえい 誰夙知而莫成すいしゅくちじばくせい

 ああ、王の周りにたむろする若者よ。

 ものの善悪もよく知らぬか。

 手引きを示すのみならず、

 実際の事例も伝えているのだが。

 ただ語るのみならず、

 耳の穴をかっぽじらねばならぬのか。

 しかし、物事を知らぬとは言え、

 かの者らもすでに

 人の親であるはずなのだが。

 人の成長が完成することはない。

 物事を少しばかり早く知ったからと、

 どうしてそれが完成につながろうか。


昊天孔昭こうてんこうしょう 我生靡樂がせいびがく

視爾夢夢しじむむ 我心慘慘がしんさんさん

誨爾諄諄かいじじゅんじゅん 聽我藐藐ていがばくばく

匪用為教ひよういきょう 覆用為虐ふくよういぎゃく

借曰未知しゃくえつみち 亦聿既耄えきいつきぼう

 広天は、天下を照覧しておられる。

 故に私が楽しみに満ちることはない。

 この先に何が起こるかが

 見えてしまうためである。

 何ともそなたらの夢見心地なことよ。

 それを見て私は憔悴する。

 どれだけ私が言葉を尽くしても、

 まともに取り合おうとはせぬ。

 それどころか教訓ととらず、

 嫌がらせと取る始末。

 物事を知らぬとは言え、

 こうも聞く耳を持たぬようであれば、

 若くして耄碌、と呼ばれても

 仕方あるまいに。


於乎小子おこしょうし 告爾舊子こくじきゅうし

聽用我謀ていようがぼう 庶無大悔しょむだいかい

天方艱難てんほうかんなん 曰喪厥國えつそうくつこく

取譬不遠しゅひふえん 昊天不忒こうてんふとく

回遹其德かいいつきとく 俾民大棘へいみんだいきょく

 ああ、若者たちよ。

 ここに告げるは、過去の実例である。

 我が言葉に聞く耳を持てば、

 大いに悔いることもなくなろう。

 天は艱難を下し、まさに国を

 滅ぼさんとしておる。

 ただし今は、例えるならば、そう、

 殷鑑遠からず、とまだ言えよう。

 天意は道理より決して違われぬ。

 このまま徳より違え続ければ、

 民に大いなる不幸をもたらされようぞ。




○大雅 抑


「私の言葉が正しい、愚か者の言葉に耳を傾けるな」。ううむ、二十一世紀においてはもっとも信頼してはならぬ言葉としても認識されようが、とは言え詩経の成立しつつある時代は圧倒的に情報量が少ないものな。時代のエントロピーが低い頃合いには、それでもなお「正しきこと」が成立するのやもしれぬ。ただし、結局のところ、周は滅ぶ。過去を振り返ったとき、すべての出来事は「正しきこと」であったと見なすべきであり、ならば当詩にてつらつら溢れ返る言葉は「正しさに抗うもの」であるようにも映るのである。……と、作者が放言しておった。




■控えめである、それが徳の発端

良き君子は威儀を抱きながらも万事に控えめである、と言う。それによって徳が発露される、と語るのが「抑抑」によって示されるところであり、また当詩全体がそれを守らぬからこそ世が乱れている、と語る。


・漢書79 評

 贊曰:『詩』稱「抑抑威儀,惟德之隅。」,伏自手書,乞詣行在所,極陳至誠。

・漢書100.2 敍傳下

 自下摩上,惟德之隅。

 抑抑仲舒,再相諸侯,身修國治,致仕縣車

・後漢40.2 班固下

 抑抑威儀,孝友光明。

・後漢書42 劉蒼

 詩云:『抑抑威儀,惟德之隅。』臣不勝憤懣

・三國志42 譙周

 抑抑譙侯,好古述儒,寶道懷真,鑒世盈虛,雅名美迹,終始是書。

・宋書20 楽二

 沔彼流水,朝宗天池。洋洋貢職,抑抑威儀。

・魏書48 高允

 矯矯清風,抑抑容止,初九而潛,望雲而起。




■徳あってこそ、周囲は従う

どちらの引用も人士の推挙にまつわる言葉として用いられておる。すなわち昭公の段に記されておる「不賞私勞、不罰私怨」がそれである。人臣の推挙は恩讐縁故に囚われず為されるものである、とするこの言葉は、例えば世説新語賢媛7もしくは三國志9夏侯尚附伝許允注であるとか、宋書60王韶之伝などにも見えるものである。人事かくあるべきと言う感じではあるのだが、これがまたえらく難しいのであるよな……。


・左伝 襄公21-7

 詩曰.有覺德行.四國順之.夫子覺者也.

