(7)条件提示

「それではジュール兄様、私はそろそろ寮に戻りますね。ジャスティン兄様、お邪魔しました」

「分かった。当日はよろしく頼むよ」

「気をつけて帰れよ」

 ナジェークを交え、夜会に関する話や世間話を暫く続けてから、カテリーナは兄二人に断りを入れて腰を上げた。するとナジェークも、さりげなく話を切り上げる。


「私も必要な話が終わりましたので、これで失礼します。途中まで、彼女を送っていきますので」

「そうですか。今日はあなたとお会いできて良かったです」

「……お気をつけて」

(もう! ジュール兄様はあっさり丸め込まれているし、ジャスティン兄様はすっかり諦めた表情をしているし!)

 兄二人の反応に、カテリーナは内心でうんざりしながら部屋を出た。そして義姉のタリアに見送られて

街路を歩き出してから、並んで歩いているナジェークに尋ねる。


「ところで、私を送っていくとか言っていたけど、徒歩で寮がある王宮まで行くつもり?」

「それは……。ああ、来たな」

 何か言いかけたナジェークが足を止めて背後を振り返ると、一台の馬車がゆっくりと近寄ってくるところだった。自然にカテリーナも足を止めて眺めていると、その馬車は彼らの前で静かに停車し、御者がナジェークに声をかけてくる。


「ナジェーク様、お待たせしました」

「いや、大丈夫だ。ありがとう。さあカテリーナ、乗ってくれ。王宮の入口まで送っていくから」

「どうも……」

 笑顔のナジェークに促されたカテリーナは、取り敢えず馬車に乗り込んだ。そして王宮に向かって動き出してから、向かい側に座るナジェークに呆れ気味に問いかける。


「ジャスティン兄様の家の前に長々と停めていたら人目につくでしょうけど、この馬車を一体どこに停めていたのよ。私達が外に出てすぐにやって来るなんて、どこか近くで見張っていたのよね?」

「我が家の使用人は、全員優秀だからね。万事如才なく対応してくれる」

「本当にそうね。ジャスティン兄様の家にジュール兄様と私が顔を揃える日時も、しっかり把握していたものね」

 カテリーナがはっきりと嫌みを含ませた物言いをすると、ナジェークは苦笑いの表情になったが、特に何も弁解はしなかった。するとここで、彼はポケットから折り畳んだ一枚の紙を取り出し、カテリーナに差し出す。


「今日は元々君を送っていくつもりだったが、それだけではなくて、伝えておかなければいけないことがあるんだ。これを見てくれないか? 項目ごとに纏めておいたから、意見があるのなら今のうちに聞いておきたい」

「一体何かしら?」

「見れば分かる」

 即答を避けたナジェークにカテリーナは不満顔になったものの、おとなしく受け取った。それを広げてみた彼女は、そこに書かれている内容を認めて、驚きの表情になる。


「え? これって!?」

「君が私と結婚した後の、勤務に関する条件だよ」

 動揺するカテリーナとは対照的に、ナジェークが平然と説明を加えた。そんな落ち着き払った彼の様子を見て、カテリーナが反射的に声を荒らげる。


「条件と簡単に言うけど! そもそも公爵家の嫡男と結婚した人間が、騎士団勤務を続けられるわけないでしょう!?」

 しかしその主張に、冷静で端的な指摘が入る。

「誰がそう決めた?」

「いえ、誰がって……、常識的に考えて……」

「君は自分の人生は、自分で決めると言った。近衛騎士団に入団したのは、兄夫婦から押し付けられる縁談を回避するための、単なる手段だったのか?」

 そこまで言われて、カテリーナはむきになりながら言い返した。


「確かにそれもあったけど、それだけではないわよ!」

「それなら君は近衛騎士としての自分に、誇りを持っているのか?」

「当然でしょう?」

「それなら、どうして結婚したら無条件で辞めると考えているのか、その理由を是非聞かせて貰いたいな。現に私の両親は、君が勤務を続けることについての条件を、誠実に考えて提示してくれたのだから」

「あのね、そうは言っても!」

 冷静に話を続けるナジェークに、カテリーナは尚も反論しようとした。しかしナジェークが淡々と話を続ける。


「現に人数は少ないながらも、女性官吏や女官の中には結婚出産後も働いている、ベテランの方々がおられる。それは家庭環境や、休職期間からの復帰条件など、様々な好条件が重なった故だとは思うが。彼女達にできて、君にできない理由はなんだ? 既婚者の女性騎士が在籍せず、勤続年数が短い者ばかりのせいで、第13隊が近衛騎士団内で軽んじられている現状を、改善したいとは思わないのか?」

「…………」

 前々から感じていた事を鋭く指摘され、カテリーナは無言になった。そのまま少しの間、二人が無言で見詰め合ってから、カテリーナがどこか悟ったような表情で言い出す。


「この親にして、この子ありと言うべきか……。シェーグレン公爵夫妻は、相当非凡な方なのね。ものすごく納得できたわ」

 それを聞いたナジェークが、表情を緩めながら応じる。


「以前にも言っただろう? 我が家には非凡な人間が多すぎて、私は単に他人と比較して少し優秀なだけだと」

「前にも同様の台詞を聞かされた記憶があるのだけど、突っ込みどころ満載の台詞は止めてくれる? だけど私も結構、固定観念に囚われていたわけね」

「本当に選択肢が無いというのと、選択肢が無いと思い込むのは、天と地ほど違う。君には、自ら選択肢を狭めるような真似はして欲しくない。私はそんなつまらない女性を選んだつもりはないからね」

 そこでカテリーナは、少々皮肉げに言い返した。


「あら、そんなことを言っていると、私のことを考えてくれたわけではなくて、自分の判断力を貶されるのが我慢できないと聞こえるわよ?」

「別に、そう解釈しても構わないさ。なんと言っても私は、世間一般には鼻持ちならないナルシストで通っているのでね」

 そういえばそうだったわと思い返したカテリーナは、思わず渋面になりながら問いかける。


「本当に、そんなろくでなしナルシストと私が、どんな劇的な恋に落ちるっていうのよ……。今度の夜会の設定が無理過ぎない? 一体どうするつもりなの?」

「ダンス中に足を踏まれて怒った君が俺を力一杯殴って、殴り倒された私がその拳に愛を感じるとか」

 笑いを堪える表情でそんな事を言われてしまったカテリーナは、瞬時に真顔になった。そしてポケットに右手を差し入れつつ、低い声で恫喝する。


「……どうしても殴られたいらしいわね。お望みなら一応護身用にメリケンサックを持ってきたから、顔が腫れ上がる程度にここで」

「カテリーナ! 今のはさすがに冗談だ! 顔を崩すのは止めてくれ!」

 僅かに腰を浮かせたカテリーナを見て、逃げ場のない馬車の中で事に及ばれたら一大事と思ったナジェークが、顔色を変えて制止してきた。その動揺ぶりを目の当たりにしてしまったカテリーナは、思わず噴き出してしまう。


「ナジェークったら! そんな真顔になって、警戒しないでよ! それこそ冗談なのに」

 そのままクスクスと笑いだしたカテリーナを見て、ナジェークは苦笑いの表情になる。


「参ったな……。一瞬、本気にしてしまったよ。近衛騎士として勤務するうちに、気迫が増したんじゃないか?」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

「勿論、褒め言葉だよ」

 それから二人はカテリーナが馬車を降りるまで、楽しげに笑いながら和やかに会話を続けた。

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