(29)報告

「アイラ、久しぶりだな……」

「……そうね」

「手紙を寄こしたのも、しばらくぶりだと思うが……」

「最後に出したのが何年前だったか、はっきりと覚えていないわね」

「……………」

 向かい合って座った兄妹の会話の始まりは、重い空気で始まった。そしてすぐに、沈黙が満ちる。その居心地の悪さは衝立越しでも容易に察知でき、シレイアとレスターは声を潜めて囁き合った。


「アイラさんとダンさん、空気も声も重いな」

「感動の再会とか和やかな空気で始まるなんて、お花畑の空想はしていなかったけどね」

 二人が心配しながら様子を窺っていると、注文した飲み物が運ばれてきたのを契機として、ダンが話の口火を切った。


「それで? 手紙には『話したい事がある』とあっただけで詳細については書いていなかったが、今更何の話があるんだ?」

 彼は何気なく口にしたようだったが、その物言いは微妙にアイラの苛ツボを突いたらしく、彼女は若干強い口調で話し出す。


「ええ、本当に今更よね。私もそう思うわ。だけどね、幾ら将来有望な才能ある官吏でも、今年入ったばかりの新人にあそこまで言われて何も言わずに引っ込んでいるなんて、私の官吏としてのプライドが許さなかったの。だから一応血の繋がりがあるんだから、ちょっとだけ時間を割いて貰っても罰は当たらないと思ったのよ」

「おい、アイラ? だから、何の用なんだ?」

 全く話の筋が見えなかったダンは、困惑した声を上げた。その一方で、アイラの台詞に密かに快哉を叫んだ者もいた。


「え? まさか、その『将来有望な才能ある官吏』って私の事ですか? アイラさんにそんな風に思われていたなんて、感激ですし光栄です」

「おい、シレイア。冷静にな。間違っても突撃するなよ?」

「それくらい、分かっているわよ」

 さすがにここで大声を出すわけにはいかないと自重したシレイアは、目を輝かせながらも小声で呟く。そこで衝立の向こうで、事態が急変した。


「兄さん。私、結婚するから」

「え?」

「だから、婚約したのよ。実際に結婚するのは官吏として勤め上げた後の、十数年後になりそうだけど」

「はぁ?」

「以前、『女の幸せは結婚することだ』とか父さんと一緒に御託を並べていたけど、最後まで官吏としてご奉公した上で、結婚もするんだから文句はないわよね」

「いや、ちょっと待て」

「何? 非常識だとか外聞が悪いとか言うわけ? そもそも『女が官吏になるなんて非常識だ』と言ったのはそっちだし、縁を切ったのもそっちだから今更外聞なんか気にする必要はないわよね」

 喧嘩腰のアイラの通告に、ダンは呆気に取られて言葉を失った。しかしどんどん進む話に我慢できなくなったのか、軽く拳でテーブルを叩く。


「詳しく説明を聞きたいだけだ。お前の為に時間を割いたんだから、それ位はしろ」

「……分かったわよ」

 軽く睨みつけながら語気強く迫った兄に、アイラは少々嫌そうな顔になったものの、素直に詳細について語った。そして彼女が一通り話し終えると、ダンが真顔で頷く。


「なるほど……。良く分かった」

「そう。それなら良かったわ」

 これで話は終わりだと思って立ち上がりかけたアイラだったが、ここでダンが予想外の事を言い出した。


「相手の名前、マルケス・アズレーとか言ったな。もしかして、総主教会付属修学場の出身か?」

「ええ、そうだけど……。どうしてそんな事を聞くわけ?」

「聞き覚えがあった名前だからさ。昔、親父に直談判しにきた奴だよな?」

「え? 直談判? 何の事?」

 言われた内容が理解できなかったアイラは、困惑して首を傾げた。対するダンも、不思議そうに妹に問い返す。


「は? お前、本当に知らないのか? 親父に『アイラを給費生にして勉強させてあげてください』って頼みに来て、『ガキのくせに、他人の家の事に口を挟むな』って親父に蹴り転がされたんだが」

 それを聞いて、今度はアイラが拳でテーブルを叩きつつ怒声を上げた。


「何それ!? 初耳よ!! それに給費生云々って事は、子供の頃の話よね!? 子供相手に何してるのよ!?」

「いや、さすがに俺も、あの時は割って入って止めたぞ?」

「蹴られる前に止めなさいよ!!」

「うん、本当に悪かった」

「謝る相手が違うわよね!?」

「彼にもだが、お前にも本当に悪い事をしたと思っている」

「……兄さん?」

 声を荒らげたアイラだったが、神妙な様子の兄を見て、取り敢えず怒りを抑えて相手の言葉を待った。そして少しの沈黙の後、ダンが静かな口調で語り出す。


「あの頃の俺は男は家業を継いで、女は将来に不安がない相手の所に嫁ぐのが安定した幸せだと信じていたからな。勿論、親父とお袋もそうだったが。だから基礎的な読み書きや計算とか教えてくれる修学場には通ったが、それ以上勉強する気もなかった。それなのにお前ときたら、『もっと勉強して官吏になりたい!』とか真顔で言い出すから……。いや、本当に度肝を抜かれたぞ」

「……悪かったわね」

「まさかな……。家を飛び出したものの、どうせ方々に迷惑をかけて早々に戻って来ると思いきや、本当にクレランス学園に合格して官吏登用試験にも受かって、立派な官吏様になるとは。あの頃は夢にも思っていなかったな……」

「今だから言うけど、家を出る時に父さんからその類の捨て台詞を吐かれたから、何が何でもこの家には戻らないって覚悟で頑張れたのだけどね」

「そうか……」

 苦笑まじりのアイラの台詞に、ダンの声にも同様のものがにじむ。しかしすぐに、真摯な口調に戻った。


「あの頃、自覚していなかったが、俺はお前に嫉妬していたんだと思う。自分の可能性を信じて、まっすぐに進もうとすることができるお前にな。俺には間違ってもできない事だったから。羨ましくて、でも同じ努力もできず才能もなく、子供だったから上手く言葉にもできなかった。だから親の言う通りにして、同じように生活していけば良いのに馬鹿な奴だと思い込んでいた。そして疑いもなく、そう口にしていた」

「兄さんだって当時は子供だし、今も昔もそこまでの見識を求めるつもりはないけど」

 沈鬱な表情の兄を見て、アイラはわざと素っ気なく言い返した。それを聞いたダンが、しみじみとした口調で溜め息まじりに告げる。


「今も昔も、お前は時々結構きつい物言いをするよな。彼は、一体お前のどの辺が良かったんだか……」

「ほっといてくれない!?」

「いや、嫌味ではなくて、本当に感心しているんだ。彼、お前の為に土下座までしたんだぞ? 子供の頃から好かれている相手と結婚する事が決まって、良かったじゃないか。それにこの年になるまで辛抱強く待っているなんて、相当気骨のある奴だなと。一歩間違えれば粘着質と言えない事もないが」

「あ、あのねぇっ!!」

 さすがにアイラがムキになって言い返そうとしたが、ダンは手振りでそれを中断させて話を続けた。




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