・左伝 昭公5-1

 為政者不賞私勞.不罰私怨.詩云.有覺德行.四國順之.




■深謀遠慮が大事

近視眼的な判断に囚われず、広く、遠い観点で物事を見よ、とする言葉。世説新語では、かの淝水の戦いを勝ち抜いた謝氏の叔父甥たる謝安と謝玄のやりとりで用いられておる。甥が小雅采薇を引用して今の争乱の世の中を嘆くと、叔父が「深謀遠慮をせよ」と当詩を引いて語る。ここで叔父が甥の奔放さに散々悩まされていたというエピソードを被せると、成長を喜ぶとともに、若者に手を焼かされた年長者の思いもにじみ出るかのようで、よい。


・宋書20 楽二

 陶甄百王,稽則黃軒。訏謨定命,辰告四蕃。

・世説新語 文学52

 謝公因子弟集聚,問毛詩何句最佳?遏稱曰:「昔我往矣,楊柳依依;今我來思,雨雪霏霏。」公曰:「訏謨定命,遠猷辰告。」謂此句偏有雅人深致。




■控えめである、それが民の規範

「敬慎威儀,惟民之則」が冒頭の「抑抑威儀,惟德之隅」と近似した句計を持っていることから、なんとなく「冒頭から持ってくるとあまりにもそのまんま過ぎるので、もうちょっと潜り込んだところから引っ張り出してきました」的な印象がある。人気のある引用を拾い上げるのも大事だと思うが、一方で「いかに引用で新奇性を持たせるか」も求められようからな。全く、引用チキンレースも大変である。


・左伝 襄公31-12

 詩云.敬慎威儀.惟民之則.令尹無威儀.民慎爾侯度.用戒不虞

・漢書27.2 五行中之上

 公曰:「子何以知之?」對曰:「詩云『敬慎威儀,惟民之則』

・漢書81 匡衡

 大雅云:「敬慎威儀,惟民之則。」諸侯正月朝覲天子,天子惟道德,昭穆穆以視之,又觀以禮樂,饗醴乃歸。

・後漢99 祭祀下

 詩云:「敬慎威儀,惟民之則。」臣請上尊號曰敬宗廟。




■トラブルは避けきれぬもの

上役の重要な役割の一つとして「トラブル対応」がある、と言えよう。ここでは臣下に対して慎み深く接し、かつ「不虞」,不慮の事態によくよく備えよ、と語られる。三つの引用の中で特に笑えるのは最後のものである。傅亮がこの句を引用するのは「演慎論」、いかに慎重に物事を成し遂げるか、と心掛けるものであり、その甲斐あり傅亮は位人臣を極めるに至るのであるが、最後の最後で「廃位した皇帝を殺す」というウルトラアウトを決めたため処断された。まぁ、これは「不慮の事故ではない」ので仕方がないのかな。


・左伝 襄公22-9

 詩曰.慎爾侯度.用戒不虞.鄭子張其有焉.

・三國志25 高堂隆 附伝 棧潛

 王公設險以固其國,都城禁衞,用戒不虞。

・宋書43 傅亮

 夫豈敝著而後謀通,患結而後思復云爾而已哉!故詩曰:「慎爾侯度,用戒不虞。」




■洒め、掃う

「洒掃」語は、霊廟を水で清め、清掃する意味合いで用いられておる。単純に清掃の雅語と言いたいところではあるが、特に霊廟周りで用いられるようである。一方晋書王羲之伝あたりを見ていると、これはただの清掃の意味で用いられておらぬか、と言う印象もある。晋書や宋書に載る琅邪王氏や陳郡謝氏の伝記を見ておると、やけにそこだけ難しい言葉が用いられておるので、そのあたりで差別化が図られたのやもしれぬ、と最近は邪推しておる。


