(15)シレイアの決意

 国教会において、水面下で貸金業務についての協議と準備が進められ、王家が第一王子のグラディクトの立太子と、彼の婚約者にシェーグレン公爵令嬢エセリアが決定したのを公表した頃。修学場の授業時間の合間に、シレイアは机に突っ伏して溜め息を吐いていた。


「はぁあぁ~~」

 少し前から同様のことを繰り返していたシレイアを心配し、友人一同を代表してエマが声をかけてみることになった。


「シレイアったら、最近どうしたの? 溜め息を吐いている事が多いよね?」

 エマが慎重に尋ねてみると、シレイアがすっきりしない表情で応じる。


「あぁ、エマ。うん、まぁそうかも」

「何か悩み事? 私でよければ、相談にのるけど?」

「う~ん、悩みというか、愚痴になっても良い?」

「勿論良いし、他の人には内緒にするから安心して」

 そう請け負ったエマだったが、続くシレイアの話を聞いて呆気に取られた。


「少し前に、凄く尊敬できる二人と出会ったの。その人達と比べると、私って本当に無力な子供だなぁと思って、ちょっと落ち込んでいるのよ」

「えぇ? 実際に私達はまだ子供だし、そんなに落ち込むことはないんじゃない?」

「そうなんだけど……。その尊敬している人のうち、片方は私と同い年のシェーグレン公爵令嬢のエセリア様なのよね。もう一人のワーレス商会会頭夫人のラミアさんも、私の年の頃にはちゃんと一人前に働いていたし」

「公爵令嬢? どうしてそんな人を、シレイアが尊敬するの?」

 エマが怪訝な顔で問いかけてきたことで、シレイアは瞬時に我に返った。


「ええと……、その、公にはしていないけど、色々と庶民の為になる事をされていて……。最近偶然、それを知る機会があったものだから……」

「へぇ? そうなんだ。慈善事業とか?」

「うん……、まあ、そんなところ」

(危ない危ない。エセリア様はマール・ハナーとしての活動や、貸金業の提案者であることは立場上色々と差し障りがあるからと、公にしていないもの。エマ、皆も、マール・ハナーの正体を正直に言えなくてごめんね!)

 シレイアは冷や汗を流しながら詳細をごまかしてから、思うところを口にする。


「それで私も二人のように、信念を持って生きていきたいと思ったんだけど……、何をどうすれば良いのか分からなくて」

 それを聞いたエマは、呆れ顔になった。


「シレイアったら、相変わらず真面目なんだから」

「それで取り敢えず修学場を卒業したら、その二人の下で働いて自分の進むべき道を探そうかと思って、ワーレス商会かシェーグレン公爵家に雇って貰えないかと考えてみたんだけど……」

「どこまで先走っているのよ! 本当に極端よね!?」

「良く良く考えてみたらなんだか違う感じがするし、エセリア様は最近王太子殿下の婚約者に決定したから、私がシェーグレン公爵家に雇われても、すぐに王家に嫁がれる事になるのよね……」

 残念そうに口にしてから再び一人で悶々とし始めたシレイアを見て、エマは半ば感心し、半ば呆れながら言葉を継いだ。


「シレイアらしいと言うか、らしくないと言うか……。シレイアくらい頭が良くて大司教のお嬢様なら、大抵の事はできそうなのに……。あ、そうだ! それならシレイア、官吏になれば良いんじゃない?」

「え? 官吏?」

 何かを思いついたらしいエマが、急に嬉々として言い出した。しかしシレイアは咄嗟に何を言われたのか理解できず、戸惑いながら問い返す。そんなシレイアには構わず、エマは笑顔のまま話を続けた。


「この前、マルケス先生に話を聞いたの。マルケス先生はこの修学場の出身だけど、在籍中同じクラスにシレイアみたいに凄く頭の良い女の子がいて、給費生になってクレランス学園の選抜試験に受かって官吏科に進んで、卒業後は官吏になったんだって!」

「……え? そうなの? そう言えば……、官吏は男性限定とか言ってなかったかも……」

「そうだよ。その人、今も官吏として働いていて、時々この修学場に寄付しに来てくれたり、その時に国に対する要望を聞いてくれるんだって。凄いよね!」

「うん……、凄いね……」

「それに、エセリア様が王太子殿下の婚約者ってことは、ゆくゆくは王太子妃で王妃様になるんだよね? 官吏は王様や王妃様を助けて働くんでしょう? だから官吏になれば、王妃様になったエセリア様の為に働いて、エセリア様を助けることになるんじゃない?」

「…………」

 満面の笑みで説明を続けるエマとは対照的に、シレイアは表情を消して黙り込む。


「な~んてね。それこそ夢物語みたいだけど。ほら、マルケス先生が言ってたじゃない。どんな事柄でも要は考え方次第ってことで、自分のできる範囲で精一杯努力していれば、自然に道が開ける」

