(3)悪戯心が囁いた

「全く! 人を馬鹿にするにも程がある! 何なんだ、あの老いぼれは!!」

「王太子であるグラディクト様に、本当に失礼ですよね! きっと王様と王妃様がここに在学中に、過剰に優しく接してしまったせいで、図に乗ってしまったんですよ!」

「確かに父上も王妃も、目下の人間に甘い所があるからな。私が王になったら、王家の威厳をこけにする奴らなど、即刻国外追放にしてやる!」

「当然ですよね!」

 声高に悪態を吐いている二人を、すれ違う生徒は何事かと不審な表情で見やっていたが、エセリアの指示で印刷室付近でこっそり待ち構え、廊下に漏れ聞こえていた怒鳴り声でのやり取りを聞いていたローダスとシレイアは、呆れ顔を見合わせた。


「……随分とまた、勇ましい事を言っているな」

「あのドルツ係官に怒鳴られて、まだあんな事を放言できるなんて、ある意味凄いけどね。それでどうするの? 取り敢えずエセリア様に報告する?」

「いや、この際、少し嫌がらせをしてやろう。鞄を持っていてくれるか? 用が済んだらホールに向かうから、そこで落ち合おう」

「分かったわ」

 そこでローダスは最近鞄に常備しているウィッグを取り出し、素早く装着して髪を整えてから、更に書類を何枚か取り出してシレイアに鞄を任せ、二人の後を追った。


「殿下、アリステア様。どうかされましたか? 何やら随分、ご立腹のようですが」

 追う準備をしているうちに見失ったものの、いつもの統計学資料室だろうと見当を付けたローダスは、そこに向かう途中で首尾良くグラディクト達に追い付いた。そして何食わぬ顔で尋ねると、二人が口々に訴えてくる。


「ああ、アシュレイか。つい先程、不快で話の通じない者と遭遇してな」

「本当に酷いんですよ! 聞いて下さい!」

「一体、どうなさいました?」

 それから少しの間、二人の話に耳を傾けるふりをしたローダスは、しみじみとした口調で述べた。


「それは災難でしたね……。あのドルツ係官は、学園内でも偏屈な事で有名ですから。頼んだ原稿に誤字があったりすると、学園長ですら罵倒すると聞いた事があります」

「そんなに傍若無人とはな」

「誰だって呆れますよね?」

「それはともかく、その『アンケート用紙』とやらの印刷を、どうされるおつもりですか?」

 現実的な問題をローダスが口にすると、グラディクトは如何にも難儀しているように言い出した。


「それが困っているんだ。刷り上がるのを来月まで待っていたら、益々開催時期が遅くなる。他の行事との兼ね合いもあるし。何とかならないか?」

 縋るような目で見られたローダスは、彼が自分に何とかしろと無言で訴えているのが分かったが、別に気分を害する事無く、神妙に言い出した。


「それですが……。差し出がましい事を申し上げても、宜しいでしょうか?」

「構わん。言ってみろ」

「見たところ、そちらの文書は大して書く分量もございませんし、全ての項目を手書きしても、大した手間では無いのではありませんか? 全生徒分の枚数を書くとなると、確かにそれなりに時間はかかると思いますが、どう考えても数日のうちに終わると思いますが」

「……手書きだと?」

「はい、駄目でしょうか?」

 考えてもいなかった事を言われて、揃ってポカンとした顔になったグラディクト達に、ローダスが重ねてお伺いを立てると、二人は一転して喜色満面の笑顔になり、彼を褒め称えた。


「いや、素晴らしい! アシュレイ、お前はやはり頭が良いな!」

「本当です! 凄いわ!」

「いえいえ、大して良くはありません。現に今も、テルゼス教授にレポートの再提出を命じられて、今から向かう所ですから。今日中に満足のいく物を完成できなければ、単位がどうなるか分からないと脅されておりまして」

 手にしている全く関係の無い紙の束を目の前に持ち上げ、(あんたらに付き合って時間を無駄にする気は無いからな)と内心で考えながらアピールすると、その嘘八百を信じたグラディクトは、残念そうな顔になりながらも、さすがに無理強いはできないと謝罪の言葉を口にした。


「それは、大変な時に引き止めてしまったな、すまない」

「いいえ、私の方からお二人に声をかけたのですから、お気になさらず。それでは失礼致します」

 すかさず一礼してさっさとローダスがその場を後にすると、グラディクト達は心底感心したように語り合った。


「本当にアシュレイは気が利くし、必要な時に役に立つ奴だな」

「アシュレイさんは何でもそつなくこなすイメージがあったので、レポートを再提出なんて意外でしたね。でも却って親近感が湧きました」

 普段、散々再提出させられているアリステアが、笑顔でそんな事を口にすると、グラディクトが苦笑いで応じる。


「そうだな。完璧な人間など、存在しないと言う事だ。外面は良くても底意地が悪い、エセリアのようにな」

「グラディクト様ったら……、仮にも婚約者の方ですよ?」

 一応窘めてはみたものの、アリステアは笑顔であり、グラディクトも鼻で笑い飛ばした。


「はっ! そんなのは今だけの話だからな! それじゃあアリステア、急いで事務係官から必要な枚数の紙を貰って来よう」

「はい!」

 アンケート用紙を調達する為、意気揚々と歩き出した二人の背中を、ローダスは廊下の曲がり角に姿を隠しながら、呆れ顔で見送った。


「やる気満々だな……。俺には関係無いが、側付き連中と頑張れよ」

 ローダスはそう呟いてから、何事も無かったかのように、シレイアと合流するべく歩き出した。

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