(16)母の暴走
シレイアが官吏を目指すと周囲に宣言して数日後、家庭教師について相談を受けたマーサが、カルバム家にやって来た。
「ステラ、シレイア。例の家庭教師の件だけど、就学場を卒業したら、いっそのことローダスと一緒にうちで個人授業を受けない?」
一緒にお茶を飲みながら切り出された内容に、シレイアは意外に思いながら問い返した。
「一緒に、ですか?」
「ええ。ウィルスに付いて貰った先生に相談してみたのだけど、そうすれば別々に二人分の時間を確保しなくて済むし、一緒に授業を受けて貰えるなら、報酬は通常の二倍ではなくて五割増しで良いと言ってくれているの。うちが都合が悪い時は、そちらの家で授業を受けさせて貰えない?」
その説明にステラは納得し、シレイアに意見を求める。
「それはお得だし、クレランス学園の試験に受かったウィルスを教えてくれた方なら、安心できるわね。うちが場所を提供するのも構わないし、シレイア、どうする?」
「私もそれでいいわ。一人で勉強するより、競争相手がいた方がやる気が増すと思うし。でもローダスはそれで構わないんですか?」
その問いかけに、マーサは苦笑いで応じた。
「色々複雑そうな顔をしていたけど、別に問題は無いわよ。ええ、本当に、ローダスが頑張れば良いだけの話だしね」
「はぁ……」
(今の話に、そんなに笑う要素があったかしら?)
くすくすと一人で笑っているマーサを見て、シレイアは首を傾げた。するとマーサが笑いを抑えて話題を変えてくる。
「それにしても……、最近何かと慌ただしいわね。貸金業務の詳細が決定して、来月にもまず王都内で運用が始まるから仕方がないけど」
「本当に。でも貧しい人の助けになるのだったら、これ以上嬉しいことはないわ。レナードが担当者の一人に抜擢されたのよね? それに、デニーが頑張って話を進めてくれたのでしょう? 本当に凄いわ」
「うちの人だけではないわよ。教会の上層部が一丸になって邁進していたわ。それにしても……、てっきり貸金業務の総合責任者はノランだと思っていたのに……」
すこぶる残念そうにマーサが感想を述べたが、ステラはそんな彼女を笑いながら宥める。
「うちの人は既に、国教会内で歴史書や文書管理の最高責任者に就任しているもの。今回貸金業務の総責任者になられたラベル大司教は公明正大な方だと評判だし、文句のつけようがないでしょう?」
「ええ、まあ……、確かにそうなのだけどね。本当に夫婦揃って実直過ぎて、欲がないのだから……。端から見ていて、そんな所が少し心配なのよね……」
(あぁ……、マーサおばさん。その気持ち、凄く良く分かります)
最後はブツブツと呟いたマーサに、シレイアは内心で深く同意した。するとマーサはすぐに気を取り直し、再び話題を変えてくる。
「それはそうと、最近教会内で話題になっている本を知っている?」
「あら、どんな本?」
「それが……、大きな声では言えないのだけど、総主教会の内部抗争をテーマに書かれた物ではないかと言われているの。教会内で新規事業を始めるに当たって、商人と手を組んで自分達に有利な制度にしようとしたり、責任者の座を巡って暗躍する話らしいのよ。私もまだ現物は読んでいないのだけど」
そこでなんとなく嫌な予感がしてきたシレイアは、慎重に尋ねてみた。
「あの、マーサおばさん? それってまさか、貸金業務に関しての話じゃないですよね?」
「貸金業務ではなく、塩の売買を国教会での専売とする話よ」
「…………はぁ? ありえない。塩は生活必需品だし、その売買を国教会が統制したら、暴動が起きますよね?」
思ったことをそのまま口にしたシレイアに、マーサは深く頷いてみせる。
「その言う通りよ。だから荒唐無稽な話だと言えるのだけど……、微妙に貸金業務に関する教会内での選定作業や、人事抗争と重なる所があるみたいで。組織名や氏名を変えてあっても、その描写から分かる人には分かる内容らしいのよ」
