(26)ドレスの調達

「うぅ……、不安。本当に来てくれるのかしら?」

 指示された当日。アリステアは約束の時間少し前から、不安げに正門前に佇んでいたが、自分の方に向かってどんどん近付いてくる一台の馬車を認めて、表情を明るくした。


「あ、来た! あれかな? ……うん、やっぱりそうだわ!」

 近付いて来るに従い、御者席で馬車を操っている人物と馬車の後ろに騎馬で付き従っている人物が、見覚えのある近衛騎士の制服姿だった為、彼女はすっかり安心してしまった。


「お待たせしました。アリステア様ですね? グラディクト殿下の御命令により、お迎えに上がりました」

 エセリアからの依頼を受け、休日に制服を身に着けて出向いたクロードとティムを見て、アリステアは彼らがグラディクトの命で自分を迎えに来たのだと、いとも簡単に信じた。


「ありがとう! でも、今日は王家の馬車じゃ無いのね?」

 これまで長期休暇の時毎に送迎してくれる場合とは異なり、何の紋章も付いていない馬車を見て、彼女は何気なく尋ねたが、その質問は想定内であった為、クロードは落ち着き払って用意していた答えを口にした。


「本日はこの馬車を、殿下の母君のご実家であるバスアディ伯爵家からお借りしております」

「どうしてそんな、面倒くさい事をするの?」

「仕立て屋の店先に、一目で王家の馬車だと分かる物を停めたりしたら、どうしても騒ぎになって噂になります。アリステア様が近衛騎士に同伴されて来店したと分かれば、エセリア様が何をしでかすか分かりませんので」

 一応、それらしく聞こえる理由を彼が口にすると、アリステアは全く疑わずに頷く。


「そうね。グラディクト様が手配したとすぐに分かるでしょうし、私に危険が及ぶ可能性もあるのよね……。分かったわ。それじゃあ行きましょう!」

 そして彼女がさっさと自分で馬車の扉を開け、意気揚々と馬車に乗り込むと、この間無言で彼女を観察していたティムがクロードに近寄って囁いた。


「相手の所属や名前も聞かずに乗り込むのかよ……。不用心過ぎるぞ。俺達が誘拐犯だったらどうするつもりなんだろうな?」

「それ以前に馬車はわざわざ借りているのに、俺達が近衛騎士団の制服着用って矛盾しているだろう。その疑問に対する答えもちゃんと用意していたのに、聞きしに勝る頭の軽さだな」

「取り敢えず行くぞ。さっさと終わらせようぜ」

「ああ」

 二人は早くもうんざりしながら、馬車と馬に乗って目的の店を目指し、ほどなくそこに到着した。そしてクロードが扉を開けてアリステアが降りるのに手を貸してから、彼は馬車をティムに任せて、彼女を連れて店内に入る。


「失礼する。店主を呼んでくれ」

「少々お待ち下さいませ」

 近衛騎士団の制服を見て、彼に声をかけられた店員が恭しく一礼して奥に下がったが、それとほぼ同時に、店内に場違いな歓声が沸き起こった。


「うわあぁぁあ! 素敵! 何て綺麗な布にレースなの! この透かし織りも、重ねてドレスにしたら、凄く綺麗だわ!」

 店内に整然と並べられている商品やその見本を目の当たりにして、アリステアはそれに駆け寄りながら、奇声とも言える声を上げた。普段慎ましやかな貴族や、ふんぞり返っている成金の商人達を相手にしている店員達が、彼女の常軌を逸した様子を見て驚いたり呆れたりしていたが、少しして店主とおぼしき壮年の男性が姿を見せる。


「お待たせ致しました。当店にどんなご用でしょうか?」

 アリステアの無軌道ぶりに頭を抱えていたクロードだったが、声をかけられて気を取り直し、予定通り内ポケットから金貨の詰まった袋を取り出す。

「大至急、彼女のドレスを仕立てて貰いたい。割り増し料金は出すし、前金はこれだけ出す」

 差し出された、手のひらで握り込めるその袋の口を開き、中身を確認した店主は、少し意外そうな表情で言葉を返した。


「これは……。うちのような店では破格の金額ですが、取り敢えずこれだけお出しになれるなら、もっと一流どころに依頼出来るのではありませんか?」

「それはそうなのだが……、そういう所は例の建国記念式典に向けて、どこも注文が殺到していてな。なかなか引き受けて貰えないんだ」

「左様でございますか」

(本当は一流どころに頼んだら、あっという間に彼女が分不相応なドレスを作った話が、社交界に広まってしまうからだがな)

 まだ何となく釈然としない顔付きの彼に向かって、クロードが声を潜めて話を続ける。


「彼女は実は、バスアディ伯爵家に縁の方なのだが、込み入った事情で建国記念式典の日、王宮に出向く用事が出来てな。どうしても、急遽正装を仕立てなければいけなくなった。それでディオーネ様から頼まれた王太子殿下が、支払いと諸々の手配をする事になったので、何とか宜しく頼む」

「畏まりました。それでは、ご注文を承りましょう。これまで下級貴族の方々のドレスや礼服は承ってきましたが、王族の方からの注文など初めてで、腕が鳴ります。精一杯、務めさせて頂きます」

