(3)不穏な初対面

 従来、使用人にかしずかれている貴族の子女にも、自主自立の精神を養わせる為に寮生活を必須としているクレランス学園は、実質的な授業開始前に全生徒を入寮させ、まずその生活に慣れさせる事にしていた。


「おはようございます、カテリーナ様。登校初日が良いお天気で、清々しい気分ですわね」

 本格的な授業開始日の朝、カテリーナが敷地内の寮から授業棟に向かって歩き出すと、旧知の人物から声をかけられた。それに彼女は笑顔で返す。


「おはようございます、アルゼラ様。本当にその通りですね。昨日発表されたクラス分けではご一緒でしたし、一年間よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。良く存じ上げているカテリーナ様とご一緒で、とても心強いですわ。寮に入ってから戸惑う事が多くて、途方に暮れておりましたし」

「やはり身の回りの事をする者がいないと、勝手が違いますわね」

「ええ、本当に。ですが、貴族に平民の方々の暮らしを疑似体験させる事が、この学園の設立目的の一つと伺っていますもの。頑張りますわ」

「……そうですわね」

 笑顔で同意したカテリーナだったが、内心では少々納得しかねる物があった。


(でも食事は出るし洗濯もして貰えるし、自分でするのは自室の整理整頓と掃除位の物だもの。はっきり言って大した手間でも、労力でも無いと思うのだけれど……)

 しかしそんな自分の内心に気が付かないまま、笑顔で世間話を続けるアルゼラと並んで歩きながら、カテリーナは小さく溜め息を吐いた。


(こんな事を正直に口にしたら、忽ち貴族社会の中では浮くでしょうし。本当に馬鹿馬鹿しいわ)

 そんな事を考えているうちに、彼女達は割り当てられた教室に到着した。


「こちらが、私達の教室ですわね」

「机はどこを使っても構わないと事前に説明を受けていますが、どうしましょうか?」

 顔を見合わせながら、二人で教室内を見回していると、窓際の方で立ち話をしていた男子生徒の一人が彼女達に気付き、笑顔で歩み寄って来た。


「やあ、カテリーナ。久し振りだね」

 父親同士が親友であり、幼い頃から互いの屋敷を訪問しあっている気安い仲である彼に対し、カテリーナは従来通りの気安い口調で応じた。


「本当にそうね。イズファインの名前をクラス名簿で見たから、会えるのを楽しみにしていたわ。一年間宜しくね」

「一年間どころか、三年間一緒じゃないのかな? 来年は、騎士科を希望するつもりだろう?」

「言われてみればそうね」

「カテリーナ様!? まさか、騎士科に進むおつもりなのですか!?」

 その二人の和やかな会話に、驚愕したアルゼラが甲高い声で割り込んだ為、教室中の視線が三人に集中した。それにカテリーナは舌打ちしたい気持ちを堪えつつ、考えを巡らせる。


(何だか入学早々、余計な注目を浴びてしまったみたいだけど、後から色々尋ねられるのも面倒だし、この場でさっさと意思表示してしまいましょうか)

 そこで素早く決断を下したカテリーナは、事も無げに言ってのけた。


「我が家は代々武門の家柄ですし、武芸一般に関して、父や指導役より手ほどきを受けています。私が来年騎士科に進級する事は、家長である父も認めておりますが、それが何かおかしいですか?」

「……いえ。確かに少し驚きましたが、侯爵様が認めておられるのなら、他家の事情に口を挟むような事は慎むべきですわね」

「そうですわね」

 あからさまに非難もできず、憮然としながらアルゼラが話を終わらせたところで、新たな声が割り込んだ。


「へえ? カテリーナ嬢は確か、ガロア侯爵家のご令嬢と伺っていますが、随分勇ましい方なのですね」

(何? この失礼な人は?)

 イズファインの背後から、からかうような口調で声をかけてきた男子生徒を、カテリーナは無言のまま軽く睨んだ。すると目の前のイズファインが、困ったように振り返りつつ相手を窘める。


「おい、ナジェーク。こんな事でからかうな。失礼だろうが」

「誤解だ、イズファイン。私は誉め言葉を口にしたつもりだが?」

「残念ながらお前の表情と口調が、他人にそう感じさせない」

「それは困ったな」

 溜め息を吐いたイズファインと、それを見て笑うナジェークと呼ばれた二人を眺めながら、カテリーナは内心で考え込む。


(イズファインと、随分仲が良さげだけど……。こんな人の話を、今までに聞いた事があったかしら? それにどこかで、見覚えがあるような無いような……)

 その疑問の半分は、次にイズファインが彼の友人を紹介した事で解決した。


「カテリーナ。こちらはシェーグレン公爵家のナジェーク・ヴァン・シェーグレンだ。私の以前からの友人でね」

「そうですか。初めまして、ナジェーク様」

「ナジェーク・ヴァン・シェーグレンです。よろしく、カテリーナ嬢」

(シェーグレン公爵家と言えば、ご令嬢が王太子殿下の婚約者になっている家の筈。そんな家と我が家の交流がある筈がないし、そこの子息の話を耳にした事が無かったのも道理だわ。イズファインもわざわざ話題に出さないでしょうしね)

