(2)余計な気苦労

 音楽祭の開催が発表されてから、アリステアは授業が終わった途端、どこかへ駆け去って行くのが日課となった。


「やっと放課後になったわ。今日もしっかり練習しておかないとね!」

 そんな独り言を口にしながら、彼女は慌ただしく荷物を纏めて教室を出て行ったが、彼女の無神経さと騒々しさに慣れていたクラスメート達は、冷ややかな目を向けながらも、口に出しては何も言わなかった。


「何なの? あの方。廊下をあんな風に走るなんて、はしたない事」

 しかしそんなアリステアを見て、不愉快そうに顔をしかめる生徒も数多く存在しており、その中の一人が如何にも腹立たげに、一緒に居た友人達に訴えた。


「聞いて頂戴? 例の音楽祭の事だけど、実は私、ソレイユ教授から『参加希望者が少ないから、あなたの演奏技量が優れているので、是非出て貰いたい』と要請されたの」

 そんな事を言われたカレナを含めた友人達は、表情を明るくして彼女を褒め称えた。


「まあ、名誉な事じゃない」

「マリアンは凄いわね」

 しかし当のマリアンは、険しい表情で首を振った。


「いいえ、話はこれからよ! それで、興味は無かったけど、出るからには無様な演奏は出来ないでしょう? 放課後に練習しようと思って音楽室に出向いたら、あのアリステアとかいう女が、第一音楽室を占拠していたのよ」

「え? 占拠って……」

「どういう事なの?」

 意味が分からなかった周囲が首を傾げると、マリアンが怒りの形相のまま話を続けた。


「音楽室を個人的に使いたい時は、ソレイユ教授の研究室で管理してある、使用予約簿に予め記名する必要があるの。でもそれを見たら、あの女が音楽祭まで毎日、放課後から退館施錠の時間まで、ずっと第一音楽室を使う事になっているのよ!」

 それを聞いて、さすがに周囲がざわめいた。


「えぇ? どうしてそんな事に?」

「だって特定の人物ばかりが使用しないように、教授方が生徒の使用を監督する為に使用簿があるのでしょう?」

「おかしいわよね?」

 そこでマリアンが、素早く周囲を見回してから、幾分声を低めて真相を口にする。


「ソレイユ教授に失礼を承知で仔細をお尋ねしたら、グラディクト殿下からそうしろと厳命されたらしいわ。『こちらから参加を要請しておきながら、本当に申し訳ありません』と、その場で教授に頭を下げられたから、それ以上何も言いませんでしたけど」

 それを聞いた面々は、互いの顔を見合わせながら溜め息を吐いた。


「まあ……。ソレイユ教授も、なんて災難な……」

「本当に、同情致しますわ」

「それでは他の参加者の方も、怒っておられるでしょうね」

 カレナが尋ねてみると、マリアンは苦笑いの表情になった。


「怒ると言うより、呆れているのではないかしら? 他の方達は順番を譲り合って、第二と第三音楽室を使って練習しているけど、同じく参加を表明されているエセリア様は、一度も練習にいらしていないみたいだし」

「それは本当なの?」

「練習しなくとも平気なのでしょうか?」

 途端にざわめく周囲に、マリアンが幾分素っ気なく答える。


「エセリア様はあまり音楽がお得意ではないという噂があるけど、それでも全く練習する価値のない行事だと、考えていらっしゃるんじゃない? だから私達も、適当に練習をしているわ。真面目にやるのが馬鹿馬鹿しいもの」

「確かにそうかもね」

「それなのに誰かさん一人必死になって、馬鹿じゃない?」

「本当にそうね。でもそれ位しか取り柄が無いなら、仕方がないのでしょうけど」

 アリステアを揶揄するような笑いが漏れた所で、その中の一人が興味津々で尋ねてきた。


「ところで、彼女のピアノの腕前はどうなの? そこまで気合いを入れるなら、相当の腕前でしょうけど」

 しかしその問いかけを、マリアンは一刀両断した。

「ああ、練習しているのを廊下で聞いてみたけど、確かにそこそこ上手いけど、あの程度の人間なら学園内には何人もいるわ。練習している曲も平凡な、大して難度の高くない曲だし」

