(21)大人の対応

 マルケスのプロポーズ場面に遭遇してから、半月ほど経過した休日。シレイアはワーレス商会書庫分店に足を向けた。


「はぁ~、ここに来るのも久しぶり。今日は余計な事は考えずに、集中して読んで選ぼう。自分の俸給で買う、初めての記念すべき第一冊だものね」

 就任以降何かと気忙しい日々が続き、暫く訪れていなかった紫の間の空気に癒される思いで、シレイアはしみじみとした口調で呟きながら棚に並んだ本を物色していた。すると背後から、穏やかな声が聞こえてくる。


「そういえば、シレイアさんは今年官吏に就任したのでしたね。おめでとうございます。就任の時期から少し遅れてしまいましたが、是非私から一冊就任祝いとして贈らせてください」

「え?」

 聞き覚えのある声に、シレイアは反射的に振り向く。するとそこには予想に違わず、ワーレス商会書庫分店責任者兼、紫蘭会副会長のラミアが微笑んで佇んでいた。


「ラミアさん、ご無沙汰しています! あの、でも、お祝いを頂くなんて、そんな申し訳ないことは」

 申し出は嬉しかったものの、シレイアは固辞しようとした。しかしラミアは笑顔のまま静かに続ける。


「遠慮なさらないでください。昨年一年間はこちらに全く寄らずに、時間があれば勉強していらしたのでしょう? その精神力の強さと飽くなき向上心は、十分称えられるべきです。できれば快く、受け取っていただければ嬉しいです」

「それでは……、ありがたく一冊頂いていきます」

「こちらこそ。これからも御贔屓に願います」

(さすが、ラミアさん。押しつけがましい感じではなくさりげなく申し出てくる感じが、年の功というか大人の貫禄というか……)

 なんとなく、意固地になって断るのも申し訳なく思ってしまったシレイアは、素直にその好意を受けることにした。そしてこの女性から、第三者的な立場での意見を貰えるかもしれないと思い立ったシレイアは、殆ど勢いだけで話を持ちかける。


「ラミアさん。お目にかかったついでに、時間があれば少々意見を伺いたい事があるのですが」

「はい、時間は大丈夫です。何かお困りですか?」

「その……、ラミアさんと同年配の女性ですが、これまで結婚せず仕事一筋で生きてこられた方がいます。その方に関して、どういう印象をお持ちでしょうか?」

 その問いかけに、ラミアは率直に言葉を返した。


「そう言われましても……。判断材料が少なすぎますから、なんとも言えません。仕事熱心で真面目な方なのだなと、推察はできますが」

「そうですよね。ラミアさんだったら、その年になるまで結婚もしないで仕事一筋だんておかしいとか、間違っても口にしませんよね」

「誰ですか、そんな頭のおかしい事を言っている人は。まさか私の知り合いではありませんよね?」

「いえいえ、滅相もありません。今のは私の仮定の話でして。本題はこれからです」

「そうですか? それで、その女性に関する話なのですよね?」

 冷静に話を聞いてくれるラミアに安堵しながら、シレイアは本題を切り出した。


「はい。その女性が昔から交友がある、これまた結婚せずに仕事一筋の男性から求婚されました」

「それはおめでたいですね」

「それが、一概にそうとは言ない状況で……」

 そこで言葉を濁したシレイアを見て、ラミアが慎重に確認を入れてくる。


「やっぱり、部外者の私が耳にしてはいけない内容でしょうか?」

「ラミアさんだったら、軽々しく口外されないのは分かっています。その、ですね……。結婚すると言ってもすぐにではなくて、十年とか二十年後の彼女が仕事を辞めた後に結婚する前提で、それまでは婚約期間になる前提です」

 シレイアが端的に内容を告げると、ラミアは一瞬驚いた表情になったものの、淡々と感想を述べた。


「あらまあ……、随分と斬新な考え方ですね」

「今、『斬新』の一言で表現したラミアさんを尊敬しました」

 一般的な感覚であれば相手の本気を疑うだけではなく、「非常識」とか「信じられない」とか「何を考えているんだ」などの非難や罵詈雑言が発生する可能性すらある話にラミアが全く動じていないのを見て、シレイアは本気で感心した。そこでラミアが、確信しているような口調で告げる。 


