(2)エセリアの宣言

 それから更に数日後。

 紆余曲折を経て、幾ら喚いても怒鳴っても現実が変わる事は無いと正確に理解した彼女は、潔く現状を受け入れる事にしたが、どうにもこうにも我慢ならない事態が発生していた。


「……退屈だわ」

 衣食住に関して、彼女にまだ違和感はあっても、不満は無かった。

 例え常に身に纏う衣類が、全て脱ぎ着がしにくくて、アラサー女が着るにはかなり恥ずかしいデザインの代物だろうが、食材が良く分からない、食べ慣れないこってり料理が多かろうが、生活している屋敷が無駄に広くて、部屋数が多くて未だに迷う事位、なんとか許容範囲内だったからである。

 加えて当初、似非現実エセリアと呼ばれる度に、色々物申したい気分になった気分になったものだが、それもこの数日の間に、何とか自分の心と折り合いを付けていた。しかし自分が満足できる娯楽の類が、この世界に一切存在しない状況が、彼女をすっかりやさぐれさせていた。


「あ、あの……、お嬢様?」

「退屈で退屈で、体が腐るわ……」

 自室の長椅子にだらしなくうつ伏せに寝そべり、怨嗟の呻きを漏らしていたエセリアに、少し離れた所に控えていた彼女付きの侍女であるミスティが、何とか笑顔を作りながら恐る恐る提案した。


「え、ええと……、それではお人形などをお持ち致しましょうか?」

 それを聞いた彼女は僅かに上半身を起こし、見た目の年齢にはそぐわない冷め切った目をミスティに向けた。


「着せ替えやままごとの、どこが楽しいのよ?」

「それでは刺繍などは」

「職人にやらせれば良いじゃない。下手なのを見せびらかして、何が嬉しいのよ。私に自虐趣味は無いわ」

「それではチェスとかピアノとか」

「あんた、子供がそんな習得に時間がかかる面倒くさい事、進んでやりたがってるとか本気で思ってるわけ?」

「…………」

 ことごとく憮然として言い返されてしまった彼女は、神妙に黙り込んだ。それを見たエセリアは再びソファーに突っ伏して、クッションに顔を埋める。


(この侍女、使えない……。だけどそれ以上に、この世界の設定に我慢ができない。チェスとかピアノとか存在するなら、ネット環境位設定しておきなさいよ。それか魔法が存在するとか! 何で娯楽の類が、著しく偏っているわけ?)

 怪我が回復し、一応しおらしい態度で医師から行動の自由のお墨付きを貰ってから、彼女がこの世界の情報収集をした結果がこれであった。

 覚醒当初、脳裏をよぎった遠い未来のバッドエンド回避より、はっきり言って現在の暇潰しの方が、彼女にとっては遥かに重要だったからである。


「もう、我慢できない…………。本当に限界よ……」

(あれも無い、これも無い、無い無い尽くし……。無い、無し、無しと言えば……、為せば成る為さねばならぬ、何事も……)

 そしてダラダラと過ごしては、誰に言うとも無く不満を垂れ流して悶々としていた彼女が、この日この時、天啓に打たれた。


「そうだわ!!」

「お、お嬢様?」

 いきなり叫び声を上げたかと思ったら、素早くソファーの上で仁王立ちになった彼女を、ビクリと全身を強張らせたミスティが薄気味悪そうに眺めた。しかしそんな視線に気付く様子も見せないまま、彼女は益々意気軒昂に叫んだ。


「パンが無ければケーキを食べれば良いように、楽しめる娯楽が無ければ、自分自身で新しい娯楽を作り出せば良いだけの話じゃない! どうして今の今まで気が付かなかったの!? 待ちの姿勢なんて間違っているわ! 楽しければ正義!! これは唯一、絶対の真理だわっ!!」

「は? あの……、お嬢様?」

「見てらっしゃい。私はこの娯楽に飢えた可哀想な世界の民の、救世主になってみせるわっ!!」

 そして「おーっほっほっほっほっほっほっ!!」と、これは高飛車な公爵令嬢らしい高笑いを彼女が続けていると、軽いノックの後にドアを開けて、彼女より何歳か年上の少年が姿を見せた。


「なんだい? 随分騒がしいね」

「ナジェーク様。あの、エセリア様が……。突然、訳の分からない事を仰いまして……」

 彼の登場にミスティが救われた様に駆け寄り、縋る様に訴えると、未だにソファーの上で高笑いをしている妹を眺めた彼は、小さな溜め息を吐いて彼女を宥めた。


「ああ……、うん。最近色々、君達の気苦労が増えているみたいですまないが、取り敢えず破壊行動に及ばないうちは、温かく見守って欲しい。お父様とお母様には、またちょっとエセリアが変だと伝えておくから。何か問題が生じても、君の落ち度にはしないと約束するから安心してくれ」

「申し訳ありません、ナジェーク様。宜しくお願いします」

 八歳の子供から労りの言葉をかけられたミスティは、感謝と安堵のあまり涙ぐんだ。そんな穏やかな空気を切り裂く様に、先程まで高笑いしていた彼女の声が室内に響く。


「あ、お兄様、いらっしゃいませ! でも今は大変忙しいので、兄妹の語らいは後日にお願いします!」

「……ああ、うん。忙しそうだし僕も用事があるから、暇な時にまた来るよ」

「お待ちしておりますわ!」

 そして彼はミスティに「ちょっと心配だから、姉上に様子を見に来るように頼んでおくから」と囁いてから、大人しく引き下がった。


 エセリア・ヴァン・シェーグレン。

 この時の彼女の実年齢は六歳ながら、精神年齢は二十九歳。

 これを契機に、彼女は周囲の者達に生温かい目で見守られながら、自分の趣味と暇潰しの為の娯楽の構築に、ひたすら邁進していくのだった。

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