「エマ!!」

「え? な、何?」

 怖いくらい真剣な顔になったシレイアが、いきなり自分の両肩を掴んで呼びかけてきたことで、明るく話を纏めようとしていたエマは動揺しながら尋ね返した。するとシレイアは、真顔のまま断言してくる。


「きっと真の賢者って、あなたのような人のことを言うのよ」

「はい? シレイア、どうかしたの?」

「皆、休憩時間は終わったぞ。席に着いてくれ。授業を始めるから」

 そこでマルケスが教室に入りながら、ざわついている生徒達に呼びかけた。それを耳にした途端シレイアが椅子から立ち上がり、彼に向かって叫ぶ。


「マルケス先生!!」

「シレイア? どうかしたのか?」

「マルケス先生! 私、官吏になります!」

「……………………え?」

 大声でのシレイアの宣言にマルケスを初めとした室内全員が目を丸くして固まり、少しの間、教室内に沈黙が漂った。




 その日の夕食の席で、シレイアは早速両親に話を切り出した。

「お父さん、お母さん。ちょっと話があるんだけど」

「構わないよ。何かな?」

 何気なく尋ね返したノランと視線を合わせ、シレイアは緊張しながら口を開く。


「私、官吏になろうと思うの」

「ほう?」

「あら……」

 ノランとステラは少々驚いた顔になり、食堂内に沈黙が漂った。しかしすぐに、ノランが穏やかな口調で尋ねてくる。


「シレイア。官吏になりたい理由を聞かせて貰っても良いかな?」

 それは想定された問いであり、シレイアは落ち着いて考えていたことを語り出した。


「私、小さい頃、司教になるって言っていたでしょう?」

「ああ、そうだね」

「どうしてそう思っていたのかを、最近良く考えてみたんだけど……。他の人の為に働く人で私の一番身近にいるのが、お父さんだったからなの。私、お父さんみたいに、他の人を助けられる人になりたかったのよ」

「そうか……」

 娘の発言が嬉しかったノランは、無意識のうちに笑みを深めた。


「勿論、今ではそういう人がお父さんだけではないと分かっているし、色々な形で社会に貢献する人が無数に存在しているお陰で、私達が平穏無事に暮らしていけると思っているわ」

「ああ、まったくその通りだな」

「それで、私に何ができるかを考えてみたの。私もお父さんみたいに、より多くの人を助けて、より良い生活を送って貰うようにしたい。その為には、国政に携わるのが一番効果的だと思ったの。司教にはなれないけど、官吏として立場の弱い人達を少しでも助けていきたい」

「なるほど……。理に適っているな」

「勿論、官吏になるのはものすごく大変だって分かってる。だけどその分、やり甲斐があるもの」

「そうだな……」

 そう言って真顔で頷き、そのまま無言になった父親を見て、シレイアは少々落胆した表情になった。


「……うん。反対されるのは分かっていたから。でも」

「いや、反対はしないが?」

「反対しないの?」

 ノランの言葉に、シレイアは驚いて確認を入れた。しかしノランは不思議そうに尋ね返す。


「シレイアは本気でそうするつもりなんだろう? それとも冗談か何かなのか?」

「本気に決まってるわ!」

「それなら、子供が本気で頑張ると言っているのに、親がそれを否定する筋合いはあるまい。確かに大変だろうが、頑張りなさい。それに、お前だったらできると思うよ?」

 ノランが微笑んで激励すると、ステラが当然の如く会話に加わる。


「クレランス学園の入学選抜試験を受けるなら、修学場を卒業したら家庭教師をお願いしないと駄目よね? 就学場で習う以上の内容が、クレランス学園の選抜試験で出題される筈だし」

「ウィルスとローダスは元々官吏希望、それに必要な勉強している筈だ。どんな勉強をしているか、デニーに聞いてみるか?」

「そうね。私からマーサに頼んでみるわ」

(えっと……、女だけど、本当に官吏になって構わないんだ……。お父さんもお母さんも、私に甘すぎるんじゃないかしら? でも……、凄く嬉しい)

 両親が心から自分を応援してくれているのが分かって、シレイアは自分の胸の内が温かくなるのを感じた。


「どうした、シレイア。急に黙って」

「具合でも悪いの?」

 急に静かになった娘を心配して、ノランとステラが声をかけてくる。シレイアはそんな両親に、明るく笑ってみせた。


「ううん、元気だから! お父さん、お母さん! 私、絶対官吏になってみせるわね!」

「ああ」

「頑張ってね」

 それからカルバム家はいつも通り、三人揃って楽しく夕食を食べ進めたのだった。


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