 それを耳にした周囲からは、失笑が漏れた。


「あらあら、それなら恥の上塗りにならないかしら?」

「本人はそう思っているのだから、やる気満々なのでしょう? だけどこちらが真面目に付き合う義理は無いわ」

「確かにそうね。でもそんな人間に肩入れするなんて……」

「グラディクト殿下の人を見る目も、大した事は無いわね」

 周囲に怪しまれないよう、調子を合わせてくすくすと笑っていたカレナだったが、内心ではうんざりしていた。


(良くもまあ、毎回問題が起こせるものね。音楽室を独り占めなんかしないで、参加者が一堂に会して使用時間を割り振るような話し合いの機会を設ければ、同じく音楽に親しんでいる者同士で交流を深めたり、意見交換する人も出てきたかと思うのに。エセリア様が何かしなくとも、自分で勝手に周囲の反感を煽っているなんて、残念極まりないわ)

 そう思いながら、カレナはエセリアに報告するべく、彼女達と別れてからエセリアのもとへと向かった。



「……という話だったのですが」

 無事にエセリア達とカフェで合流を果たしたカレナが、先程の話を一通り語り終えると、ちょうど居合わせたミランとサビーネが、彼女と同様にうんざりした顔つきで感想を述べた。


「あからさま過ぎる……」

「何を考えているんですか? あの人達は」

 呻くように漏らした二人だったが、エセリアも本気で頭を抱えた。


(絶対、何も考えていないわね。全く、余計な敵を増やしてどうするのよ? 私が何も言わなくても、周りが騒いでアリステアを非難したら、グラディクトは裏で私が糸を引いていると決め付けて、難癖を付けて早々に断罪しかねないじゃない!)

 そんな結構危険な可能性を考えて、エセリアは益々気が滅入った。


(私は関わっていないから、普通に考えれば安泰な筈だけど……。万が一、ゲーム本来の流れに沿って変な補正が作動したら拙いし、断罪されるにしても、こちらの筋書き通りにいって貰わなくちゃ困るのよ!)

 そこで考えられる危険性を、できるだけ排除したいと考えたエセリアは、溜め息を吐いてからカレナに声をかけた。


「カレナ。先程、音楽室の使用に関して不平を口にしていた方の名前を、教えて欲しいのだけれど」

「リュカード伯爵家のマリアンですが。どうなさるおつもりですか?」

 素直に答えながらも、不思議そうに問い返した彼女に、エセリアは椅子から立ち上がりながら答える。


「不平不満があちこちから噴出して、音楽祭自体が不成功に終わってしまったら、一応主催者たる殿下の婚約者の立場としては、少々具合が悪いですから。最低限のフォローはしておこうかと思うの」

 それを聞いたカレナは、彼女に同情する眼差しを向けた。


「分かりました。今後、同様の話を耳にしたら、事を荒立てないように周囲を宥めておきます」

「お願いするわね。それではちょっと、ソレイユ教授の所に行って来ます」

「エセリア様? どうしてですか?」

 てっきりマリアン嬢の所に行くのかと思っていたミランが、怪訝な顔で尋ねると、エセリアは小さく肩を竦めてから答えた。


「教授に参加者名簿を出して貰って、アリステア以外の全員に、個別に話をしておくわ。皆様大なり小なり、迷惑を被っておられると思うから、何とか宥めておかないとね」

 そう説明してから、エセリアは優雅に歩き去った。その背中を見送りながら、ミランが忌々しげに呟く。


「どこまで傍迷惑なんだか……」

「殿下がエセリア様との婚約破棄を決断する前に、アリステアが退学させられるのではないかしら?」

「そうなったら、確かに元も子もありませんわね。エセリア様と本気で張り合おうなんて身の程知らずの方、他に誰も居ませんもの」

 そんな事を真顔で囁き合った三人は、あまりにも問題児過ぎるが故に、自分達の計画まで破綻させかねないアリステアに対して、怒りを通り越して頭痛を覚えていた。

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