(15)衝撃の展開

 コーネリアが本を出した翌年、十五歳になった彼女とクリセード侯爵家当主嫡男のライエルとの間に縁談が持ち上がり、後は正式に婚約するだけの運びになっていた。ライエルは、弟のナジェークの友人であるイズファインが持ち込んだ家同士のカーシス対決から、シェーグレン公爵家とは家族ぐるみの付き合いをしており、見ず知らずの若者ではなくそれなりに親交のある、好感度も良い彼とコーネリアの縁談が調った事に、アラナも肩の荷が下りた気分だった。

 翌年に上級貴族の子女が在籍するクレランス学園への入学を控えている事から、婚礼は卒業後に執り行われるが、婚約パーティーの準備に奔走しながら、アラナが密かに懸念している事があった。


「あの……、お嬢様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構わないわ。何かしら?」

「お嬢様は今でも色々本を書いていらっしゃいますが、ご結婚後はどうされるおつもりですか? 公爵様達は容認されておられますが、クリセード侯爵夫妻やライエル様がどう思われるかと心配で……」

 その懸念を聞いたコーネリアも、難しい顔になった。


「それは私も考えていたの。まさか、全く秘密にできないでしょうし」

「そうですよね」

「だから折を見てライエル様と、向こうのご両親に正直にお話しようと思っているの。もしそれで駄目だと言われたら出版はしないで、趣味で自分で読む為だけに書こうと考えているの。あまり我を張って、周りの方々に不快な思いをさせたくはないもの」

「確かにその通りです。お嬢様の本が世間に出回らなくなるのは、もの凄く残念で文学界の損失ではありますが、婚家の家風を乱す事などしてはいけない事だと思います」

 そこでもっともらしく神妙に頷いてみせたアラナだったが、心の中では歓喜の叫びを上げた。


(良かった! やっぱりコーネリア様はきちんと常識を弁えた、誰にも後ろ指をさされたりなどしない、立派なお嬢様よ! これで冤罪とか謀略とか不倫とかの話をお書きになるのを、円満に納得して止めていただけるわ!)

 そんな風に最大の懸念が解消したアラナは、嬉々としてパーティーの準備に勤しんでいたが、ある日そんな彼女に、特大の衝撃が襲いかかった。



「……すか!? 第一、こんな……、します!!」

 コーネリアに付いてアラナが屋敷の廊下を歩いていると、進行方向のドアからかすかな怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。それを耳にしたコーネリアが、怪訝な顔で呟く。


「あら、何事かしら? 確かあそこの応接室は、今はエセリアとミランが使っている筈よね?」

「はい。全く、このお屋敷であのように声を荒げるなど、ミランにはきつく言い聞かせないと」

 顔を顰めながらアラナが応じたが、そのドアに近づくにつれて、ミラン以上に声を張り上げている人物が存在していた。


「これは幾つものシミュレーションを踏まえた、深謀遠慮の結果なの!! 元からこの世界に無いものを作り出せば、世界そのものを変革する事になって、シナリオ自体が崩壊するかもしれないじゃない! だから私は生き残りをかけて、この型に嵌まった大人しい世界に、破壊力満点の腐女子を誕生させ、増殖させる事を決意したのよ!!」

「『しなりお』? 『ふじょし』? 全く意味が分かりません!! お願いですから、俺にも分かる言葉で喋って下さい!!」

「……エセリアにも言い聞かせないと駄目のようね」

「そのようでございますね」

 コーネリアが溜め息を吐いて足を速め、主従で難しい顔をしながら廊下を進んで、すぐに問題のドアの前に辿り着いた。


「腐って結構! 腐るのが怖くて、BLが書けるか!! こっちは人生かかってんのよ!?」

「寧ろ、人生崩壊の危機ですよ!! 大体、こんな物を書いているのが本人にバレたりしたらどうなると思って!」

「二人とも、さっきから大声を出してどうしたの?」

 ノックをしても全く気が付いて貰えなかったコーネリアは、遠慮せずにドアを開けて中にいた二人に呆れ気味に声をかけた。その途端怒鳴り合っていた二人は同時に固まり、ミランが蒼白な顔で勢い良く頭を下げる。


「あ……、す、すみません! コーネリア様、失礼しました!!」

「廊下を通りかかっただけだし、私は構わないのだけど……。あら、それは新作の原稿よね? 最近はエセリアに見せて貰って無いけど、先にミランに見せていたの?」

 テーブル上に散らばった用紙を見たコーネリアが笑顔で尋ね、何故かアラナは嫌な予感を覚えた。するとエセリアが、妙に引き攣った笑顔で頷く。


「え、ええと……、まあ、そんな感じですが……」

「それなら、今、それをちょっと見せて頂戴?」

「だっ、駄目ですっ!!」

(ちょっとミラン、何なのその無礼な態度は!)

