(5)ナジェークの懸念

 昼の休憩時間にリドヴァーンを振り切り、同僚のアランと食堂にやって来たナジェークは、カウンターから昼食を受け取ってテーブルに着くなり、実にしみじみとした口調で言われてしまった。

「このところ毎日大変だな、ナジェーク。お前があの二人を殴って黙らせるような真似はしないかと、こちらは端から見ていて、胃がおかしくなりそうだったぞ」

 平民出身ながらも気の置けない友人のそんな台詞に、ナジェークは思わず苦笑いで応える。


「それは悪かったな、アラン。確かに一瞬そう思ったが、考えただけだから安心してくれ」

「一瞬でも、本当に上司を殴り倒す事を考えたのかよ……」

「自分で言っておいて、何を言う」

 項垂れた友人を見たナジェークは笑みを浮かべたが、気を取り直して顔を上げたアランは、真顔で確認を入れてきた。


「しかしリドヴァーンさんは、本気でお前と義兄弟になるつもりにしか見えないんだが。本当に彼の妹と縁談が成立していないのか?」

「そんな話は皆無だ」

「それなら事実無根の筈だが、リドヴァーンさんは王宮内のあちこちで、いかにも本当の事のように吹聴しているらしいぞ?」

「絶対、あのデブ狸も噛んでるよな? どうせ『コーウェイ侯爵家とシェーグレン公爵家の覚えめでたくなりたい』と、せっせと媚びを売っているんだろう。生憎と、俺の心証は下がる一方だがな」

 ナジェークの即答っぷりと常にはない乱暴な物言いに、アランは疲れたように溜め息を吐いてから指摘してやった。


「……ナジェーク。『デブ狸』は聞かなかった事にしてやるが、『俺』って言ってるぞ? 前途有望な官吏である、公爵令息にあるまじき物言いだ」

「ありがとう、気を付けるよ。本当に最近、神経を逆撫でされる事が多くて困る」

「二年目で仕事にも慣れたと思ったら、気苦労が増えるなんてどういう事なんだろうな……。取り敢えず知り合いに聞かれたら、お前の婚約話は真っ赤なでたらめだと断言しておくよ」

「そうしてくれ。ところで、最近の内事部内の反応はどうかな?」

 そこでナジェークが話を変えると、アランは少々考え込んでから思っている事を正直に告げた。


「う~ん、あからさまにお前に敵意を向ける人間はいないと思うぞ? 部長のお気に入りの位置付けに反感を持っていても、わざわざそいつに喧嘩を売ろうと考える馬鹿はいないだろうし」

「まあ、それはそうだろうな。選抜試験を受けて内事部に配属された人間が、そこまで考えなしとは思えない。リドヴァーンは例外だが」

「そしてお前が本気で嫌がっているのを察している連中は、下手に口を出したら部長に睨まれるのは確実だから、静観の構えだな。そういうわけで、表立ってお前を庇えなくてすまん」

 そう言って頭を下げたアランを、ナジェークは困り顔で宥める。


「分かっているさ。きちんと事実を理解してくれて、さりげなくフォローしてくれるだけで十分だよ」

「そう言ってくれると気が楽だが……。あ、そう言えば、お前には他に結婚を考えている女性とかいないのか?」

 唐突にそんな事を問われたナジェークは、多少動揺しながらも、何とか平静を装いながらしらばっくれた。


「……いや、特には。どうしてだ?」

「ここまで無秩序に噂が広がっていると、もし結婚を考えている女性がいて、その人の耳に入ったらまずくないかなと思っただけさ。余計な心配だったな」

「ああ、その心配は要らないから」

(そろそろ、そうも言っていられなくなりそうだがな……)

 それからはアランに怪しまれないように、ナジェークは僅かに引き攣った笑顔を浮かべながら食べ進めたが、既にこの件がカテリーナの耳に入っているかもしれない事態を想像して、少々頭痛を覚えていた。

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