(6)怒れる母娘

 その日はナジェークが王宮から帰宅すると、嫁いで久しい姉のコーネリアが珍しく顔を見せており、夕食の席は家族四人が顔を揃えた。

「今日はコーネリアが来てくれて嬉しいわ。エセリアが学園から帰って来ていたなら、全員揃ったのにね」

 ミレディアが少々残念そうに言い出すと、コーネリアが微笑みながら母を宥める。

「このところご無沙汰していましたから、実家で話したい事があるとお話ししたら、お義母様が快く送り出してくれて助かりました。今度はエセリアの休みの時に合わせて、顔を見せに来ますね」

「その時は、子供達も連れていらっしゃい」

「そうします」

 そんな和やかな空気で始まった夕食だったが、それはディグレスが何気なく口にした台詞で呆気なく吹き飛んだ。


「そう言えばナジェーク、最近巷では、お前の縁談が決まった事になっているそうだな」

「…………」

 その途端、ミレディアとコーネリアがピタリと口と手の動きを止め、無表情になりながらナジェークに視線を向ける。対するナジェークは母と姉からの視線の圧力を感じながら、父親に愚痴っぽく問い返した。


「……どこの馬鹿ですか。そんな世迷い言を、父上のお耳に入れたのは」

「そう怒るな。彼も親しくしている者から話を聞いて、すっかり信じ込んでいたからな。全く悪気は無いんだ。祝いの品ははっきり断ったから」

「ご迷惑おかけしています」

「お前のせいではないだろう。しかし最近のコーウェイ侯爵家のやりようは、目に余るものがあるな」

 苦笑の表情から一転し、困惑気味にディグレスが誰に言うともなく呟くと、それにミレディアが押し殺した声で続ける。


「本当に、非常に腹立たしいですわね……。ナジェークから意中の女性がいると聞かされてから、何度もきっぱりとお断りしておりますのに。ある事無い事どころか無い事無い事言い触らして、既成事実化させるおつもりかしら?」

「ミレディア?」

「母上?」

 目の前の皿に盛られている料理を凝視しているミレディアの目が、どう見ても物騒な輝きを宿しているようにしか見えなかった男二人は困惑した目を向けたが、彼らが何か言う前に新たに地を這うような声が聞こえてくる。


「真っ向から自分の娘を売り込んでくるならともかく、門前払いされるのが目に見えているからと、そんな底の浅い考えでこそこそと策ともいえないこざかしい行為に及ぶなど、粉砕する気にもなれないわ」

「コーネリア……」

「姉上……」

 相当立腹しているのが明らかなコーネリアを見て男二人が絶句していると、ミレディアとコーネリアの嘲笑気味の話が続く。


「まあ確かに、コーウェイ家のステラ嬢の容姿は十人並みでナジェークと並んで立つと明らかに見劣りしますし、聞くところではクレランス学園在学中の成績も中の下程度。変に劣等感を拗らせて、周囲には家柄を笠に着て弱い立場の者には威張り散らす、どうしようもないご令嬢ですから仕方がありませんけどね」

「本当にお気の毒ですこと。でも私の見るところ、ご両親のコーウェイ侯爵夫妻も娘とご同様の取り立てて才能も魅力の無い凡庸な人間ですし、兄弟姉妹も特に良い評判など耳にしませんから、当然と言えば当然ではありませんか?」

「…………」

「二人とも……。最近、コーウェイ侯爵家に関する事で、何か不愉快な事でもあったのか?」

 彼女達の台詞にナジェークは本気で頭を抱えてしまったが、とても放置できなかったディグレスはその理由を尋ねてみた。すると二人は顔を見合わせて、くすくすと小さく笑い合ってから告げる。


「不愉快な事? そうですわね。あったかもしれませんわ」

「お父様。節度と常識が欠けた人間と接すれば、大抵の方は不愉快に感じると思いますわよ?」

「……そうか」

 要するにあまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、口に出すのも不快なのだなと理解したディグレスは、それ以上下手に追及したりしなかった。


(母上と姉上は対外的には笑顔を絶やさない、寛容な人物と思われているが、実際はあの王妃様の実の妹と姪だけあって、怒ると結構苛烈で容赦の無い判断を下すタイプの人間だからな。あの馬鹿ども、私の知らないところで、一体何をやらかしたんだ)

 恐らく自分が職場で絡まれている以上の内容や回数で、この二人が行く先々で待ち伏せされたり、偶然を装って絡まれたのだろうと察したナジェークは、盛大に溜め息を吐いた。そんな彼に、コーネリアが険しい視線を向けてくる。


「今日こちらに足を運んだのは、ナジェークにきちんと確認したかったからなの。ナジェーク。あの図々しい間抜けな恥知らず女と、まかり間違って結婚なんかしないでしょうね? そんなふざけた事になるなら、姉弟の縁を切るからそのつもりでいて頂戴」

 その真顔の宣言に、ナジェークは即座に頷いてみせた。


「その可能性は万が一にもありませんので、ご心配なく。きっぱりお断りできず、姉上の周囲を騒がせてしまって申し訳ありません」

 ここでミレディアが、憤慨した様子で話に割り込んでくる。


「コーウェイ侯爵家側には、何度もきちんと断りを入れているのよ? それなのに理解できないなんて、親子揃ってどこまで残念な頭の持ち主なのかしら」

「ミレディア。その辺で止めておきなさい」

「ナジェーク。何をぐだぐたと話を長引かせているの。手段を選ばず、さっさとこの件にけりをつけなさい。分かったわね?」

「コーネリア。ナジェークをそそのかすな」

「お父様。そうは仰いますけど、事はクリセード侯爵家にも関わってきておりますの。先日お義母様が、実家の義姉から話を聞いたと仰られて」

「まあぁ、本当に懲りない方々ね!」

 それからは女二人が口々にコーウェイ侯爵家を悪しざまに罵るのをディグレスが宥める構図になっていたが、ナジェークはそれを半ば無視しながら夕食を食べ進めた。


(確かに、言い聞かせても聞く耳持たないのであれば、キリが無いな。職場でまとわりつかれるのも、いい加減に止めさせたいし……)

 そこで職場での事を考えていたナジェークは、ふと昔の事を思い出した。


(そう言えば、子供の頃……。エセリアがカーシスを考え出した時、説明の場で言っていた事があったよな。『無能な上司に妬まれたり睨まれた時にどうすれば良いか』とか……。別に敵視されてはいないが排除したいのは同じだし、取り敢えず部長の方はあの方向で考えてみるか)

 そして早速上司を排除する方策を考えていると、コーネリアから怒りの声が上がる。

「ちょっとナジェーク! 私の話を聞いているの!?」

 それで我に返ったナジェークは、神妙に頭を下げた。


「姉上、勿論話は聞いていましたし、手段は多少選びますが、近々状況を改善させるようにします」

「それならもう暫くは静観して、適当にあしらっておくわ」

「宜しくお願いします。母上も、煩わしい思いをさせますが、もう少々ご辛抱ください」

「分かりました」

 母と姉に再度頭を下げて何とかその場を収めてから、ナジェークは決意を新たにした。


(この際真剣に、一家纏めて潰す方策を考える事にしよう)

 そんな物騒な事を考えながら、ナジェークはなに食わぬ顔で夕食を食べ進めていった。

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