(25)衝撃
専属メイドとしての仕事にも慣れてきたある日、ミスティがルーナに断りを入れてきた。
「ルーナ、ごめんなさい。午後から結婚式の打ち合わせで、お休みを貰うことになっていて」
「大丈夫です。これまでに仕事は一通り覚えましたし、一人立ちの予行演習のつもりで頑張ります」
その時点でミスティの退職日は間近に迫っており、ルーナとしてはいつまでも付いて教えて貰っている場合ではないと、改めて気合いを入れ直した。ミスティも同様のことを考えたのか、表情を緩めながら話を続ける。
「幸いというか……、今日の午後はお客様がいらっしゃるけど、お二人ともエセリア様と以前から親しくお付き合いされている、礼儀作法とかには厳しくない気さくな方々なの。同席するナジェーク様付きのオリガに、あなたのフォローを頼んでおくから」
「ありがとうございます。お願いします」
(いつまでもミスティさんを頼れないもの。ここで一人でもきちんとエセリア様のお世話ができることを証明して、安心して退職して貰わないとね)
そして幾つかの必要な指示をしてミスティは休暇を取って街中へ出て行き、ルーナは客人を迎え入れるために応接室の一つを整えた。
その後、約束の刻限近くになり、エセリアとナジェークが応接室で顔を合わせて雑談を始めた。その様子を眺めながら、ルーナは彼に付き従ってきたオリガに囁く。
「オリガさん、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。今日のお客様はナジェーク様達とごく親しい間柄で対応が難しい方達ではないから、緊張しなくて大丈夫よ」
「リール伯爵家のサビーネ様と、ティアド伯爵家のイズファイン様でしたよね?」
「ええ。それぞれ若様とお嬢様のご友人で、婚約者同士の間柄でもあるのよ」
「そうでしたか」
オリガの解説を聞いて、ルーナはかなり気持ちが軽くなった。そうこうしているうちに、執事に案内されて客人二人がやって来る。
「エセリア様、ナジェーク様。サビーネ様とイズファイン様がいらっしゃいました」
執事に続いて二人が姿を現すと、エセリアは立ち上がって笑顔で二人を出迎えた。
「二人ともようこそ。さあ、座って頂戴」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「呼びつけてしまってすまないね。エセリアが何やら大事な話があるそうで」
「慎んで拝聴します。だがナジェークにも係わりがある話なのかな?」
「どうやらそうらしい。同席しろと厳命が下ってね」
「お兄様、人聞きが悪い言い方をしないでいただけますか? 私は丁重に要請したつもりですが?」
エセリア達が挨拶と気安い会話をしている間に、ルーナとオリガは手分けしてお茶と菓子を準備した。そして全員がソファーに座って落ち着いたタイミングで、それをテーブルに揃える。
「大丈夫よ、ルーナ。お茶を蒸らす時間も、提供するタイミングも丁度良かったわ」
「ありがとうございます」
ルーナが壁際に戻って待機し、お茶を飲み始めたエセリア達を観察していると、オリガが笑顔で保証してきた。それに嬉しくなりながら主達の観察を続けていると、カップをソーサーに戻したエセリアが、予想外のことを言い出す。
「イズファイン様、サビーネ様。お二人の誠実なお人柄を見込んで、是非お願いしたいことがあります。今から話すことは、他言無用でお願いします」
(え? 改まって何事かしら? お二人の他にナジェーク様まで、怪訝な顔をされているし)
エセリア以外の三人が明らかに戸惑った表情になっているのを見て、ルーナは首を傾げた。するとエセリアが、真顔で爆弾発言を繰り出す。
「単刀直入に申し上げますと、私、グラディクト殿下に好意など持てません。はっきり申し上げますと、あの方との婚約を解消したいのです」
「こっ、婚約解むぐふわっ!」
エセリアの宣言を耳にした瞬間、ルーナは反射的に悲鳴を上げかけたが、その口をオリガが素早く塞ぎながら小声で叱責してくる。
「しっ! 使用人の分際で、大声を上げてご主人達の会話を遮るなんて、言語道断よ!」
