(2)疑念

 総主教会に突撃したシレイアだったが内部で相当動揺して混乱しているらしく、いつも通りすぐに奥へ通して貰えなかった。一般信者が訪問時に待機する部屋に通されたシレイアは憮然としたが、室内に少し前に別れたばかりのローダスを見つけて声を上げる。


「ローダス! ここにいたのね!?」

 対するローダスも、椅子から立ち上がりながら尋ねる。

「シレイア、母さんは大丈夫か?」

「うん。お医者様を連れていったら、ちょうど意識が戻ったところだったわ。一応診て貰ったけど怪我もしていないし、気持ちを落ち着かせるお薬を出して貰うくらいで済みそうよ」

 それを聞いたローダスは、心底安心した表情になった。


「良かった。使いの人の話を落ち着いて聞いていたんだが、その人が出ていった直後に倒れてしまって。慌てて抱き止めたんだけど、一緒に倒れてしまった挙句に意識がなくなっていたから肝を潰したぞ」

「でも、ローダスが抱き止めたから、おばさんは頭を打ったりせずに済んだんでしょう? その場にローダスがいて幸いだったわ。ところで、詳しい話は分かったの?」

「いや、全然。総主教会内でも相当混乱しているみたいで、まだ管理区域に入る許可が下りないんだ」

「総大司教子息で、普段は顔パスのローダスまで駄目だなんて……」

(そんなに酷い騒ぎになっているなんて……。レナード兄さんは、本当に大丈夫でしょうね?)

 ローダスの話を聞いて、シレイアは益々不安になってしまった。すると見習いの司祭らしき若い男性がやって来て、ローダスに声をかけてくる。


「ローダスさん、総大司教様がお会いになります。次の会議まで時間があまりないので、すぐに総大司教室に向かってください」

「ありがとう」

「すみません、シレイア・カルバムです! 一緒に通らせてもらいます」

「はい、シレイアさん。どうぞ」

 なんとなく見覚えのある相手だったのを幸い、シレイアが便乗した。すると相手もカルバム大司教の娘を見知っていたらしく、即座に頷く。そこで二人は並んで、総主教会の奥へと駆け出した。


「父さん、入るぞ!」

「ローダス……、少しは遠慮しなさい」

「失礼します。あ、お父さん!」

「お前も来たのか。うちには知らせていないが……」

 ノックもそこそこに総大司教室に駆け込んだ子供達を見て部屋の主であるデニーは呆れ、そこに居合わせたノランは驚いた顔になった。それでシレイアが、手短に事情を説明する。


「知らせを聞いたマーサおばさんが気を失って倒れて、ローダスがうちに母さんを呼びに来たの。それですぐに母さんがおばさんの介抱に出向いて、私は医者を連れておじさんの家に行ったのよ。マーサおばさんはどこも怪我はしていないし、気持ちを落ち着かせる薬を出して貰って安静にしているから。お母さんも付いているから、大丈夫よ」

 それを聞いたデニーは安心し、感謝の言葉を口にした。


「それなら安心だ。ステラには迷惑をかけるが、よろしく頼むよ。下手をすると、今夜は帰れないかもしれないし」

「おじさん、安心して。いざとなったら、お母さんと私が泊まり込むから」

「それは助かる。できたらお願いするよ」

「任せて。お父さんも帰れないかもしれないみたいだし、それで構わないわよね?」

 ここでシレイアは、父親を振り返って確認を入れた。対するノランも頷いて机上の紙を引き寄せ、ペンを取りながら答える。


「そうだな。今、伝言を書いておくから、ステラに渡しておいてくれ」

「分かったわ」

 そんな父娘から視線をデニーに戻したローダスは、詰問口調で尋ねる。


「それで父さん、どういう事なんだ? 街道で強盗に襲われたと聞いたが、それはおかしくないか? 荷物を満載した商会の旅団や、いかにも金を持っていそうな貴族の行列を襲うならともかく、それほど見映えのしない教会関係者の集団を襲うなんて。普通だったら考えにくいんだが」

(そうなのよね。私も話を聞いて、真っ先にその違和感を感じたもの。同行者に大司教様がいるなんて気がつかないくらい、出発を見送った時に見たのは質素な馬車や荷馬車だったのに……。それに旅人を手当たり次第に襲っているなら、王都に繋がる街道だからさすがに噂になるわよね? それなら皆、余計に警戒するでしょうし)

 ローダスが感じていた疑問をシレイアも当初から抱えており、注意深くデニーの返答を待った。するとデニーは、苦渋の表情で答える。


「そういった襲撃されやすい集団は、それなりに警戒して自前の騎士団を動員したり傭兵を雇ったり、付近の貴族の騎士団に費用を払って警備を要請したりするからな。現にこちらも念のため、ギブリオ伯爵家に領地通過間の護衛をお願いしていた。本当に最小限だったが付いていてくれた騎士達のお陰で、騎士の方を含めて怪我人は多数出たが、死者は出なかったんだ」