「それって……、作者側に教会内部、しかも上層部の内部事情が漏れているということでは……」
「シレイアもそう思う? やっぱりそう考えるのが自然よね。それで誰がそんな事を不用意に外部に漏らしているのかと、上層部で警戒しているから微妙に空気が悪くてピリピリしているのよ。本当に、貸金業務が無事運用開始の運びになって良かったわ」
「そ、そうですね……」
冷や汗を感じながら、シレイアはなんとか頷いた。そんな常にはない彼女の様子に、マーサが心配そうに声をかけてくる。
「シレイア、顔色が悪いけど、大丈夫? 言っておくけど、総主教会内でノランやステラが情報を漏らしただなんて疑っている人はいないわよ? 安心して頂戴」
「それなら良いのですが……」
「本当に、ステラ達がペラペラ噂話をする人間だったら、これまでに何十組かの夫婦が離婚して、何十人かが更迭されているわよ。他の者ならともかく二人だけはあり得ないと、私が保証するわ」
「ありがとう、マーサ」
「どういたしまして。あなた達の仁徳ゆえよ」
そこで昔からの友人同士である二人は微笑み合い、シレイアはそんな母親たちの様子を黙って見守っていた。
「……お母さん、ちょっと聞いても良い?」
マーサが帰宅した後、シレイアは茶器を片付けながら母に声をかけた。するとステラはどこからか一冊の本を持って来て、それをテーブルに置く。
「ああ、シレイア。これよ」
「え? これって……」
一体何かとその本に視線を向けたシレイアは、表紙に記載されている《聖なる魔窟》というタイトルを目にして、先程の自分の予感が当たってしまったと確信した。
「ちょっとお母さん! これってまさか!?」
狼狽したシレイアは声を荒らげたが、ステラは悪びれない笑顔で説明を続ける。
「さっきマーサが言っていた本よ。作者のカーネ・キリー様に貰ったの。この前、紫の間で初めてお会いした時に、話がすごく盛り上がって。その時に『今の話を元に上手く書けたら本を進呈しますから、その代わり私の身元は他言無用でお願いします』と頼まれたのよ」
にこにこしながら母が事も無げに語った内容を聞いて、シレイアはきょうがくの叫びを上げた。
「お母さん、何をやってるの! それにそんな本を書くだなんて、一体どんな恐れ知らずな傍若無人な人なのよ!?」
「シレイア……。幾らなんでも彼女に失礼よ?」
「やっぱり女の人!?」
「あら、いけない。口が滑ったわ。とにかく、興味があるなら貸すけど、お父さんや総主教会内の人には見られないようにしてね?」
「問題にするところが、明らかに違うと思う!」
(もう! ある意味、男恋本よりも教会内で問題になりそうなのに! それに関わっている事が露見したら、夫婦揃って白眼視されるのは確実じゃない!?)
本気で頭を抱えたシレイアだったが、この本が既に出版販売されているとステラから聞き、もうどうしようもないと完全に諦めた。そしてせめて内容を確認しようと、本を貸してもらった。
「内容的にはとんでもない本なのは確かだけど、ものすごくリアルな上に先が読めない展開で、惹き付けられるのよね。実際は、ここまで壮絶な内部抗争なんてありえないけど……」
就寝前に少しだけのつもりで読み始めたシレイアだったが、それは失敗だったかもしれないと、最初の十数ページまで読んだ段階で後悔する。
「どうしても、この実直すぎる故に散々周りに利用されて割りを食ってしまう、どう見てもお父さんがモデルのこのキャラが不憫過ぎて、行く末が心配で……。こうなったら今夜は、徹夜してでも最後まで読むわよ!」
結局、日付が変わるまで読み続けてしまったシレイアは、眠気に襲われる中、情報漏洩元が母であることが総主教会上層部にバレないよう神に祈りを捧げてから布団に潜り込んだたのだった。
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