(34)ちょっとした誤解

 シレイアが立ち去るレスターを見送っていると、入れ違いにローダス達官吏四人組が教室に入って来るのが分かった。それで自然に声をかける。


「皆も休憩? まだまだ先輩達の話が尽きないみたいで、待機時間が長引きそうよね。先生とアイラさんに、椅子を準備した方が良いかしら?」

「それならさっきレスターが、『立ち話が長引く疲れが溜まりそうだから、何かあった時の為に待機してくれている先生に頼んで、大人用の椅子を借り出しておいた』と言って、二人の背後に準備していた」

「そうだったの? 本当にレスターって如才がないわね。できることなら、官吏として引き抜きたいくらいだわ」

 上機嫌で冗談を口にしたシレイアだったが、それを見たローダス達は一瞬顔を見合わせた。そして何やら相談するように目と目を見合わせてから、ギャレットが慎重に確認を入れてくる。


「あ~、ええと、シレイア? さっきこっちに来る時にちょっと見えたんだけど、お前、レスターから何か貰ってなかったか?」

 その問いかけに、シレイアは平然と言葉を返した。


「さっき? 何も貰ってないわよ? あ、貸したハンカチ3枚だったら、洗ってアイロンをかけた状態で返して貰ったけど」

「ハンカチ3枚?」

「貸したって、いつどこで?」

「アイラさんとお兄さんが顔を合わせたカフェで、やり取りの一部始終を確認するため、隣の席にレスターと潜伏した時よ」

 そこでローダスが、若干不機嫌そうに口を挟んでくる。


「二人でカフェに行ったのか?」

「そうよ。だってイシュマとエマは、その日仕事があったから」

「お前とレスターは仕事がなかったのか?」

「かなり強引に休みを取ったわ。アイラさんとマルケス先生の婚約式開催と私の今後の官吏人生がかかっているのに、呑気に仕事をしているわけにいかないでしょうが」

「……そうか」

 堂々と胸を張ったシレイアを見て、ローダス達は揃って何とも言えない表情になった。


「それで二人が和解してくれて、本当にホッとしたんだけど。気が付いたら向かい側でレスターが声を出さずに大泣きしていたのよ。気がついた時点で彼のハンカチが酷い状態になっていたから、持っていたハンカチを全部貸したってわけ」

 それを聞いたジャンが、不思議そうに尋ねてくる。


「シレイアは、いつもハンカチを3枚持ち歩いているのか?」

「そんなわけないじゃない。普段は1枚に決まっているわよ。でも感動的な展開で泣いてしまったら困ると思って、その日は念のために3枚持参したの。そうしたらさすがにうるっとしたんだけど、自分以上に派手に泣いているのを見たら涙が引っ込んじゃって。結局1枚も使わなかったわ。レスターって本当に、子供の頃と性格が変わったわね」

「ああ、本当に……」

「もう殆ど別人だよな……」

「性格もそうだけど、判断力とか行動力とか桁違いだし……」

「一体、何がどうなって、あんな風に豹変したんだか……」

 レスターに関する評価はその場全員に共通しており、皆が微妙な顔つきになった。そこでシレイアが、ふと思いついたように言い出す。


「ええと……。でも時々、意味が分からない言動をするところは、子供の頃と変わらないと思うけど」

「何の事だ?」

「さっきハンカチを返して貰った時に『新しいのを買って返そうと思ったが、ローダスが嫌がりそうだから洗濯してアイロンをかけてきた』とか言ってたのよ。このハンカチとローダスは、全く関係ないじゃない。何を言っているのかと思ったわ」

「…………」

「え、ええと……」

「そうだな。ローダスとは関係ないよな?」

「本当に、レスターの奴、何を言っているんだろうな?」

 いかにも不思議そうに告げて、シレイアは肩をすくめた。そこで名前を出されたローダスは無表情になって口を閉ざし、他の三人は微妙に顔を引き攣らせながら「あはは」と乾いた笑いを漏らす。するとシレイアが、真顔で彼らに問いかけた。