「死人が出たっていうのは、誤報だったのか。それは良かったけど……」

「騎士の方にも、負傷者が出ているんですね」

 ローダスとシレイアは神妙な顔つきで押し黙ったが、ここで妻への伝言を書き終えたノランが、ペンを乱暴に机に置きながら怒りの声を上げた。


「お前が内部の反対を押し切って、今回派遣先の領主全員に警護を依頼しておいて、本当に良かったぞ。あの時、『予算が組めない。そもそも貸金業務はそんなに危険な事なのか。そんな事に総主教会が関わって良いと思っているのか』と世迷い言をほざいた馬鹿どもを、纏めて殴り倒してやりたいくらいだ!」

「おじさん……」

「お父さん……」

 常には無い怒りの形相のノランに気圧されて、ローダスとシレイアが驚きで目を見張る。それを見たデニーが、苦笑いで長年の友人を宥めた。


「落ち着け。お前の見慣れない姿を目の当たりにして、子供たちが驚いているぞ」

「すまん。だがこれ幸いと、事業継続を中断させろなど声をあげる連中の神経を疑うぞ!」

「だから、落ち着けと言っているのに。さっきから普段冷静すぎるくらい冷静で温厚なお前が激昂しているから、俺が怒る暇がないじゃないか」

「これが怒らずにいられるか! どいつもこいつも、勝手な事ばかり言いやがって!」

(本当に、こんなお父さんを見るのは初めて。というか、私、お父さんが怒っているのを見たことがないかも……)

 総主教会内でどんな議論がされたのか、本気で怒り狂っているという表現がぴったりのノランを見て、シレイアはひたすら呆然としていた。そんな微妙な空気の中、控え目にドアがノックされる。


「失礼します。キリング総大司教様、カルバム大司教様、もうすぐ会議のお時間です」

「分かった。すぐ行く」

 二人を呼びに来た若い司祭に、デニーは短く返事をした。そしてローダスに伝える。


「ローダス。レナードは重傷だが、命に別状はないそうだ。マーサが落ち着いたら、そう伝えてくれ」

「重傷って……、一体どういう」

「ラベル大司教を庇って、肩から背中にかけて斬られたそうだ」

「なんだって!!」

「大怪我じゃないですか!?」

「ラベル大司教も左腕を深く斬られて、全く動かせない状態らしい」

「…………」

 ローダスとシレイアはレナードの状況を聞いて声を荒らげたが、すぐに顔色を失って絶句した。そんな二人を宥めるように、デニーが説明を続ける。


「不幸中の幸いと言うか、神の思し召しと言うか……。近衛騎士団所属の軍医が里帰りしていた実家が現場付近だったらしく、急報を受けて現場に急行して適切な処置を施してくれたそうだ。そのまま重傷者は近くの商人の屋敷に運び込まれて、必要な手当てを受けている」

「取り敢えず、命に別状はないんですね?」

「連絡された内容ではそうだ」

「今夜の寝る前の祈りは、普段の十倍にします」

「ありがとう、シレイア。ローダス、あとの事は頼んだ」

「ああ、任せて」

「シレイア、ステラにこれを渡してくれ」

「分かったわ」

 そこでシレイアは父から母への伝言を受け取り、ローダスと共に会議に向かう父達を見送った。


「とんでもない事になったわね」

「ああ……」

(どうしよう、気まずいわ。こういう時って、何を言ったら良いのか……)

 総主教会からの帰り道、シレイア達は言葉少なに並んで歩いていたが、唐突にローダスが言い出した。


「……なぁ、シレイア」

「何?」

「偶然、襲われたと思うか?」

 その問いかけに、シレイアは反射的にローダスに視線を向けた。しかし彼は真顔で前を向いたまま歩き続けており、シレイアも前方に視線を戻しながら応じる。


「遠慮なく言わせてもらえれば、これまでの経緯を考えると、総主教会内でそう考える人と考えない人の比率は半々じゃない?」

「お前と俺の間で、今更遠慮する必要なんかないだろ。……そうだよな。半々だよな」

「そうね。今回の事をきっかけに、その比率がどうなるかが問題よね」

「今回のこれは、これまで人伝に聞いた、単なる嫌がらせレベルを越えているよな」

 その口調に、明らかな怒りと不穏な響きを感じ取ったシレイアは、ローダスに顔を向けながら低い声で釘を刺した。


「それは激しく同感だけど、あんたは子供に過ぎないし総大司教令息なんだから、おじさまの立場を悪くするような騒ぎを起こしたら駄目よ?」

「……分かっている」

(そうは言っても、私もデニーおじさんと同じく貸金業務推進派のカルバム大司教の娘だものね。下手に騒ぎ立てるわけにはいかないわ)

 悔しげな納得しかねる口調ながらも、生まれてからの付き合いでローダスが暴走だけはしないだろうと確信したシレイアは、密かに胸を撫で下ろした。しかし自分自身も今回の事については、どうにも割り切れない思いがあるのを自覚していた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る