(5)推察

 そこに向かう途中でそれぞれ引き止められた二人だったが、約束した時間から大して遅れずに、統計学資料室で顔を合わせた。


「グラディクト様、遅れてすみません!」

「いや、構わない。私も今来たばかりだ」

「実は今日、ここに来る途中で、新しいお友達に会ったんです。リアーナさんは貴族なのに、官吏科に入った凄い優秀な方なんですよ?」

 笑顔でそう説明してきたアリステアに、グラディクトは素直に驚いてみせる。


「そうなのか? 確かにそれは珍しいな」

「ですよね? お家が子爵家で十分な持参金が準備して貰えないから、自分の能力で生活の道を切り開こうと努力してきた方なんですよ。そんな人が私達の味方をしてくれるなんて、とっても心強いです」

「そうか……、それなら良かった」

 アリステアに心強い味方ができたと喜びながらも、グラディクトはつい先程聞いた内容を思い出し、慎重に彼女に尋ねた。


「ところでアリステア。最近、私に関する噂を耳にしてはいないか?」

「殿下に関する噂……、ですか? いいえ、特には……。あ、『殿下は最上級生になってから、益々威厳を増したようだ』と周囲の皆さんが囁いていたのは聞きましたよ?」

「そうか……」

 咄嗟にそれらしい作り話を口にした彼女に、グラディクトが曖昧に頷く。すると今度はアリステアが、どこか探るように彼に問いかけた。


「あの……、噂の事ですが……、殿下は私に関しての噂は、何か聞かれましたか?」

「アリステアの噂?」

「はい」

 真顔で頷いた彼女に、グラディクトは少々躊躇いながら口にする。


「それは……、学年が違うし、それほど耳にしてはいないが……。『学内の行事に積極的に参加する、向上心溢れる生徒みたいだ』とか評しているのを、聞いた事はあるが……」

「そうですか。いきなり変な事を聞いてしまってすみません」

 そこで頭を下げたアリステアに、彼は鷹揚に笑ってから話題を変えた。


「別に変な事でも無いだろう。それより、教授達から今日も課題を出されたのでは? 手伝うから、まずそれを片付けようか。どれだ?」

「ありがとうございます。お願いします。これですが……」

 恐縮気味に鞄から出された物を見て、忽ちグラディクトが顔を顰めた。


「これはまた……、随分大量だな。嫌がらせではないのか?」

「教授達はすっかりエセリア様に取り込まれているみたいですから、仕方がありません。でも私、こんな陰険な嫌がらせには負けませんから! グラディクト様を筆頭に、応援してくれる方がたくさんいらっしゃるんですもの!」

「そうか……。私もできるだけ手伝うから」

「ありがとうございます。本当にグラディクト様はお優しい、気配りのできる方ですよね」

 すっかり同情する眼差しで課題を手伝ってくれるグラディクトに、アリステアは益々心酔していった。そして彼女の前向きでひたむきな様子に、グラディクトの彼女に対する想いも深まる。


(私を誹謗中傷する噂を耳にしても、考えなしにそれを口にして、私を不快にさせまいと配慮した上で、こんな教授を抱き込んだ嫌がらせにも笑って耐えるとは……。やはりアリステアは真の淑女だな)

(色々陰で言われている筈なのに、一言も漏らさないで課題を手伝ってくれるなんて……。正直、愚痴ぐらいだったら何でも聞くのに、グラディクト様は誇り高いから、私に対して弱音を吐きたく無いのよね。うん、やっぱり無理に聞くのは止めよう)

 第三者から見れば馬鹿馬鹿しい事この上ない状況ではあったが、当事者二人にとっては、自分達が目にした事、感じた事が全てだった。



 その翌日、アリステアはいつも通り授業を受けていたが、休み時間に注意深く周囲の生徒達を観察してみた。

(リアーナさんには、ああ言ったけど……。本当に私の事で、そんなに噂になっているのかしら?)

 するとその視線に気が付いたクラスメイトの一人が、気味悪そうにアリステアを横目で見ながら、隣に立っている友人に囁く。


「……ちょっと。あの方、こちらを見ているわ」

「え? 一体何なのかしら?」

「あ、下手に目を合わせては駄目よ。何か変な仕事を押し付けられるかもしれないわ」

 即座に小さい声で注意する声が上がり、周囲の者達も微妙に視線を逸らしながらアリステアの様子を窺い始めた。


「本当に、冗談では無いわよね。グラディクト殿下のお気に入りなのを笠に着て、去年音楽祭の開催をごり押ししたのでしょう?」

「音楽担当の教授方が、憤慨していらっしゃったわ。殿下の手前、公言されてはおられなかったけど」

「エセリア様も、下手に騒ぎ立て無いように口止めされていましたし」

 非友好的な視線を送りつつ、何やら囁いている彼女達を見て、アリステアは完全に誤解した。


(何か分からないけど、私を盗み見しながら何かこそこそ話をしてるわね。感じが悪いったら無いわ。本当に陰険ね)

 噂をしていたのは確かだが、それは彼女の傍若無人な行為に対する、当然過ぎる非難の声であった。しかしそんな事とは思いもよらないアリステアは、他の女生徒達の集団にも視線を向ける。


「嫌だ……、こちらを見ているわ。今度は何を企んでいるのやら」

「ご存じでした? あの方が去年の美術展に出品した作品。エドガー様との共同作品と言う事になっているけど、殆どエドガー様が描かれた物だそうよ?」

「そんな事、一目瞭然よ。美術の時間で、あの方の技量は良く存じ上げていますし。本当に、エドガー様がお気の毒」

「殿下も殿下だわ。あんな女の言いなりになって」

「今度はどなたの作品や成果を、殿下の威光で横取りするつもりなのかしら」

「エセリア様は一応共同作品となっているし、事を荒立てないように仰っておられましたけど……」

 彼女達もあからさまな非難の視線は向けないまでも、苛立たし気に不満を口にしており、その表情を見たアリステアは《リアーナ》から聞いた話が正しかったと確信した。


(やっぱり皆私と目が合う度に、不自然に視線を逸らしているし、面白く無さそうな顔をしてる……。リアーナさんが教えてくれた通り、エセリア様が私とグラディクト様の根も葉もない悪辣な噂を、取り巻きを使って広めているんだわ)

 改めてそう認識したアリステアは、密かに決意を新たにし、女生徒達を眼光鋭く睨み付けた。


(でも、そんな心理戦になんか負けないわよ! あっさりブチ切れてこっちの非になるような事なんかするものですか! こっちは修道院に入るまで、愛人上がりの継母や隠し子の連れ子達に、散々難癖付けられて、誹謗中傷されまくっていたんですからね! 面と向かって言えない卑怯者なんかに、殿下を支えるっていう崇高な役目を持つ私を、傷付ける事なんかできないのよ!!)

 その視線をまともに受けた女生徒達が、気味悪そうに囁き合う。


「あの方の目つき……、怖いですわね」

「本当に。何を考えていらっしゃるのかしら」

「難癖を付けられそうで、怖いですわ」

「グラディクト殿下も、あんな方のどこが良いのやら。本当に人を見る目を疑いますわ」

 そして周りの生徒達の間で、密かに二人の評価が更に下がっていくという、悪循環に陥っていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る