番外編:才媛は一日にして成らず

第1章 彼女が目覚めるまで

(1)些細な疑問

 シレイア・カルバムは幼少期から聡い、ある意味聡すぎる少女だった。


「シレイアは本当に可愛いな。それ以上に賢くて、私の自慢の娘だぞ?」

「あなた、顔が崩れているわよ? 周りの人への示しがつきませんから、お仕事中にシレイアの事を考えるのは止めてくださいね?」

「いや、それは無理だ」

「もう、あなたったら。仕方がないわねぇ」

 結婚後、十年近くを経て生まれた一人娘であるシレイアを、父のノランと母のステラは、周囲が若干呆れるほどに溺愛して育てていた。シレイアはそんな両親のもと、なんの疑問も不満も覚えずにすくすくと成長していたが、彼女が5歳になった時に転機が訪れた。



「ノラン、休みの日にすまないな。ステラ、お邪魔するよ」

「いらっしゃい、デニー。私達はいつでも大歓迎よ。今日はうちの人に、何か重要な相談事があるのよね? お茶を出したらシレイアを連れて他の部屋に行っているから、ゆっくりしていって」

「迷惑をかけてすまない」

 ノランと彼の昔からの親友であるデニー・キリングは、この頃には共に国教会では異例の出世を遂げて大司教に就任していたが、現在でも反目しあうことなく交流を続けていた。更にデニーには息子が三人いたが娘がいなかった事も相まって、ノランには及ばないもののシレイアを実の娘のように可愛がっていた。


「デニーおじさん、こんにちは」

 その日も、現れた顔見知りのデニーにシレイアが可愛らしく挨拶すると、彼は仕事中には間違っても見せない、満面の笑みで挨拶を返した。


「やあ、シレイア。こんにちは。お邪魔するよ? ところで。シレイアはもうそんな文章が書けるのか?」

 テーブル上にある、有名な聖書の文言を書き散らした用紙に素早く目を走らせたデニーは、驚きに目を見開きながら問いかけた。それにシレイアが答える前に、ノランが笑顔で応じる。


「ああ。ごくごく簡単な文の一部だが。私が聖書を読み聞かせていたら興味を持ってくれたらしくて、教えているんだ。まだ小さいから、ペンで書くのに難儀しているが」

 それを聞いたデニーは、素直に感心した表情になる。


「それにしても早いだろうし、綴りも間違わずに大したものじゃないか。何ヵ月か早く生まれたにしても、ローダスは読み書きはできるが進んで聖書の書き取りをしようなどとは考えないぞ。上の二人も、シレイアの年の頃は同様だった筈だ」

「子どもの成長や興味の範囲は個人差が大きいと、以前君が言っていたと思うが?」

「それにしても、群を抜いているという話だ」

 ここまでは笑顔で話していたデニーだったが、ここで急に真顔になり、しみじみとした口調で語り出す。


「しかし……、実に残念だな。シレイアがもし男の子だった、ゆくゆくは大司教、いや、総大司教にもなれたかもしれないのに……」

「シレイアには無理だと、分かりきっている事を言うな」

「それはそうだがな、ノラン。お前だって、そうは思わないのか?」

 無念そうに言葉を継いだデニーを、ノランが苦笑しながら宥める。この間、シレイアは大人二人のやり取りを黙って眺めていたが、ここで不思議そうに問いを発した。


「デニーおじさん、どうして無理なの?」

「え? 何がだい?」

「シレイア、お父さんみたいに、司教になるよ? そしてお父さんを助けてあげるの」

「ええと……、その……」

「ねぇ、どうして?」

「…………」

 疑いもせず、真っ直ぐに見上げてくるシレイアの眼を直視できず、デニーは若干狼狽しながら微妙に彼女から視線を逸らした。そこで気まずい沈黙が漂ったが、すぐにステラが気を利かせて声をかけてくる。