「その女性は、商売をなさっている方ではないのですね。それにシレイアさんの話しぶりだと、官吏や騎士の方でしょうか?」

「分かりますか?」

「商売人や職人だったら、結婚しても働くのは別におかしくありませんでしょう? 仕事を続ける為に婚約期間が延びるというなら、シレイアさんの環境で考えるなら王宮勤めの方ですよね? 女性で通いの方はごく少数でしょうし、結婚後もそれ以前と同様に勤務ができるとは考えにくいですから」

 その指摘に、シレイアは深く頷いた。


「仰る通りです。それで悪気はなかったですし、偶々その場に居合わせてしまったのですが、その時彼女が返事をせずにその場から遁走しまして。それから、なんとも気まずい思いをしました」

「逃げ出した女性と、残された男性。双方に見つかったわけですね……」

「その通りです……」

(ああ、思い出すだけで、あの時の気まずさが蘇ってくる……)

 当時の状況を思い返し、シレイアはがっくりと肩を落とした。そんな彼女に、ラミアが同情する視線を向ける。


「それは確かに、気まずい思いをしましたね」

「私が気まずい思いをするだけなら良いんですけど、結果がどうなるのか心配で。私個人はその二人がお似合いだなとは思っているのですが、その女性がその時の事を『予想外の災難』とか口にしていたので、相手があっさり振られるかもしれないですし」

 気を揉みながらシレイアが話していると、ラミアが顔つきを改めて尋ねてくる。


「シレイアさん、少し確認させてもらえますか?」

「はい、何でしょうか?」

「お二人ともこれまでは仕事一筋で、相手といわゆる交際とかはしていなかったのですよね?」

「そうですね。色々な事で、定期的に顔を合わせていた筈ですが」

「その女性の方は長年官吏としてお勤めされている位ですから、自分の主張は明確に相手に伝えるタイプの方ですよね?」

「そうですね。そうでないと、官吏として務まらないと思いますし。彼女は所属部署でもベテランで、重きを置かれていますから。それなりに自己主張をする方だと思います」

「それなら別に、相手が嫌だとか結婚するなんて論外というわけでなくて、単に驚いてどうすれば良いか咄嗟に判断できなくて、反射的に逃げ出してしまっただけだと思いますが」

 真顔で主張されたシレイアは、自信なさげに応じた。


「そう、でしょうか?」

「そうだと思いますよ? そういう女性なら、嫌ならその場ではっきりお断りすると思います」

「そうかもしれませんね……」

「ですから、シレイアさんがそこまで気を揉まなくても、それほど時間を要さずに良いお話が聞けると思いますよ?」

「そうだと良いんですが」

「私の商売人としての勘を信じてください。温かく、二人を見守っていれば大丈夫です」

「分かりました。そうします」

 力強く断言されたシレイアは、救われたような気持になりながら頷いた。するとここでラミアは、笑いを含んだ口調で予想外の事を申し出てくる。


「ところで……。今の話が売れ筋になりそうな本の原型になりそうなので、できればシレイアさんが話せる範囲で、もう少し双方のお話を詳しく聞かせていただけませんか?」

 万が一本になったりしたら、確実に当事者二人に怒られると思ったシレイアは、慌てて懇願した。


「ラミアさん、勘弁してください。誰に書いて貰うにしろ、そんな本が出たら私が話を漏らしたと二人にバレますから! 下手をすると、二人から怒られるだけじゃすみませんよ!」

「ここに原稿を持ち込む方で、そんなあっさり露見するような本を書く方は、エセリア様を筆頭に一人もいらっしゃいませんよ? 安心してください」

「それはそうかもしれませんけど~」

 ここでラミアがおかしそうに笑っている事で、どうやら本気ではないと悟ったシレイアは、釣られて思わず笑ってしまった。それで最近の沈鬱な気持ちが、かなり軽減している事実に気がつく。


(なんか笑ったら、どうでも良くなってきた。ラミアさんに保証して貰って、気が楽になったし。ラミアさんが言う通りここは一人でじたばたせず、二人がどうなるか静かに見守ろう)

 完全に腹を括ったシレイアは、それから二人の事は完全に頭の片隅に追いやり、本の選定に集中して穏やかな、かつ有意義なひと時を過ごすことができた。




























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