(18)とんだとばっちり

 最初カテリーナは、自分の横を鳥か何かが横切ったのかと思った。しかし次の瞬間、ドカッ!という衝突音に続いて、ドガシャッ!という派手な落下音で地面に視線を向け、自分の至近距離で置時計とかなり大きな石が衝突した挙げ句に、落下したのだと分かった。

 

「……え?」

「きゃあぁぁっ!」

「なっ、何っ!?」

 何があったのかは分かったが、どうしてこんな事になったのかが咄嗟に判断できずにカテリーナが固まり、遅れて気が付いたティナレアとモリーが顔を青ざめさせて悲鳴を上げかけたところで、ピィィィィーーーーッ!!という一際高い音が周囲に響き渡る。


「え、えぇぇっ!」

「サビーネ!」

 三人が慌てて音のした方に目を向けるとサビーネが冷静にホイッスルを口に咥え、力一杯それを吹き鳴らしていた。その尋常では無い音を聞き付けて、周囲から人が集まってくる気配が伝わる。


「何だ、どうした!?」

「変な音が聞こえたけど」

「何事なの?」

「こっちだ!」

 それで冷静さを取り戻したカテリーナは、素早く置時計が飛んできた方向を目算し、二階の教室の一つに目を付けた。


(この置時計がどこからか投げ落とされたのは確実だけど、これで飛んできた石が私達に激突するのが回避できた? この時計の落ちてきた方向を考えると、投げられたのはあそこの教室の、あの窓? あそこって……)

 考え込んだカテリーナだったが、そこでホイッスルを元通りしまったサビーネが、他の三人を促した。


「さあ、これで二投目はありませんわ。急いでこの場を離れましょう!」

 それにとても承服できなかったティナレアが、憤然としながら言い返す。


「でもサビーネさん! 石を投げつけるなんてふざけた奴、絶対にその辺りに居る筈よ! 許せないわ! 探して引きずり出してやる!」

「ティナレアさん。気持ちは分かりますが、実際に投げる所を見ている人はいないと思いますし、糾弾しても水掛け論にしかならないと思いますわ」

 サビーネの指摘に、カテリーナも真顔で頷く。


「逆に、こちらの自作自演で名誉毀損だと訴えるかもしれないわね。どうせサビーネのホイッスルの音で肝を潰して逃げ出したでしょうし、探すだけ無駄よ」

「ティナレアさん。怒りは重々承知していますが、その怒りを試合にぶつけましょう」

 モリーにも気の毒そうに宥められて、ティナレアは歯軋りをしながらも何とか自分を納得させた。


「……分かったわ。誰が相手でも、絶対に勝ちをもぎ取ってやる。カテリーナも負けちゃ駄目よ!」

「そのつもりよ」

 そして集まってきた野次馬が、一部が破損したまま地面に転がっている置時計を発見して騒ぎ出す中、カテリーナ達はそ知らぬ顔でその場を後にした。


「ナジェーク! お前と言う奴はぁぁっ! いきなり置時計を投げる奴があるか、この馬鹿野郎!」

 彼女達が立ち去るまでを窓の陰からこっそり観察して安堵したイズファインは、改めてナジェークに掴みかかって壁に押し付けながら恫喝した。それにナジェークは、台詞だけは殊勝に応じる。


「すまない。咄嗟に他に投げる物を思い付かなかった。今度は靴を投げる事にする」

「そんな事を言ってるんじゃなくて! 下手をすればカテリーナに直撃して、大怪我をさせていたぞ!」

 本気で叱り付けたイズファインだったが、ナジェークは全く恐れ入る事は無く、寧ろ両目を物騒に底光りさせながら淡々と呟く。


「ああ……。この私に、そんな危険な真似をさせるとは……。やはりあのろくでなしは、五年と言わず二年以内に潰す事にする。たった今、そう決めた」

「何か激しく論点がずれているよな!? お前、本当に自分のやった事が分かってるのか!?」

「当たり前だ。だから去年カテリーナに怪我をさせた時点で制裁を与える事は決めていたが、それを前倒しすると言っている。ところで、誰にも投げたところを見られなかったよな? 実行委員会自ら騒ぎを起こしたと言いがかりを付けられて、今さら中止にされるのは御免だ」

「その心配は要らないと思うが……。やっぱりお前はエセリア嬢と兄妹なだけあって、やりたい事に向けて脇目も振らずに突っ走るタイプだよな……」

 こいつには、もう何を言っても無駄だと悟ったイズファインは、完全に諦めてがっくりと肩を落とした。


「失礼します。お邪魔しても宜しいですか?」

 中庭でちょっとした騒ぎが起きてから少しして、何とか気を取り直したイズファインがナジェークの手伝いを再開した後、教室のドアをノックしてからサビーネが姿を現した。それを見たナジェークが、意外そうな顔になって声をかける。


「ああ、サビーネ嬢。どうかしましたか?」

 そこで彼女はナジェークに軽く頭を下げて挨拶してから、イズファインに向き直った。


「ナジェーク様、お邪魔します。良かった、イズファイン様がまだいらして。一度寮の自室に戻ってから来ましたから、もう引き上げられたのかと思いました。男子寮を訪ねると、色々と人目を引きますから」

「ナジェークに色々こき使われていてね。そろそろ出ようかと思っていたけど。それで、どうかしたのかな?」

 席を立って歩み寄ったイズファインに、サビーネはポケットから取り出した紙包みを差し出す。


「良かったら、これを使ってくださいませ。鎮静作用を併せ持つ胃薬です」

「え?」

「『慣れない寮生活で必要になるかもしれないから』と、入寮の時に父の愛用品を母が幾つか持たせてくれたのですが、私は思ったより精神も胃腸も頑丈な質だったみたいで、この間全く使っておりませんでしたの」

「………………」

 当惑しながら自分の顔と掌を交互に見つめる彼に向かって、サビーネは笑顔で語りかけた。


「先程窓からカテリーナ様に向かって置時計を投げ落としたのは、ナジェーク様ですよね? イズファイン様ならどんな非常時でも、そんな乱暴で非常識な真似はなさいませんもの」

「………………」

 サビーネがにこやかにそんな事を断言した為、男二人は無言で顔を見合わせた。


「それで、そんな暴挙を目の当たりにした常識的なイズファイン様が、さぞかし胃の不調を覚えておられるのではないかと思いまして。宜しかったらこれを飲んで、明日は万全の体調で剣術大会に挑んでくださいませ」

 そこまで聞いたイズファインは、感動の面持ちでサビーネの右手を自分の両手で優しく包み込みつつ、涙目で語りかけた。


「サビーネ。君が私の婚約者で、本当に良かった……。君の優しい気遣いが、私の心身に染み渡っていくようだ……」

「まあ、イズファイン様ったら。少し大袈裟ですわ」

「大袈裟なものか。明日からの大会中の勝利を、全て君に捧げると誓うよ」

「光栄です、イズファイン様」

 そこで自分達の世界を作り上げ、二人で浸っている様子を至近距離で見せ付けられる羽目になったナジェークは、その怒りを目の前の当事者達ではなく、そもそもの原因を作り出したバーナムに向けた。


(やはり二年と言わず、一年以内に潰して王都内から放逐してやる……)

 据わった目で大会の司会進行表の最終チェックを進めながら、ナジェークは同時進行で物騒極まりない報復措置をあれこれ考え始めた。

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