「あ、そう言えば、レスターがもう一つ、意味不明な事を言っていたんだけど。皆は分かる?」

「何を言ってたんだ?」

「それがね? 『シレイアはアイラさんみたいになりそうだな』と言ったのよ。だから『アイラさんみたいな実績も人望も抜群な官吏になりそうだなんて、そんな手放しで褒めないで。照れるじゃない』と返したら、『全面的な褒め言葉ではないが』って、ちょっと微妙な顔で言ったのよね。手放しの賛辞でないならどういう意味なのかしら? 全然意味が分からないんだけど」

 本気で困惑していたシレイアは、無意識に腕組みをして考え込んだ。そんな彼女に、レスターが言った意味を伝えたら下手したら怒らせると懸念した彼らは、曖昧に言葉を濁す。


「ああ……、うん、それは……」

「いや、まあ……、そのあれだ」

「アイラさんみたいになるってことは、つまり……」

「官吏として、経験を重ねるってことだから……」

 頼むから自分で察してくれと、ローダス達は心から願った。すると考え込んでいたシレイアが、腕を解きながら呟く。


「……よくよく考えたら、分かった気がする」

「あ、分かったのか?」

「レスターって今は、ナジェーク様直属の筈なのよ。本人からそう聞いた事があるし」

「え? どうしてここで、ナジェークさんの名前が出てくるんだ?」

 的外れにも程があるだろうと、エリムが思わず口を挟んだ。するとシレイアは、確信している口調で告げる。


「きっとレスターの中の官吏のイメージは、ナジェーク様なのよ。そしてナジェーク様は、仕事に関してかなりシビアだと思うわ。以前レスターから『ナジェーク様は俺の能力と忍耐力の限界の一歩向こう、俺がギリギリ死ぬ気で頑張ればなんとかできる要求をされる。その見極めが絶妙だ』と聞いた事があるの。そんな無茶振り一歩手前の指示をするナジェーク様に、心酔しているとも聞いたけど」

「……へえ、そうなんだ」

 普段からどれだけこき使われているんだと、ローダス達は戦慄した。しかしそんな彼らには構わず、シレイアは自論を展開する。


「だからレスターは、アイラさんみたいなベテラン官吏になると、部下にもの凄く厳しくて情け容赦の無い人だと思い込んでいるのよ。あの変な方向に思い込みの激しかったレスターだったら、そんな変な誤解をしていてもおかしくはないわ。だから『出世しそうだけど、そこまでギスギスした人間になってしまうのはちょっとどうかと思う』とか考えて、あの物言いたげな表情だったのよね。全く! アイラさんにも官吏全般に対しても失礼だわ!」

 本気で怒りだしたシレイアに、ジャンが恐る恐る声をかける。


「あのな、シレイア。それは誤解だと思うぞ?」

「え? どこがどう誤解なの?」

「どこがって……」

「それは……」

「ええと……」

「ちょっとあなた達、さっきからなんなの!? はっきりしなさいよ!」

 何やら言い淀んでいるローダス達に、シレイアの雷が落ちかけた。するとここで、教室にエマがやって来て声を上げる。


「シレイア、こんな所にいた! 早く来て! 漸く私達の学年の番になったんだから! 皆で先生にお祝いを言いに行きましょう!」

 それを聞いたシレイアは、勢いよく立ち上がった。そして目の前にいる四人を、問答無用で急かす。


「あ、エマ、ごめんね! ほら、皆も行くわよ! 私達がぐずぐずしていると、年下の子達を余計に待たせることになるんだから!」

「あ、ああ……」

「じゃあ、俺達も行くか」

 エマとシレイアは嬉々として教室から中庭へと向かい、微妙な空気のままローダス達は彼女達の後を追った。


(本当に、晴れ晴れとした気分。官吏や騎士は結婚したら退職が既定路線だなんて思われているけど、カテリーナさんみたいに結婚しても勤務を続ける人だって出てきているし、官吏としての道を全うしてもアイラさんみたいに誠実な伴侶を得ることだってできるじゃない。本当に人の数だけ、違う人生があるのよね)

 幸せそうに並んで立っているマルケスとアイラが、シレイア達が近寄って来るのに気づいて笑顔で小さく手を振ってくる。それにシレイアも、笑顔で手を振り返した。


(先の事なんて全く分からないし、まだまだ考えられない。でも絶対悔いのないように、アイラさんみたいに全力で官吏として頑張るわ!)

 そんな決意も新たに、シレイアは尊敬する先輩と恩師のもとに足を運び、改めて心からの祝辞を述べたのだった。










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