(30)和解

「一昨年母さんが死んだ時、葬式に呼ばなくて悪かった。父さんが『絶縁している人間など、呼ぶ必要はない!』と主張したものだから、お前の顔を見た途端、葬式をぶち壊す騒ぎになりかねないと思った」

 神妙な面持ちで口にした後、ダンは軽く頭を下げた。アイラはそれに溜め息を吐いて応じる。


「別に気にしていないわよ。現に兄さんの結婚式に出向いた時は、場をぶち壊す寸前の状態になったしね。母さんだって、自分の葬式に参列してくれる人たちに迷惑をかけたくはなかったでしょう」

「母さんが死んだ後、遺品を整理していたんだが、遺言らしき物が見つかった。そこに書いてあった内容だが、大して持っていなかったアクセサリーや生活用品は、俺の妻と妹でそれぞれ割り振ってあった。そして保管してあったお金は、全てお前に渡す指示があった」

「え? お金って?」

 意味が分からなかったアイラは、怪訝な顔になった。それを見て、今度はダンが溜め息を吐いてから説明を加える。


「本当に、コツコツ貯めた金だよ。家計のやりくりをして、少しずつ余剰金を貯めていたんだな。ベテラン官吏のお前の俸給から考えると、本当に微々たる金額だろう。本当に、馬鹿だよな……。『お父さんの言う事に反対できなくて、子供のうちから独りで放り出して悪かった。何か困った事があったら使って欲しい』と書いてあった。だが結局、父さんが『無関係の人間に渡す金なんかないし、高給取りの官吏様なんぞがこんなはした金なんぞ欲しがるか!』と吐き捨てるように言って、全額修学場に寄付したんだ。それでお前には渡っていない」

「………………」

 それを聞いたアイラは、微妙な顔で押し黙った。シレイアは衝立越しに聞いた話の内容に、本気で怒りを覚える。


(アイラさんのお母さん……。そんな遺言を残すぐらいなら、本当に生きているうちに本人に言ってあげてくださいよ! だけどアイラさんのお父さん、想像以上に酷くない? 頑固ジジイってだけじゃなくて、死んだ奥さんの最期の切ない想いもくみ取れないわけ? あれ? でも、自分でお金を使ったりしないで、無関係の子供の為に修学場に寄付しちゃったの?)

 修学場って、アイラさんのお父さんにしてみれば、娘を唆した悪の巣窟とかのイメージじゃないのかしらと、シレイアは若干の引っ掛かりを覚えた。するとダンのしみじみとした声が伝わってくる。


「母さんは昔から表立って父さんに反対できなかったが、できればお前を応援したかったんだよ。でもそんな無責任な事は、親としてできなかった。娘を立派に独り立ちさせることが母親の役目だと思っていたから、博打にも等しい官吏の道を目指すなんてとても容認できなかったんだ。だけどお前がちゃんと官吏になったのを人伝に聞いて、凄く安心したはずだ。だから、せめて自分でできる事をやりたかったんだよ。自己満足にしか過ぎなかったと思うがな」

「母さんに、もの凄く心配をかけたっていう自覚くらいはあるつもりよ」

「そうだろうな……。そうでないと、死んだ母さんが浮かばれない」

 ここで会話が途切れ、少しの間沈黙が漂った。シレイアは固唾を飲んで事の成り行きを見守っていると、意を決したようなダンの声が聞こえてくる。


「それから……。お前は信じないかもしれないが、父さんもお前の事をそれなりに心配していたはずだ」

「…………」

(お兄さん……。私も、もしかしたらそうじゃないかなとは思ってはいましたが、とても素直に「はい、そうですか」と頷けない状況なのですが……)

 どういう風に話を持っていく気なのかとシレイアが戦々恐々としている中、ダンは静かな口調で話を続けた。


「父さんだが……、今年に入ってから体調を崩してな。最近、ほぼ寝たきりの状態になっている。医者は、老衰で長くはないと言われている。母さんも死んでいるし、おかしくない年だよな」

「そう……」

「時々、意識が朦朧とする時もあってな。この前、目を覚ました時に偶々俺が枕元にいて、尋ねられたんだ。『母さんはどこにいる』とな。本気で呆けたと思った」

 そこでアイラが、僅かに眉根を寄せて尋ねる。


「……なんて答えたの?」

「咄嗟に『台所にいる』と誤魔化したさ。そうしたら次に『アイラはどこにいる』と言ったんだ」

「それで?」

「『アイラは家を出て、官吏として働いているだろ。忘れたのか?』と言ったら、『なんだ、あいつはまだ辞めさせられずに、王様のお役に立っているのか。王様は随分と、物好きなお方だったんだな』と満足そうに言って、すぐにそのまま機嫌よさそうに眠った」

