第2章 悩み多き日々

(1)異変

 官吏を目指すシレイアが、当面の目標をクレランス学園入学に定めてからは、とんとん拍子に話が進んだ。マーサからの紹介で、修学場を卒業後に個人授業を依頼する人物と面談したステラとシレイアは、その教師を見送ってから満足げに感想を述べ合う。


「家庭教師の先生が、落ち着いた良い方みたいで安心したわ」

「私も。実際にお世話になるのは来年以降だけど、『修学場で教わる以外にこういう内容の修得が必要です』と丁寧に説明してくれたし、自主的に勉強しておく項目の一覧表や本も頂いたし」

「古本とはいえ、本当にありがたいことだわ。実際に教わるようになるまでに、少しずつ準備を進めておきましょうね。マーサにも改めてお礼を言わないと」

「そうするわ」

 会話をしながら、母と向かい合ってお茶を飲んでいたシレイアは、ここである事を思い出した。


「マーサおばさんといえば、レナード兄さんがそろそろ王都に帰ってくる頃よね? おばさんが『国中を回ってレナードが帰ってきたら、好きなものを一杯食べさせてあげないと』って、この前張り切っていたわ」

「本当にご苦労様だわ。各地にある小規模教会の全てに貸し金業務の事業説明と、当座の資金の運搬だなんて。地方の頭の固い年配の司教や司祭を説得するのは、容易ではないでしょうに」

「担当部署の何人かで班を組んで回っているみたいだけど、レナード兄さんみたいに若い人の話だと、それだけで耳を貸さない人も年寄りも多そうだものね」

「幸いと言うかなんと言うか……。レナードの班にはラベル大司教様が同行しているそうだから、他の班よりは横柄な扱いは受けないと思うけど」

 ステラが溜め息まじりにそう告げると、シレイアは驚きながら問い返した。


「それは知らなかったわ。だけど貸金業務の総責任者であるラベル大司教様が、自ら地方を回っているの? 本当に?」

「あなたに嘘をつく必要がある? ラベル大司教様が、貧しい地方の小規模教会で適切に事業を行うことこそが、この事業の本質だとお考えだからよ」

「本当にそうよね……。もう王都内の総主教会を初めとする主だった教会では貸金業務の運用は始まっているけど、地方の貧しい地域で利用されなくては意味がないわ。さすがは総責任者様。まだ直接会ったことはないけど、顔を合わせる機会があったら絶対お礼を言うわ」

「そうしなさい」

 シレイアが深く頷くのを見て、ステラが微笑みながら相槌を打つ。そんな和やかな空気を、突如として玄関の方から響いてきた騒音が打ち消した。


「ステラおばさん、いますか!? ここを開けてください!!」

「え? あの声は……」

「ローダス? 一体なんなの?」

 乱暴にドアを叩く音に、母娘は怪訝な顔をしながら急いで玄関へと向かう。


「ローダス。どうしたの? そんなに慌てて」

 ドアを開けながらステラが尋ねたが、その台詞を打ち消しかねない勢いでローダスが叫んだ。

「すみません! 今すぐうちに来てください! 母さんに付いていて欲しいんです! 今、総主教会から連絡が! レナード兄さんがいる貸金業務部の編成班が、強盗の襲撃を受けて死傷者が出たと知らせてきたんです!」

「なんですって!? それは本当なの!?」

「強盗!? 一体どこで!?」

 話を聞いた瞬間、ステラとシレイアは顔色を変えた。そんな彼女達に、ローダスが早口で説明を続ける。


「ギブリオ伯爵領から王都に繋がる街道で襲撃を受け、近くの住人の家で手当てをして貰っているらしいです。その報告を聞いた直後、母さんが気を失ってしまって。俺はこれから医者を呼んでから、総主教会に詳細を聞きに行ってきますので、後の事をお願いしたいんです」

 それを聞いたステラは、即座に目の前の二人に指示を出した。


「分かったわ。私はこれからあなたの家に行ってマーサを介抱しているから、あなた心配せずにこのまま総主教会に行きなさい。シレイア、あなたは医者を呼びに行ってきなさい。大至急よ」

「すみません、お願いします!」

「分かった! すぐに呼んでくる!」

(王都から目と鼻の先で、そんなことが起こるなんて信じられない! 死傷者って……、まさかレナード兄さんが死んだりしていないわよね!?)

 シレイアは激しい怒りと恐怖心を抱えながら、医師を呼びに行くためローダスと別方向に駆け出した。




「お母さん! お医者様を連れてきたわ!」

「お待たせしました。患者はどちらですか?」

 シレイアが医師を同伴し、開け放してあったドアから勝手知ったるローダスの家に駆け込むと、居間で長椅子に横たわっているマーサと、その横に佇んでいるステラに出迎えられた。


「ああ、良かった。ちょうど今、マーサの意識が戻ったところよ」

「ステラ……、シレイアまで……。心配かけてしまって、ごめんなさいね」

「そんな事、気にしないで。先生、一応診ていただけませんか?」

「分かりました」

(マーサおばさんの顔色が……。本当に、大丈夫かしら。デニーおじさんに知らせた方が良いんじゃ……)

 力なく謝罪してきた血色の無いマーサの顔を見て、シレイアは心配になった。そこで早速連れて来た医者が、マーサの問診を始める。


「気を失う直前に、どこかにぶつけた記憶はありますか?」

「いえ、それはありません……。この部屋で、使いの者から話を聞きましたが、咄嗟に息子が抱き止めてくれたと思います」

「なるほど、それでこちらにそのまま寝かせたと。それでは、吐き気や視界がおかしい感じは……」

 医師が問診や触診をするのを眺めつつ、ステラが安堵の表情でシレイアに囁いた。


「ローダスが、一緒にいる時で良かったわ。倒れた拍子に、頭を打ったりしたら大変だったもの」

「本当にそうね。お母さん、私も詳しい話を聞きに、総主教会に行ってきても良い?」

「駄目と言っても行くわよね? 行ってらっしゃい」

「行ってきます。それから、デニーおじさんにマーサおばさんの事を伝えて、戻って貰った方が良いかしら?」

 その提案に、ステラは一瞬悩み素振りをみせたものの、毅然として娘に言い聞かせる。


「デニーには、マーサには私が付いているから心配しないように伝えて頂戴。きっと総主教会内はこの事で大騒ぎになっていて、上層部は情報収集と対応に追われている筈よ。そんな状況では、総大司教が総主教会を離れられないわ。ノランも同様でしょう」

「そうよね……。分かった。なんとかローダスと合流して、おじさんと連絡が取れたか確認してみる。必要なら私から伝えるわ。お父さんにも、私達がこの騒ぎを知っていることを伝えておいた方が良いわよね?」

「ええ、お願いするわ」

 母から伝言を頼まれたシレイアは、マーサの体調に心配は要らない事を確認してから、キリング邸を出て総主教会へと向かった。


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