 取り敢えず引き受けて貰った事に安堵しながら、クロードは更に常識外れな事を口にした。


「それで、注文のついでと言っては何だが、仕上がったドレスはこのままこの店で保管しておいて、当日彼女に着せて、化粧も含めた身支度を頼みたい」

「はい? それはまた、どうしてですか?」

 さすがに店主は目を丸くしたが、クロードは大真面目に話を続ける。


「さっきも言ったが、色々と訳ありなんだ。支度は無理か?」

「いえ……、そういう事でしたら手配致します」

「助かる。その分は王宮に残りの代金を請求する時に、上乗せしてくれ」

「畏まりました」

 笑顔で請け負った店主は、そこでクロードから離れて興奮して騒ぎ立てているアリステアに近寄り、恭しく声をかけた。


「お待たせしました、お嬢様。採寸が済みましたら、どのようなドレスにするか、希望をお伺いしますので」

「王妃様にも負けないような、豪華で煌びやかなドレスが良いわ!」

 振り返りながらの即答に、居合わせた店員達は勿論、店主の顔も引き攣った。


「お嬢様……。さすがに王妃様より華美で目立つ服装などは、控えるべきかと思いますが。不敬と取られても、文句は言えませんので」

「えぇ? 単なる言葉のあやじゃない! 要は、パッと周囲の目を引く、華やかなドレスが良いのよ。控え目で暗い色合いなんて、年寄りが着る物よね!」

「はぁ……」

 やんわりと窘めても全く気が付いていないらしい彼女に、店主は唖然としてしまったが、ここで横からクロードが囁いた。


「すまないな。あんな感じだから、一流どころでは仕立てられんという事情もあるのだ。これは前金とは別に、遠慮無く取っておけ。王太子殿下からのお気持ちだ」

 新たにクロードがポケットから取り出した、先程よりは一回り小さい袋を受け取った彼は、微妙な表情でそれを眺めながら問い返した。


「迷惑料を兼ねた、口止め料と言うわけですか?」

「そう取って貰っても構わない」

「畏まりました」

 そして溜め息を吐きながらその袋をポケットにしまい込んだ彼は、相変わらず店員相手に上機嫌で騒いでいるアリステアを見ながら、妙にしみじみとした口調で言い出した。


「しかし陛下も、側妃の方が複数おられるのに、外にも隠し子がいらっしゃったとは」

「……え?」

「しかもあの様子だと、母親はあまり質が宜しくないようですな」

「ええと……」

「対外的にはバスアディ伯爵家に縁の者となっているなら、ディオーネ様の侍女にでも、手を出されたのでしょうか……。いやはや……、生まれたお子様には何も非はございませんが、ディオーネ様と王太子殿下からしたら、とんだご迷惑でしょうなぁ……」

「…………」

 迂闊に下手な事は言えないクロードが口ごもっている間に、店主の中で話ができてしまったらしく、彼は一人で納得したように頷いてから、改めてアリステアに声をかけた。


「それではお嬢様、奥の採寸室へお入り下さい。お前達、ご案内して差し上げろ」

「はい」

「お嬢様、どうぞこちらへ」

(なんだか陛下の隠し子疑惑を捏造してしまったみたいだが、下手に事情を説明できないし、仕方無いか。それに彼女の残念ぶりも含めて店主が納得しているから、余計な事は言わない方が良いな。ここなら王族からの初めての依頼で、余計な噂を流して不興を買いたくは無いだろうし、エセリア様の判断は適切だ)

 呆然とその光景を眺めたクロードだったが、素知らぬ顔で店の片隅に陣取り、店員から提供されたお茶やお菓子を口にしながら、採寸やドレスのデザインについての話し合いが終わるのを待った。

 その後、何とか昼過ぎには全てが終了し、アリステアは再び馬車に乗り込んで、学園の正門前まで送って貰った。


「到着しました、アリステア様」

 そう言いながらクロードが扉を開けると、彼女が機嫌良く馬車から降りてくる。

「ありがとう。二人とも、今日は本当にお世話様でした」

「いえ、私達は殿下とアリステア様に忠誠を誓う者。お好きなようにお使い下さい」

「当日は制服のまま、また正門前でお待ち下さい。本日の店にお連れして、着付けや化粧をして貰いますので」

「え? そうなの?」

 説明を受けたアリステアが意外そうな顔をした為、クロードが冷静に指摘する。


「はい。ドレスなどを寮の自室に持ち込むのは、大変かと思いますので」

「それもそうよね……。分かったわ。出来上がりは、当日の楽しみに取っておくわね!」

「それでは、失礼致します」

「ええ、気をつけて帰ってね!」

 そして再び馬車と馬に分乗した二人は、どこぞへと走り去って行ったが、手を振りながら彼らを見送っていたアリステアは、ふと重要な事を思い出した。


「……あれ? そういえば、あの人達の名前を聞くのを、すっかり忘れていたわ。でも、別にいいわよね! またすぐに会えるんだろうし!」

 しかしその予想に反して、その後、彼女が彼らと再会する機会は無かった。

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