・漢書65 東方朔

 一日卒有不勝洒掃之職

・後漢39 劉平

 廬於舍外,旦入而洒掃,父怒,又逐之。

・三國志44 蔣琬

 西到,欲奉瞻尊大君公侯墓,當洒掃墳塋,奉祠致敬。


・晋書55 潘岳

 率歷代之舊俗,獲行留之歡心,使客舍洒掃,以待征旅擇家而息,豈非眾庶顒顒之望。

・晋書80 王羲之

 述每聞角聲,謂羲之當候己,輒洒掃而待之。

・晋書80 王徽之

 主人洒掃請坐,徽之不顧。

・晋書102 劉聡

 臣等小人,過蒙陛下識拔,幸得備洒掃宮閤


・宋書3 武帝下

 墳塋未遠,並宜洒掃。主者具條以聞。

・宋書5 文帝

 可蠲墓側數戶,以掌洒掃。

 孔景等五戶居近孔子墓側,蠲其課役,供給洒掃,并種松栢六百株。


・魏書7.1 元宏

 魯郡孔乘為崇聖大夫,給十戶以供洒掃。

・魏書71 裴植

 自施三寶,布衣麻菲,手執箕箒,於沙門寺洒掃。

・魏書108.1 礼一

 四月旱,下詔州郡,於其界內神無大小,悉洒掃薦以酒脯。

・魏書114 釈老

 太祖許之,給曜資用,為造靜堂於苑中,給洒掃民二家。




■白珪は磨けば補修できようが

宝玉の欠け、曇りは補修がきく。しかし一度放たれた失言は取り返しがつかぬ。この言葉が特に有名なのは論語先進編におけるものであろう。論語に採用されるほどなのだからもう少し引用されても良かろうに、と思ったら、やはり孫引き的になるのは避けられるのであろうかな。そして三國志の陳羣注では「いや前半なんか誰もが知っとるし要らんやろ」と言ったごとき扱いである。強い。


・左伝 僖公9-11

・史記39 晋献公

 君子曰:「『詩』所謂『白圭之玷,尚可磨也;斯言之玷,不可為也。』荀息有焉!」

・論語 先進6

 南容三復『白圭』,孔子以其兄之子妻之。

・史記67 南宮括

 三復「白珪之玷 」,以其兄之子妻之。

・後漢58 傅燮

 家語子貢對衛文子曰:「一日三復白珪之玷 ,是南宮縚之行也。」


・三國志8 公孫瓚

 注宜釋憾除嫌,敦我舊好。若斯言之玷,皇天是聞。

・三國志22 陳羣 注

 使百代之君,眩於奢儉之中,何之由矣。詩云:「斯言之玷,不可為也。」其斯之謂乎!



■広く、虚心に、ひとの言葉を聞く

忠臣よりの建言をまともに聞き入れねば、やがては大いなる過ちに躓き、取り返しのつかぬ悔いを残すであろう、と言う警句。一通り探してみても曹操が初めて史書に残る引用であるので、高堂隆に対する賞賛の言葉は「曹操がそう心掛けるよう語っているのに曹叡ときたら」的文脈が示されているのであろう。この時代の引用野郎どものメンタリティを考えれば、おそらく間違いあるまい。


・三國志1 曹操

 夫治世御衆,建立輔弼,誡在面從,詩稱『聽用我謀,庶無大悔』,斯實君臣懇懇之求也。

・三國志 25 高堂隆 注

 詩云:「聽用我謀,庶無大悔。」又曰:「曾是莫聽,大命以傾。」其高堂隆之謂也。




■嫡子無視してその弟を後継に?


三國志20 曹操子 曹沖 注

 冲雖存也猶不宜立,況其既沒,而發斯言乎?詩云:「無易由言。」魏武其易之也。


曹沖は曹丕の弟。聡明であったため曹丕を差し置き嫡子として立てられかけるも、夭折した。それを悲しんだ曹操が、曹丕らに向かって「わしは悲しいが、お前たちにとっては幸いだな」と放言したという。その曹操に対する裴松之の批判である。してみると前掲「斯言之玷,不可為也」とも内容が近似してくるな。……当詩、もう少し文字数を落とせるのではないか?




■失言なくば復讐無けれど

失言せねば復讐は無かろうが、徳を施さねば報いられもすまい、とはまた「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」であるな。ここで漢書では微妙に「無」を避けておるが、これは昭帝「劉弗陵」の「弗」字を避けたのかな。日本語で語っておると「なんでこの字で忌諱が発生するねん!」という感じであるが、やむを得ぬ、やむを得ぬのだ。しかしそれも徹底されておらぬあたりがまた面白い。このあたりには何か面白い研究が転がっておるのやもしれぬ。


・漢書8 宣帝

 修文學經術,恩惠卓異,厥功茂焉。詩不云乎?『無德不報。』

・漢書59 張湯

 修文學經術,恩惠卓異,厥功茂焉。詩云:『無言不讎,無德不報。』

・漢書74 丙吉

 朕微眇時,御史大夫吉與朕有舊恩,厥德茂焉。詩不云虖?『亡德不報。』

・漢書82 評

 轉移大謀,卒成太子,安母后之位。「無言不讎 」,終獲忠貞之報。

・漢書99.1 王莽上

『詩』曰:「亡言不讎,亡德不報。」報當如之,不如非報也。

・漢書100.2 敍傳下

 亡德不報,爰存二代,宰相外戚,昭韙見戒。


・後漢書24 馬援

 上書陳狀,不顧罪戾,懷旌善之志,有烈士之風。詩云:「無言不讎,無德不報。」

・後漢書59 張衡

 有無言而不讎兮,又何往而不復?