 納得できたカテリーナだったが、ここでナジェークが予想外の事を言い出した。


「ところで私の事は、ナジェークと呼び捨てでも構わないよ? イズファインの事は、呼び捨てにしているみたいだし」

 妙な押しの強さとなれなれしさを感じるその言い方に、カテリーナは内心で反発を覚えながら平然と言い返した。


「イズファインは子供の頃から、家族ぐるみでのお付き合いがありますから。残念ながら我が家とシェーグレン公爵家の間には、これまで全くと言ってよい程交流はございませんし、ナジェーク様とお呼びするのが、適当ではありませんか?」

「なるほど。確かにそうかもしれませんね」

(この人、馬鹿にしているの?)

 わざとらしく真面目くさって頷いてみせたナジェークに、カテリーナの苛立ちが増大した。それなりに長い付き合いのイズファインがそれを察知し、ナジェークの腕を引きながら叱責する。


「ナジェーク。彼女をからかうのは止めろ」

「私はからかってなどいないが?」

「さっきも言ったが、残念な事に、お前の表情と口調がそうとしか見えないんだ」

「それは失礼。ではまた改めて、挨拶するよ。これから一年間、同じクラスだしね」

 そこでカテリーナに笑いかけてから、あっさり踵を返して窓際に向かったナジェークを見送ったイズファインは、溜め息を吐いてから彼女に謝った。


「すまないね、カテリーナ」

「あなたが謝る筋合いの事ではないし、それは構わないのだけれど……。随分と掴みどころの無い方ね」

「そう感じたのかい?」

「ええ。他の方とは違って本気で馬鹿にしたわけでは無くて、単に私の反応を見たかっただけの気がするわ」

「確かにそうとも言えるな。それじゃあ失礼するよ」

「ええ」

 そしてイズファインもその場を離れてから、この間、完璧に存在を無視されていたアルゼラが、窓際で級友達と談笑しているナジェークを憎々しげに睨み付けながら、面白く無さそうに言い出した。


「あの方が、幼少期から奇才と名高いエセリア様の、兄君ですのね」

「私も名前だけは耳にしていたけれど、初めてお目にかかったわ。なかなか抜け目が無さそうな方ね」

「このクラスには名簿を見る限り、アーロン殿下派の家の者はごく少数みたいですし……。カテリーナ様、負けていられませんわね! 頑張りましょう!」

「……ええ、そうね」

(何に対して、どう頑張ると言うのよ……)

 家同士の付き合いでカテリーナは相槌を打ったものの、彼女は早くも学園生活に嫌気が差し始めていた。そんな彼女達を眺めながら、何やら独り言を口にしていた友人に、イズファインは不思議そうに尋ねた。


「ナジェーク。お前、何をぶつぶつ言っているんだ?」

「カテリーナ嬢の事だ。あんな美人と親しげに名前を呼び合っているなんて、お前も隅におけないよな。あんなに可愛い、れっきとした婚約者がいるくせに」

「止めてくれ。カテリーナとは本当に家族ぐるみの付き合いなんだから」

 冷やかし顔で軽く肘で小突いてきたナジェークに、イズファインは困り顔で弁解した。それでナジェークは、益々笑みを深める。


「それにしては今まで私の前で、彼女の話をした事は無いだろう?」

「それは……、間違ってもガロア侯爵の前でお前の話なんかできないから、逆にお前の前でも向こうの話をしなかっただけだ」

「ガロア侯爵は、シェーグレン公爵家がそんなに嫌いなのか?」

 その問いかけに、イズファインが正直に答える。


「お前の家が、と言うより、王太子派に所属する家が、だな」

「我が家は率先して、王太子派に属した覚えは無いがな。王家から王太子の婚約者に、エセリアを求められただけで」

「しかしそれで、お前の家が王太子派の中核と見られているんだから、仕方がないだろう」

「理不尽な事だな……。一応確認しておくが、お前との付き合いも注意した方が良いのか? ティアド伯爵家は中立派だし」

 軽く肩を竦めたナジェークが尋ねた内容を聞いて、イズファインが本気で呆れた表情になる。


「そんなのは今更だろう。父上は息子の交友関係にまで首を突っ込んでくるほど、無粋で融通の利かない方では無い。前々から『お前の判断に任せる、好きにしろ』と言われている」

「すまない。さっきはティアド伯爵を見くびるような発言をしてしまったな」

「そこですぐに謝罪の言葉が出てくるお前の事を、私は結構気に入ってるよ、ナジェーク」

 そこでお互いに苦笑してその話は終わり、二人は次の話題に移ったが、ナジェークはそれから時折カテリーナの姿を目で追っていた。

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