(10)誘導

「グラディクト様。ここ暫く満足にご挨拶もできずに、誠に申し訳ありません」

 オリエンテーションの予定日間近になって、久しぶりに顔を見せたローダスだったが、グラディクトは寛容な笑みを浮かべながら応じた。


「ああ、アシュレイか。構わない。剣術大会の準備に駆り出されていたのだろう? 名簿にお前の名前が載っているのを見たぞ」

「はい。下級貴族は使い勝手が良いからと毎年こき使われるのには、本当に飽き飽きしました」

「あんな女をのさばらせている、私にも責任の一端はあるな。すまないと思っている」

「いえ、お気遣いなく」

 統計学資料室でそんな会話を交わしてから、ローダスは二人きりなのを幸い、慎重に話を切り出した。


「お伺いしますが……、オリエンテーションとやらの準備の方は、順調に進んでいるのでしょうか? この間、お手伝いできなかったもので、気になっておりまして……」

 するとグラディクトは、如何にも呆れたと言わんばかりの口調で言い出す。


「本当に、動いている人間の中に、お前のように気が利いて頭が回る奴がいなくて困る」

「そんな事は無いかと思いますが……」

 ローダスは内心、(自分の都合だけで他人をこき使っておいて、その物言いかよ)と呆れたが、グラディクトの文句は更に続いた。


「アリステアが、一つ一つああしろこうしろと指示している、物品を準備する係は何とか進んでいるが、チェックポイントでの問題を考える係が、簡単過ぎたりその場所に全く関係の無い問題だったり、教授方も知らないような難問奇問だったりと……。あいつらは本当に、加減と言う物を知らないのか?」

「そうでございますか……」

(あんたの下で右往左往するのが似合いの奴らなら、当然だろうがな。それに中には頭が回る奴もいるだろうが、そんな奴は自分が使える人間だと下手に知られると今後こき使われると警戒して、積極的に動いていないだろう)

 それだけで正確に現状を把握したローダスは、落ち着き払って申し出た。


「それでは少々提案と言うか、たった今、思い付いた事があるのですが」

「何だ?」

「先程の殿下のお話では、チェックポイント毎にそこに関する問題を作らないといけないみたいでしたが、そのチェックポイントには事務局と図書室と音楽室は含まれていますか?」

「ああ、確か含まれていたな。それがどうした?」

「それでは事務局での問題は、学園創設を記念して植えられている、菩提樹の本数にしてみてはどうでしょう?」

「菩提樹の本数だと?」

 怪訝な顔でグラディクトが問い返すと、ローダスが真面目な顔で説明を加える。


「はい。その葉の意匠が校章にも使われておりますし、創立記念日には相応しい問題ではないかと。管理している事務局では、手入れの関係もありますから、植えてある場所や本数を正確に把握している筈ですし」

「なるほど、確かにオリエンテーションは創立記念日に行われる予定だし、相応しい問題だな」

 納得して深く頷いた彼に向かって、ローダスは説明を続けた。


「それから図書室では、蔵書の中で最も古い蔵書の書名を確認するというのはどうでしょう? そうすれば、日々蔵書を適切に管理している司書の方々の仕事にも触れる事になると思います」

 それを聞いたグラディクトは、満面の笑みで彼を誉めちぎった。


「確かにそうだな! やはりお前は頭が回る! 感心したぞ!」

「恐れ多い事でございます。それから音楽室ですが、そこで管理している楽器の中で、どれが一番高額な物かを問題にしてはどうでしょうか?」

「高額な楽器だと?」

「はい。殿下を初めとして上級貴族の方々ですと、日々上質な楽器に触れる事は多々あるでしょうが、私達下級貴族や平民出身の生徒は、そうもいきません。しかしこの学園では、かなり上質な楽器を音楽の授業で扱わせて頂いております。その事を改めて認識し、この学園に入学できた幸運を、再認識できればと思いまして」

「なるほど、お前の話は一々もっともだ。その意見を取り入れよう」

 すっかりその気になっているグラディクトに、ローダスは申し訳程度に確認を入れる。


「ですが殿下。既に作成済みの問題もあるのでは?」

「いいや、お前が今口にした内容の方が、絶対にオリエンテーションの内容に相応しい。至急、差し替える事にする」

「そうですか。少しはお力になれたようで、嬉しいです。それでは用事がありますので、本日はこれで失礼します」

「ああ、忙しいにも関わらず、顔を見せてくれて助かった。これからも頼りにしているぞ?」

「はい、お任せ下さいませ」

 そう言って恭しく頭を下げ、他の者に見つかる前にアシュレイは早々にその部屋から立ち去った。


(やはりアシュレイは頼りになる。あの愚鈍な側付き達とは、雲泥の差だ。全く、もう少し爵位が上で権勢のある家の人間だったら、迷わず側付きにするものを。世の中、本当に上手くいかないものだ)

 室内に一人取り残されたグラディクトが、しみじみと己の不幸を嘆いている頃、当のローダスは廊下を歩いている所を、背後から呼び止められた。 


「ローダス、ご苦労様。どうだった?」

 変装をしている自分をその名前で呼び止める者は限られている上、聞き覚えのあり過ぎる声だった為、彼は安心して振り向いた。


「シレイア……、ここで待機していたのか。取り敢えずエセリア様から指示された内容を吹き込んだら、それらを全て取り入れると言っていたが?」

 その報告を聞いたシレイアが、彼と並んで歩き出しながら満足そうな笑みを浮かべる。


「それは何より。これで父とワーレス商会への働きかけが、無駄にならなくて済むわね」

「カルバム大司教とワーレス商会に、何を働きかけたんだ?」

「あら、エセリア様から聞いていなかった? じゃあ教えてあげるわ」

 それからシレイアは、自分とミランが指示された内容を語って聞かせると、ローダスは軽く目を見開きながら、称賛の言葉を口にした。


「なるほど、そういう事か……。答えを予め仕入れておくのではなく、答え自体を直前に変えてしまえば良いと。逆転の発想だな。さすがエセリア様」

「そういうわけで当日私達は、何もせずに高みの見物と言う訳よ。殿下達が右往左往する所を、こっそり観察させて貰いましょう」

「それは益々楽しみになってきたな」

 楽しげに語るシレイアにローダスも微笑み、二人はそのまま報告の為にエセリアの所に向かった。

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