(17)裏の話

「おはよう……。シレイア、どうした!? そんなに眼を腫らして!」

 食堂で顔を合わせた娘の様子が尋常ではなかったため、ノランは驚いて彼女に問いかけた。対するシレイアは、慌てて父を宥める。

「お父さん、ちょっと寝不足なだけだから大丈夫。遅くまで読書しちゃったから」

「そうなのか? 勉強が好きなのは良いことだが、体調を崩さないように気を付けなさい」

「はい」

 心配そうに言い聞かせてきた父親に素直に頷き、シレイアは椅子に座った。そして傍目にはいつも通り食べ始めたが、半分ほど食べ進めたところでシレイアが手を止める。


「……お父さん」

「うん? どうした?」

「長生きしてね? 絶対、親孝行するから」

 神妙な呼びかけにノランが何事かと娘に目を向けると、シレイアは真剣な顔つきでそんな事を口にした。それを聞いたノランは、急に何を言い出すのかと呆気に取られたものの、すぐに笑顔になって優しく言葉を返す。


「親孝行なんて……。お前は産まれてきてくれただけで、私をとても幸せにしてくれたよ?」

 ノランは何気なく笑顔で述べたが、その途端シレイアは瞳から涙を溢れさせながら立ち上がり、父親に勢いよく抱きつきながら絶叫した。


「おっ、お父さぁぁ~ん!! 私、私だけは、何があっても、お父さんの味方だからぁあぁぁ~!!」

「シレイア!! 落ち着け、いったいどうした!?」

「大丈夫よ、あなた。この年頃の女の子は、色々難しいのよ。すぐに落ち着きますから」

「そ、そうなのか?」

 抱きついたまま号泣するシレイアに、ノランは狼狽した。しかしそんな夫を、ステラは笑顔で宥めたのだった。



 ※※※



「マーサおばさん。お母さんから、夫人会の新しい名簿を預かってきました」

「ありがとう、シレイア。ちょうどお茶にしようと思っていたの。美味しいお菓子があるから、食べていきなさい」

「ありがとうございます。頂きます」

「それじゃあ、居間で待っていてね」

 修学場が休みの日。母に頼まれたお遣いでキリング家を訪れたシレイアは、快く通されてから恐る恐る尋ねた。


「あ、あの……、マーサおばさん?」

「どうかしたの?」

「その……、あれから話を聞かないんですが、教会内部の事を書いたらしい本について、問題になっていないんですか?」

 シレイアがここしばらくの懸念を口にすると、マーサは真顔になって若干声を潜めた。


「それがね……。不思議な事に、あれを糾弾する動きや不平不満が、いつの間にか沈静化したの」

「え? どうしてですか?」

「はっきりした事は分からないけど、これだけは言えるわ。ワーレス商会は以前から大口の寄付をしているけど、最近、従来の最高額を寄付してくださったの。その直後から、その話が立ち消えになったみたいなのよ」

 その意味するところが分からないシレイアではなく、無意識に思ったことを口にする。


「その本を販売しているワーレス商会が高額の賄賂を掴ませて黙認するよう働きかけたか、ワーレス商会が特に働きかけなくても総主教会側が忖度したってことですか?」

「シレイア?」

 マーサが困ったような顔になっているのを見て、シレイアは自分が余計なことを口走ったのを悟った。


「口が滑りました。ワーレス商会は、本当に貴重な大口寄付者ですよね。感謝しないと」

「ええ、本当にそうね。この話はこれで終わりにしましょう」

「分かりました」

(うん、やっぱりラミアさんは、ものすごくやり手の商人だわ)

 シレイアはラミアの手腕に舌を巻きながら、居間のソファーに座った。するとマーサに話を聞いたのか、少ししてローダスが入ってくる。


「やあ、シレイア。来ていたのか」

「ええ、おばさんに届け物があって。お茶を飲んでいくように引き留められたの」

「ああ、昨日どこからか、美味しいお菓子を貰ったんだ。あれは本当に美味しいぞ? 絶対、シレイアも気に入るから」

 機嫌よく話しかけながら自身と向かい合う位置に座ったローダスを、シレイアはしみじみと眺めた。


(あの本……。裏で策略を巡らせて、息子達も単なる謀略の駒としか見ていない強烈な立身出世欲にまみれた悪逆非道な司教って……。実際とは全然違うけど、あの描写だとモデルはどう考えてもデニーおじさん……。それで、父親に散々利用された挙げ句、濡れ衣を着せられて切り捨てられて、最後には非業の死を遂げる息子って……。気の毒過ぎて、涙が出そうよ)

 本の登場人物と目の前の人物を重ね合わせて、シレイアは思わず落涙しそうになるのを必死に堪えた。そんな常とは違う様子のシレイアから凝視され、ローダスが微妙に居心地悪そうに声をかける。 


「シレイア、どうしたんだ? さっきから俺の顔をじっと見ているけど、何か付いているのか?」

 それでシレイアは瞬時に我に返り、何事も無かったかのように軽く首を振った。


「ううん、顔には何も付いてないわ。ただ、あんたも色々大変だなと思って。それだけよ」

「え? いきなり何を言い出すんだ?」

「独り言だから気にしないで」

 意味が分からないことを言い出したシレイアにローダスは怪訝な顔になったが、ここでマーサがお茶とお菓子を持ってきたことで、すぐにその違和感を忘れてしまったのだった。


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