(3)噂話と目標

 宣言通り、母親に起こされる前に目覚めて余裕で身支度を済ませたシレイアは、朝食を準備してくれたステラに礼を言って実家を出た。王宮へ戻る為に近所の広場に設けられている乗合馬車の待合場所に行くと、見知った顔を見つけて駆け寄る。


「アイラさん、おはようございます!」

 すると馬車待ちの最後尾に並んでいたアイラは、笑顔で振り返って挨拶を返してきた。


「あら、シレイア。おはよう。実家に戻っていたのね」

「はい。アイラさんも家にお戻りだったんですね」

「そんな風に言われると、いまだに照れくさいわね」

 衝撃的な婚約宣言後、少ししてからマルケスが二人で生活するのを見越した家を購入した。勤務の都合上、いまだに王宮内の寮で生活しているアイラだったが、それを期に休暇にはそちらに出向いて彼と生活しているのを知っていたシレイアは、しみじみとした口調で感想を述べる。


「本当に、マルケス先生が買った家が、実家の割と近くだったと知った時には驚きましたよ」

「私もよ。休暇でこちらに来ている時、たまにステラさんと顔を合わせて色々教えて貰って助かっているわ」

「それは私も聞いています。『さすがにベテランの官吏だけあって、向上心溢れて何事にも熱心に取り組む方だわ』と褒めていました」

「それは褒め言葉とは違うでしょう。家事全般や世情に疎くて、色々一から教えて貰っているのだし」

「いえ、そんな。母は嫌味とか軽々しく口にするタイプではありませんし、本当に何事にも真摯に取り組むアイラさんの姿勢を賞賛しているはずですよ?」

「そう言って貰えると嬉しいのだけど」

 控え目に微笑むアイラを見て、シレイアは微笑ましく思うと同時に、このような型破りな生活が可能になっている現状に思いを馳せた。


「それにしても……、今の時代に生まれていて良かったです。王都内とその近郊での乗合馬車網が急速に発達したのは、この二十年程の間だと聞いています。それで私も気軽に、実家に戻れますし。そうでなかったら王都の外郭地域に住んでいる庶民の官吏は足が無くて王宮に通うのも一苦労ですし、そもそも貴族でもない庶民は気軽に王都近郊まで出向くことができなかったはずですし」

 その指摘に、アイラも深く頷きながら同意を示す。


「確かにそうね。私が官吏として勤め始めた頃は、仕事でもなく貴族でもないのに遊興のために郊外に足を運ぶのは、それなりに裕福でないと難しかったわね。確か……、今の民政局長が、庶民の足としての乗合馬車網の構築を提言したのではなかったかしら?」

「そうなんです。それを王妃様が取り上げて、施策として取り入れてくださったのですよね? それを知った時、そんな有能な人の下で働けているなんてと感動しました」

 嬉々として直属の上司の話題に食いついたシレイアを見て、アイラの顔が無意識に綻ぶ。


「本当にあの方は有能ね。有事に遊水地として活用する庭園構想を持ち出した時には、その非凡さに呆気に取られたわ」

「実は昨日、そこに行ってきたんです。それで益々、こういう仕事を手掛ける官吏になりたいなと、決意を新たにしたところです」

「そうだったの。それは良かったわね。私も何回か出向いているけど、今頃は何の花が見頃だったかしら? 誰かお友達と行って来たの?」

「はい。ローダスと行ってきました」

 何気なく庭園の事を話題に出したアイラだったが、ここで出てきた名前に当惑の表情になった。

 

「え? ローダスって……。確かあなたの同期で、外交局所属のローダス・キリングのことかしら?」

「はい、そうです。さすがローダス。普段交流のないはずのアイラさんでも、名前を憶えて貰っているんですね」

 てっきり女友達と出向いたのかと思ったアイラは、そこで聞き覚えのある男性官吏の名前が出されたことに困惑したのだったが、そこは濁すことにした。更に官吏就任から二年近くが経過し、最近目の前の女性が今王宮内で話題になっている賭けの対象として、彼と二人一組で噂されているせいで名前を憶えていたのだが、そこには触れないでおくことにする。


「それは、まあ……。あなたとはまた別の意味で、若手でもなかなかの逸材だと評判だし……」

「え? ベテラン官吏の方々の間で、私も多少は好意的に噂されているんでしょうか?」

「ええと……、そんなところね」

「ありがとうございます。光栄です」

 嬉しそうに礼を述べるシレイアを見て、アイラは余計な事は口にしないでおこうと結論付けて曖昧に微笑んだ。


「因みに、そのローダスとはどういう関係か聞いても良い?」

「はい? 幼馴染で同級生で同期ですね。それがどうかしましたか?」

「いえ、なんでもないわ。やっぱり、気心の知れた長年の友人がいるのって良いわね」

「私もそう思います。もはや腐れ縁っぽいですけど」

「あら、酷い」

 そこでやって来た幌馬車に二人は乗り込み、左右に並んだ長椅子に腰を下ろして話を再開する。


「そういえばそろそろアズール伯爵が王宮に出向いて、学術院設立準備の詳細な説明と正式な協力要請をされると小耳に挟んだのだけど、あなたは聞いている?」

「勿論耳にしていますし、個人的にエセリア様からお手紙をいただきました。うちの局長宛に、正式な要請文書も届いています」

「それで、あなたがそこへの派遣官吏に立候補していると小耳に挟んだのだけど、本当にそうなの?」

 その問いかけに、シレイアは興奮気味に応じる。


「はい! まだまだ若輩者なので希望しても難しいかと懸念していたのですが、少し前に局長から『働きぶりや能力的には申し分ないし、このような新規事業には柔軟な発想ができる若い者の方がよいだろう』と、事実上の内定を告げられました! もう今から、アズール伯爵領に派遣されるのが楽しみで楽しみで!」

「それは何よりだわ。私は少し寂しくなるけどね。私だけではなくて、他の人もそうだと思うけど」

「そう思っていただくのは光栄ですけど、皆さんの期待を裏切らないよう、精一杯努めますね!」

「ええ、頑張ってね」

 笑顔で激励したアイラだったが、喜びに打ち震えている彼女の陰で悶々としている存在を考え、このままだとシレイアが自分以上に縁遠くなってしまわないかと、微妙な心情に陥っていた。



 

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