「………………」

 兄の話を聞いたアイラは、意外そうな顔で固まった。次いで何とも言い難い顔で押し黙る。そんな妹の顔を見やりながら、ダンは真顔で言葉を継いだ。


「今までお前のために、何もできなくて悪かった。だが、これが最後のチャンスだと思ったんだ。家に来て、父さんに会って欲しい。父さんの代わりに、おれを殴るなり蹴るなり好きにしていい。この通りだ」

 真摯に頭を下げた兄を見て、アイラが嫌そうに顔を歪める。


「あのね……、兄さんは私をどんな暴力女だと思っているのよ……」

「俺が把握している限り、父さんはお前が出て行って以降、今まで一度たりともお前を褒めたり認める発言をしていない。だが母さんと同じで、口には出さなくてもお前を認めて密かに、心の中で誇りにしていたと思うんだ。本当に夫婦揃って馬鹿で頑固で素直じゃないよな」

 ここでアイラが口にした台詞は、とても素直とは言い難い代物だった。


「反面教師としては最高レベルじゃない? 父さんと母さん血を引いているんだし、義姉さんに愛想を尽かされる前に、この際自分の言動を省みた方が良いわよ?」

「それをお前が言うのか?」

 思わず顔を見合わせた兄妹は、揃って小さく笑いを零した。再び短い沈黙が生じた後、アイラが口を開く。


「……兄さん。これから家に行っても良い?」

「え? 今から?」

「支障がなければ、父さんを見舞って帰るわ。後日マルケスと一緒に、改めて婚約の報告に来るつもりだけど。それで構わない?」

 淡々とした口調ながらも、アイラの気持ちが分かったダンは、笑みを浮かべながら応じた。


「そうか……。ああ。今からでも構わない。彼にもよろしく伝えておいてくれ」

「分かったわ。それじゃあ取り敢えず、飲んでしまいましょうか」

「すっかり冷めたな」

「そうね」

 互いに素っ気ない口調ながらも醸し出す空気には刺々しいものはなく、二人がポツポツと近況について話す様子を耳にして、シレイアの両眼にじんわりと涙が浮かんできた。


(うぅ、安心したのとアイラさん達の心情を考えて、涙が出そう……。でもここで泣き出したりして隣に聞こえたら、私がここにいるってバレてしまうし。ここは我慢我慢。こんな事もあろうかと、ハンカチを多めに持ってきて良かったわ)

 零れ落ちそうになった涙を拭き取ろうとポケットからハンカチを取り出したシレイアは、何気なく視線を正面に向けて驚愕した。


(ちょっとレスター! あなた一体、どうしたのよ!?)

 思わず出そうになった言葉を飲み込むほどにシレイアが動揺した理由は、レスターが衝立の方に顔を向けたまま、声を押し殺して滂沱の涙を流していたからだった。しかも彼の手元を見れば、既に相当涙を拭き取ったらしく、かなり色が変わったハンカチが握り締められており、シレイアは半ば呆れ半ば感心した。


「……っ、……ふ、……ぇ、……うぅ、……ぉ」

(レスターったら、随分感情の起伏が激しくなったのね。でも感動で大泣きしても気づかれないように微塵も声を漏らさないのは、褒めてあげるべきでしょうね。さすが密偵組織の一員と言うべきかしら)

 もう苦笑しかできなかったシレイアは、低い声で囁きながら未使用のハンカチを差し出す。


「レスター。これ使って良いわよ」

「……ふぇ?」

「私、あと二枚持っているから。そのハンカチ、もう用をなさなくなっていると思うし」

「……ぅ、……っ、……ゅ」

 呼びかけに応じて顔を向けたレスターは、一瞬泣くのを止めて困惑してから、素直にハンカチを受け取った。そして再び涙を流しながら、何やら目線で尋ねてくる。何を言っているのかは分からないものの、何となく言いたいことの推察はできたシレイアは、事も無げに頷いてみせる。


「ああ、うん。婚約式の時に顔を合わせるでしょうから、その時に返して貰えば良いから。さっきも言ったけどあと二枚あるから、これも遠慮なく使って良いわよ」

「…………ぇ、……ん」

 続けてシレイアが二枚のハンカチを出したのと同時に、隣席で立ち上がる気配がした。慌てて俯いてシレイアが顔を隠すと、アイラが彼女には気がつかずにダンと連れ立って店の外に出て行く。窓越しにその後姿を見送りながら、シレイアは安堵の溜め息を吐いた。


(ここまで目の前で無言で大泣きされると、涙も引っ込んじゃったわね。とにかく、一件落着で良かった。これで心置きなく準備を進められるわ。寮に戻ったら、皆さんに報告しないとね)

 シレイアはそれから暫くの間、観察対象の二人が立ち去った事で安堵して盛大にむせび泣きし始めたレスターを宥めるのに時間を費やし、最終的にハンカチを三枚提供する羽目になったのだった。



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