(26)密談

 ルーナがゆっくりと瞼を開けると、視界にひろがったのは見慣れない天井だった。

(あれ? ここ、どこだっけ? 私の部屋じゃないよね? ええと……、何をしてたんだっけ? お客様が来て、お茶をお出しして……)

「婚約破棄!?」

 記憶を手繰り寄せたルーナは、とんでもない内容を思い出した瞬間、声に出して勢い良く跳ね起きた。そして自分がメイドの制服姿のまま、ソファーに横たわっていたことに気がつく。


「え? ええと……、ここはどこ? 私がいた筈の第2応接室じゃなくて……、記憶に間違いがなければ第3応接室、よね? 私、どうしてこんな所にいるの?」

 ルーナが周囲を観察しながらソファーに座り直し、呆然自失状態に陥っていると、ドアが開いてオリガが現れた。


「あ、ルーナ! 良かった、気がついたのね! 意識が戻らなかったら、医師に診て貰おうかと思っていたわ」

 どうやら自分の様子を確認しに来たらしいオリガが安堵した顔つきで駆け寄ってきたのを見て、ルーナは申し訳なく思いながら頭を下げる。


「オリガさん、ご迷惑おかけしました。あの……、そうすると私、接客の最中に気を失ったんですよね? 本当に申し訳ありません」

「大丈夫よ。この応接室は空いていたし、ここで暫くあなたを休ませる許可をメイド長から貰ってあるわ。今回はあなたの健康管理に問題があったわけではないし、エセリア様がいきなり突拍子もないことを言い出したせいだもの。まだ慣れていないルーナが動転するのも無理はないわ」

 そこでルーナは、ひたすら恐縮しながら問いを発した。


「あの……、まだお客様はいらっしゃるのでしょうか?」

「二人ともお帰りになったわ」

「そうですか……。色々とご迷惑おかけしました」

「本当に大丈夫だから。全く……、エセリア様はともかく、ナジェーク様まで同調するなんて……」

 苦々しげにオリガが口にした台詞を聞いて、ルーナは嫌な予感を覚えながら尋ねた。


「オリガさん……、その『ナジェーク様まで同調』というのは……」

「エセリア様の婚約破棄に関して、他のお二方同様、ナジェーク様も全面的に協力するということよ。勿論、他言無用ということでね」

「そんな……。王家との婚約を解消するなんて無理ですよね!? 公爵様も反対されると思います!」

 やはり自分の聞き間違いではなかったと落胆しつつも、ルーナは精一杯反論してみた。しかしオリガは、諦めきった表情で話を続ける。


「エセリア様達は、旦那様や奥様には内密のまま、話を進めるつもりよ。私も口止めされたわ」

「はぃ!? 本当に自分達だけで、そう持ち込むつもりですか?」

「ええ。しかもシェーグレン公爵家には、傷がつかない形でね」

「ご当主夫妻にまで内密だなんて、どう考えても無理ではないかと思いますが……」

「そう思いたい気持ちは、痛いほど分かるけど……」

 あまりと言えばあまりの事態にルーナが愕然としていると、再びドアが開いた。


「失礼するよ? ……ああルーナ、良かった。気がついたんだね? 私達の配慮が足りなくて、申し訳なかった」

「オリガが他の部屋で休ませてくれたと聞いて安心したけど、話に夢中であなたが運び出されたのに全く気がつかなくて……。驚かせてしまって、本当にごめんなさい」

 ナジェークとエセリアが揃って現れた上、真摯に謝罪されたルーナは狼狽しながら立ち上がり、勢い良く頭を下げた。


「いえ! お二人に謝っていただくことではありません! むしろ勤務中に持ち場を離れて、大変失礼いたしました!」

 するとナジェークが、何やら楽しげに声をかけてくる。


「それでは互いに謝罪したところで、本題に入ろうか」

「え? 本題?」

「勿論、君が先程耳にした話についてだよ? 取り敢えず皆で座ろう」

「…………」

 頭を上げた途端、不気味に微笑んでいるナジェークと目が合ってしまったルーナは僅かに顔を強張らせたが、達観した表情のオリガに促されてソファーに座り直した。そしてルーナの隣にオリガ、向かい側にエセリアとナジェークが座り、とても他者には聞かせられない密談が始まった。


「ルーナ。さっき聞いたと思うけれど、私は王太子殿下との婚約破棄を望んでいるの。だけど王家側からの申し入れで調った婚約だから、こちら側から解消を願い出るのは難しいわ。それにお父様とお母様に心労をかけたくないし、両親や他の使用人達には内密に進めようと思っているの」