「シレイア。さっき言っていたようにお父さん達は大事なお話があるから、私と他の部屋に行っていましょうね」

「……うん」

 ステラは笑顔だったが、その口調に有無を言わせぬ空気を感じ取ったシレイアは素直に頷き、どこか安堵したデニーとノルトに見送られて居間を出ていった。



 シレイアはその日、夕刻まで父と顔を会わせることがなかったため、夕食の席で日中の疑問を口にしてみた。

「ねぇ、お父さん。シレイア、お父さんみたいに大司教になれるよね?」

 するとノルトは食事の手を止め、真剣な顔でシレイアに向き直る。


「シレイア、お前は国教会には入れないんだよ。夫人会みたいに、側で支える組織には入れるが」

 その説明で到底納得できなかったシレイアは、即座に問いを重ねた。


「どうして入れないの?」

「国教会に入れるのは、男だけと決まっているからだよの」

「どうして男だけなの?」

「そういう決まりがあるからだよ」

「どうしてそういう決まりがあるの?」

「国教会ができたばかりの頃、色々危険だったからだよ」

「どうして危険なの?」

「各地の布教活動中に、襲撃される事もあったからだよ」

「襲撃ってなに?」

「武器を持った人に襲われて、金品や命を奪われる事だよ」

「どうして襲撃されたの?」

「それは国教会の教えが、それまで普及していた宗教とは異なるものだったから弾圧されたんだよ」

「弾圧ってなに?」

「その当時の権力者から、活動を制限されたり自由や生命を脅かされる事だよ。だからそれに抗うために国教会に属する者は男性だけとして、あらゆる手段で時の権力者と戦ったんだ」

「女の人も戦えるよね? 女の騎士様を見たことあるよ?」

「確かに今では女性の騎士様もいるが、当時はいなかったんだよ」

「でも男の人だけで全部できないよね? お父さんだってお母さんに色々やってもらってるよ?」

「ああ、家の事は任せているね」

「その他にも総主教会のお仕事をしてるよね」

「それは正確に言えば総主教会から仕事を委託しているのであって、総主教会の仕事ではないんだ」

「おかしくない?」

「シレイアはおかしいと思うかもしれないが、それが厳然たる事実だからね。もっと詳しく説明すると、正確には総主教会の外郭団体という扱いになって……」

(なんかこれ、駄目なやつかも。お父さん、とことん真面目に説明してくれるけど、ただそれだけだわ)

 延々と続く質問と返答の繰り返しに、幼い娘にもきちんと向き合ってくれる父親の誠実さを実感した。しかし賢すぎるシレイアは、これ以上の議論が時間と労力の無駄だと早くも悟ってしまった。


「……お父さん、分かった」

「シレイア、もう良いのかい?」

「うん。女の人が国教会に入れないのは分かったから」

「そうか……、それなら良いが」

 口では分かったと言いながらも、納得しかねる気持ちがシレイアの顔に出て、憮然とした表情になっていた。そんな娘を不憫に思ったのか、ノランは優しく彼女の頭を撫でながら慰めてくる。


「だが、シレイアには他にできる事がたくさんあるぞ? 何でも好きなことをやってみなさい」

「うん、分かった。ありがとう、お父さん」

 それで話は終わりになり、シレイアは父親のように国教会で働けないのを残念に思ったものの、それについて引きずったり蒸し返したりはしなかった。しかしそれからも時折大人達から無神経な、しかし悪意のない同様の言葉をかけられる度に、モヤモヤする気持ちを抱えていくのだった。



 その時の言葉通り、それ以後両親はシレイアのやる事に変に制限をかけたり強制したりはせず、娘が興味を持った事に関しては無条件に挑戦させ習わせてくれる、理想的な親であった。

(何でも好きなことをやってみろと言われて色々やってはみたけど、絵を描くのも楽器を演奏するのも、刺繍や裁縫をするのもあまり楽しくはないのよね。やれと言われればするけど、どんな努力をしてもやりたいと思う事はないかな?)

 経験する事が増えると同時に、シレイアはその年頃の子供には似合わない事を、密かに考え始めていた。


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