・後漢書66 陳蕃

 蓋襃功以勸善,表義以厲俗,無德不報,大雅所歎。

・後漢書78 孫程

 詩不云乎:『無言不讎,無德不報。』程為謀首,康、國協同。

・三國志47 孫権

 濟成洪業,功無與比,齊魯之事,奚足言哉!詩不云乎,『無言不讎,無德不報』。





■無言不酬?

無言不讎,無德不報と書かれた本とは別系統の写本が出回っておったようである。やや警句としての性格がマイルドにはなってこよう。それにしても気になるのは明帝紀で句の順番が入れ替わっておることである。こういった部分の錯誤が発生した背景を、上手く史書より引っ張り出すのは難しそうであるが、ひとまず、この句に異同が集中しておるのも興味深いところではある。


・後漢書2 明帝

 五更桓榮,授朕『尚書』。『詩』曰:「無德不報,無言不酬。」

・後漢書56 陳球

 太后親立朕躬,統承大業。『詩』云:『無德不報,無言不酬。』豈宜以貴人終乎?

・晋書63 評

 詩云:「無言不酬,無德不報」,此之謂也。 

・晋書103 劉曜

 詩不云乎:『無言不酬,無德不報。』其封豫安昌子,苞平輿子,並領諫議大夫。

・晋書109 慕容皝

 封生蹇蹇,深得王臣之體。詩不云乎:『無言不酬。』

・宋書49 評

 詩云,「無言不酬,無德不報」。此諸將並起自豎夫,出於皁隸芻牧之下,徒以心一乎主,故能奮其鱗翼。




■慎み深く、虚偽はなく


左伝 襄公30-10

詩曰.文王陟降.在帝左右.信之謂也.又曰.淑慎爾止.無載爾偽.不信之謂也.


宋国に火事があったので、周辺国家が見舞いの品を出そうと相談するだけ相談するも、結局出さない、と言うことがあったそうである。これに対して孔子が切れている。こういう信義のないやつらなぞ、名を残すに足りぬとか言い出しておる。そうだな。信義ある振る舞いは大切であるな(誰かを見ながら)。




■悪いことしなければ

悪いことをしなければ、付き従わないものだって少なかろうに、と語られるわけであるが、それにしても一つ目の引用は大雅皇矣にある「文王はこれと言った導き手も無しでも規範に従っていた」と語る句に近似していることが示されており、興味深い。もう少し前に、両者の祖型ともなるべき句があったのやもしれぬな。


・左伝 僖公9-11

『詩』曰:『不識不知,順帝之則』,文王之謂也。又曰:『不僭不賊,鮮不為則』,無好無惡,不忌不克之謂也。

・左伝 昭公1-2

 詩曰.不僭不賊.鮮不為則.信也.能為人則者.不為人下矣.




■襄公は季孫行父を頼ったが


左伝 襄公2-4

詩曰.其惟哲人.告之話言.順德之行.季孫於是為不哲矣.


魯の襄公はわずか4才で公位につく。その後見人が親族の季孫行父であった。就任の翌年、襄公の母が死亡。彼女のための棺桶を求めた季孫行父は、未だ健在であった襄公の祖母が自らの死後に備えて用意してあった棺桶を強奪してしまった。襄公祖母と季孫行父が険悪であったため発生した復讐とのことであるが、この行為を孔子が批判しておる。「この振る舞いについて言えば、季孫行父を哲人であると呼ぶわけにも行くまい」としたのである。なおその季孫行父も三年後には死亡。父代わりを喪った襄公は季孫行父に「文」という最高級の諡を与えておる。実際孔子も、季孫行父が死後余財を残さなかった点を見て「とは言えやっぱり忠臣なんだよなぁ」と洩らしておる。




■お前はもうひとの親やぞ


漢書68 霍光

今陛下嗣孝昭皇帝後,行淫辟不軌。『詩』云:『籍曰未知,亦旣抱子。』


霍光と言えば前漢昭帝の死後皇位についた劉賀を皇帝たる資格無しと退け、宣帝を即位させた人物である。この宣帝が傾きかけていた前漢を一度立て直しておるのであるから、その功績の大きさたるや凄まじきものがある。上掲引用も、やはり劉賀廃位にまつわる上奏の一節。「無知とはいえど、ひとの親」という表現は、即位当時 19 歳であった劉賀にすでに子があったことも考えられようが、それ以上に「皇帝は臣民の親」たるニュアンスが強かろう。




毛詩正義

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