 礼儀など投げ捨てた感のミランが、盛大に拒否しながら目の前の原稿をかき集めたのを見て、アラナは内心で叱り付け、珍しくコーネリアの眉が不快そうに歪められた。


「……ミラン?」

「い、いえっ! あのですね! これはコーネリア様向きでないと申しますか、お気に召さないと申しますか」

「私向きで無いかどうかは、私自身が読んで判断する事ではないの?」

「世間一般的にはそうかもしれませんが、これは世間一般から激しくずれた代物で」

「さっさと渡しなさい」

 その押し問答を見て、どうしたものかとアラナが困惑していると、同じように壁際で待機していたエセリア付きメイドのミスティが、緊張の糸が切れたようにいきなり床に崩れ落ちた。


「ミスティ! どうしたの!?」

「アラナ……、もう駄目……」

「気を確かに! 何がどう駄目なのよ?」

 ミスティの上半身を抱えながら声をかけたアラナだったが、ここで予想外の事実を告げられた。


「あの原稿、男性同士の恋愛の話なの」

「……ごめんなさい、言っている意味が分からないわ」

「だから、男女じゃなくて、男同士の恋愛話なの。それをエセリア様は、本気で本にして売り出そうとしているのよ」

「…………」

「駄目ですと言っても、全然聞き入れて貰えなくて……。私、絶対、お屋敷を叩き出されるわ。私物は、皆で処分してくれて良いから……」

「あ、ちょっと! ミスティ、しっかりして!」

 ここで涙目で呟いていたミスティが完全に気を失ったのを見たアラナは、慌てて彼女の身体を床に横たえてから、彼女を運び出す為の人手を確保するために他の使用人を呼びに行った。そして何人かの執事やメイドに手伝って貰い、ミスティを使用人棟の彼女の私室に運び込み、念のため医師の手配も済ませてから応接室に戻ると、驚いた事にコーネリアがまだ問題の原稿を読み続けていた。

 室内が不気味な沈黙に満たされ、時折コーネリアが原稿に触れる音だけ聞こえる中、エセリアとミランが身じろぎせずに固まっており、アラナが恐る恐る声をかけようとしたタイミングでコーネリアが顔を上げ、静かにエセリアを見据えながら口を開いた。


「あの、コーネリ」

「エセリア」

「はい」

「あなたが、これを書いたのよね?」

「……はい」

 すっかり観念して素直に認めたエセリアだったが、その瞬間コーネリアは手にしていた原稿を目の前にテーブルに置きながら、歓喜の叫びを上げた。


「素晴らしいわ、エセリア!! やっぱりあなたは天才よ!!」

「……え?」

「嘘だろ?」

「はい?」

 まさかの賞賛の言葉に当事者のエセリアとミランは勿論、アラナも驚きで目を見開いたが、コーネリアは彼女の目の前で恍惚とした口調で言い募った。


「恋愛は男女間で成立するものという固定観念をいとも容易く打ち破り、世間一般的には決して祝福されないであろう故の苦悩。背徳感を認識しながらも、欲望を押し止められない脆さと弱さ、更に実の姉と婚約者を交えての、あまりにも業が深すぎる葛藤……。それをこれほどまでに深く掘り下げて書き上げたのが、まだ十歳のあなただなんて! あなたはどれだけの才能の持ち主なの!? 天才、いえもう鬼才と言って良いレベルだわ!!」

(いえ、絶対そんな事はありえませんよね!?)

 床に崩れ落ちながらのアラナの心の叫びは、誰の耳にも届かなかった。


「その……、私はそこまで深く考えて、それを書いたわけでは無いのですが……」

「それにあれは、名前や年齢を実際とは違えてあるけど、リアーナのモデルは私よね?」

「……はい」

「やっぱりバレバレじゃないですか!」

 確信に満ちた問いかけにエセリアが素直に頷き、それと同時にミランが涙目で非難の声を上げたが、コーネリアは顔を紅潮させながら上機嫌に続けた。


「やっぱり! もう途中からドキドキしてしまったのよ! だってここに書かれているような事は、間違っても実際に言ったりしたりできないもの!」

「はい?」

「『この薄汚い野良犬の分際で、私と同じテーブルに着くつもり!?』と激高して、ナジェークの顔にワインをぶちまけたり、『この私が、男に劣るとでも言うの!? この恥知らず! 床に這いつくばって、許しを請いなさい!!』と言いながらライエル様を扇で打ち据える所なんか、想像するだけでもうゾクゾクしてしまって……」

「…………」

 そう言って、どこか中空を見ながらうっとりしているコーネリアを見て、ミランは完全に逃げ腰になり、エセリアは控えめに確認を入れた。


「あ、あの……、確かに登場人物のモデルは、お兄様やライエル様なのですが……」

 するとコーネリアは妹の表情を見て、僅かに気分を害したように言い出す。

「嫌だ、エセリア。変な顔をしないで頂戴。何も普段から二人を痛めつけたいとか、考えてはいませんからね? あくまでも普段の自分の生活や行動パターンとは有り得ない設定に、少し心がときめいただけよ」

「……そうでございますか」

「せっかくだから、このまま最後まで読ませて貰うわね?」

「どうぞお読み下さい」

 そこまで聞いたアラナは生気のない顔つきで立ち上がり、よろよろと覚束ない足取りでドアに向かって歩き出した。そしてドアを開け、廊下に出たところでへたり込む。


「アラナ、どうしたの? ミスティが倒れたと聞いて、様子を見に来たのだけど。あなたも具合が悪いの?」

 廊下の向こうから慌てて駆け寄って来たロージアを認めたアラナは、廊下の壁に寄り掛かりながら、涙目で呟いた。

「ロージアさん……、本当に申し訳ありません。お嬢様があんな風にお育ちになるなんて……、あんな非常識な……」

「アラナ、しっかりして! どうしたの!? 気を確かに持って!」

 そんな狼狽したロージアの声を聞きながら、アラナの意識は遠のいていった。

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