そこで幾らか判断力を取り戻して口から手を放して貰ったルーナは、同様に精一杯声を潜めながら問い返した。
「で、でもっ! エセリア様は王太子殿下の婚約者ですよね!? 婚約解消なんてできるんですか!?」
「……普通のご令嬢には、どうかんがえても無理よね」
「ですよね!」
「でも、ものすごく残念なことに、エセリア様は普通のご令嬢ではないのよ。あの方は、やると言ったら必ずやり遂げる方だわ……」
「そんな……」
「ルーナ、大丈夫!? しっかりして!」
沈鬱な表情で語るオリガを見てルーナの顔から血の気が引き、ふらついて床にへたり込んだ。そんな二人には構わず、ソファーでは激論が繰り広げられる。
「私は、エセリア様の意向に賛同いたします! グラディクト殿下はエセリア様に相応しくありませんわ!」
「サビーネ!? 君までいきなり、何を言い出す!?」
「イズファイン様。これは、私個人の考えではございません。紫蘭会会員の総意です」
「はぁ? 『紫蘭会』とは何の事だ?」
「ワーレス商会書庫分店奥に設置されている、通称『紫の間』。正式名称『男性同士恋愛本展示即売の間』に入る事を許可された方々の会です。主催者であるコーネリア様が、紫蘭会会長兼会員番号1番でいらして、事務局長で副会長兼会員番号2番がラミア様です!」
得意満面でサビーネが語った内容を聞いて、ルーナは座り込んだまま盛大に顔を引き攣らせた。
(ええと……、『男性同士恋愛本』って、採用の最終試験で読ませられた、あれのことよね? その類の愛好者の集まりが『紫蘭会』ということで、その主催者がコーネリア様……。あれが使用人の間だけではなくて、貴族の方々にまで浸透していたなんて……)
既に嫁いでいたコーネリアとは屋敷に来てからも顔を合わせたことはなかったが、領地の館では何度か姿を見たことがあり、その優雅な立ち居振舞いを思い出したルーナはがっくりと肩を落とした。ルーナが何を考えているのか分かったのか、床に膝をついたままの体勢で、オリガが軽く肩を叩いて慰めてくる。
「『紫の間』で会員が顔を合わせる時に、度々話題に上るのがエセリア様の事なのです。皆様、エセリア様が男恋本ジャンルの先駆者で、第一人者であるとご存じですもの。暗黙の了解で、口外してはおりませんが」
(そういえば、そうだったわよね……。本当に、れっきとした公爵令嬢で王太子殿下の婚約者が、ああいう本を書いてしまって良いの? 公爵様と奥様は緩すぎると思うわ)
サビーネの話で、以前ケイトから聞かされた内容を思い出したルーナは、遠い目をしてしまった。そんな中、エセリア達の容赦ない話が続く。
「取り敢えずクレランス学園入学後に、サビーネ様には情報操作というか意識操作をお願いしたいのです」
「どういう意味でしょうか?」
「殿下を直接非難したり、私と比較するのは駄目ですが、『エセリア様のような完璧な方が、殿下の婚約者であれば安泰』とか『エセリア様が婚約者だなんて、お幸せですわね』とか、折に触れ口にして頂きたいのです」
そう言って皮肉っぽく微笑んだエセリアを見て、サビーネも意味深な笑みを浮かべる。
「なるほど……。さり気なく自分の非にはならないように、陰で巧妙に殿下の劣等感を煽るわけですね?」
「ええ。これはサビーネ様だけで行うというわけにはいきませんし、周りを誘導するのは難しいと思いますが」
「お任せ下さい! 同学年に紫蘭会の会員が三人在籍しています! 彼女達と示し合わせて、エセリア嬢の望む方向に必ず誘導してみせますわ!」
「それは心強いですこと」
そこで傍目には優雅に笑い合っている二人を見て、ルーナは絶望的な心境になった。
(エセリア様、本気だわ。本当に王太子殿下との婚約を破棄に持ち込む気で、殿下を陰でいびる気満々だなんて……。この人が、私のご主人様……)
「……あ、ちょっとルーナ! どうしたの! しっかりして!」
何やらオリガが自分に呼び掛けているのは辛うじて分かったものの、立て続けに衝撃に襲われたルーナは、そこでそのまま意識を手放してしまった。
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