 エセリアから真顔で話を切り出されたルーナは、動揺しながらもなんとか言葉を返した。


「あの、でも……、内密に進めるとは、一体どうやって……」

「私と殿下は、もうすぐクレランス学園に入学するわ。その在学中に裏工作をして、向こうから婚約破棄をするように仕向けるのよ」

「仕向けるって……、そんな無茶な!」

 もうどうしたらよいか分からなくなったルーナが涙ぐみながら声を裏返らせると、ここでナジェークがさりげなく会話に割り込んだ。


「ところでルーナ。君は、このシェーグレン公爵邸の使用人だね?」

「え? あ、はい。そうでございますが……」

(ナジェーク様? いきなり何を言い出すの?)

 にこやかに問われてルーナは戸惑ったが、素直に頷いた。するとナジェークは、笑顔のまま話を続ける。


「公爵家の当主は言うまでもなく父上だが、この家の次期当主は私で、君が今現在直接仕えている主はエセリアだよね?」

「……そうでございますね」

「ところで君の家族は、今でも領地で暮らしていると思うが」

「はい、その通りです」

「君が王都のこの屋敷で働くことになって、ご家族はさぞかし鼻が高いだろう」

「はぁ……、それを周囲にひけらかしたりするような人達ではありませんが、喜んでくれていました」

「だが、すぐにお役御免になって領地に戻ったりしたら、何事があったのかと変な噂が立ったりしないかな? ご家族も、周囲から変な目で見られるかもしれないね」

「……………………」

(ええと……、ひょっとして私、このことを口外したらクビだと、ナジェーク様に脅されているのかしら?)

 相変わらず笑顔のナジェークを見て、ルーナはどう反応すべきか迷った。するとエセリアが兄に食ってかかる。


「お兄様! 私が慎重にルーナにお願いしようと思っている横で、いきなり脅さないでいただけますか!?」

「脅す? オリガ、私が何かそんなことを言ったかな?」

「……ナジェーク様、笑顔が白々しすぎます」

「ほら! オリガだって呆れているじゃありませんか!」

「酷いな二人とも。私は単に、事実と現状をルーナに再認識して貰おうと口にしただけだよ?」

「穏やかな口調での脅迫ですわね。全く、外面はそのままに、内面は年々黒くおなりで」

「本当にその通りよね!」

「二人とも、そこまで酷評しなくともよいと思うのだが」

 エセリアが憤然と、ナジェークが笑顔で、オリガが呆れ顔で言い合うのを無言で眺めたルーナは、すぐに腹を括った。


(うん、エセリア様はどうみても本気だし、新参者の私が意見したって翻意してもらえる可能性は低いわよね。それにナジェーク様まで協力しているなんて、かなり大がかりなことになりそう。だけど……)

 そこである懸念に思い至ったルーナは、エセリアに尋ねた。


「あの……、このことを他の方に内密にするのは分かりました。旦那様や奥様にも余計な心労をかけたくないという、エセリア様のお気持ちも分かります。それで一応お尋ねしますが、今現在エセリア様付きのミスティさんにも内密にするのですか?」

 ルーナがそう尋ねた途端、三人は揃って真顔になって懇願してくる。


「お願い! ミスティにも内緒にしておいて!」

「こんなことをこの時期に彼女の耳に入れたら、結婚退職を返上しかねないから!」

「やっとエセリア様を任せられる人材を配置して貰って、これで心置きなく辞められると安堵していたのよ! 余計な心配はさせたくないわ!」

 三人の主張を聞いて、私の心労はどうでも良いのだろうかとルーナは少々やさぐれたが、それは面に出さずに了承の返事をした。


「……分かりました。私の胸の内だけに留めておきます。その代わり、最後まで露見しないようにしてください。後から内密にしていたことを旦那様や上の方々から責められたくはありませんので。下手をすれば、領地の家族に迷惑がかかります」

「勿論よ、任せて頂戴! 三年間隠し通して、必ず婚約破棄に持ち込んで見せるから!」

「困難なほど、目標達成の意欲が増すからね」

「取り敢えず、お二方の好きなようにさせておけばよいと思うわ。見ないふり聞かないふりが、心の平穏を保つコツよ」

「オリガさん……、達観してますね」

 自信満々に頷いた兄妹を見て、ルーナは溜め息を吐きながら助言してきたオリガの言葉に、従うことにしたのだった。

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