(19)思い込み

 長期休暇に入った後も、アリステアは他の何人かの生徒と共に、かなりの日数を補習を受けて過ごした。漸くそれを終えて、実家代わりとなっている修道院へ彼女が向かう日となったが、着替えなどを詰め込んだ大きなトランクを手にして、寮を出て学園の門まで歩いた後、何故かそこで歩き出す事も無く、立ち止まって周囲を見渡す。


「ええと……、そろそろ約束の時間だけど……。あ、来たわ!」

 道の向こうから、護衛の近衛騎士が騎乗する馬を二騎従えた、立派な二頭立ての馬車が自分の方に近寄って来るのを認めたアリステアは、満面の笑みでその一行に向かって手を振った。それを見た御者役や警護の近衛騎士は、揃って変な顔になったが、すぐに何でもない顔を取り繕う。

 そして静かに彼女の目の前に停まった馬車から、グラディクトが優雅に降りてくる。


「やあ、アリステア。待たせてしまってすまない」

「いえ、私も今出て来たばかりですし、ちょうど良かったです」

「それなら良かった。じゃあ早速乗ってくれ」

「はい! 凄い立派な馬車ですね!」

「…………」

 アリステアは愛想を振りまきながら、馬を降りて近寄ってきた騎士にトランクを渡し、上機嫌で馬車に乗り込んだ。しかしその騎士を含めた三人の騎士が、二人に対して無言で非難するような眼差しを向けていた事に、久しぶりに顔を合わせてテンションが上がっている彼女達は、全く気が付いていなかった。


「アリステアは入学前に入寮した時、どうやって来たんだ?」

 トランクを馬車の後部に設置し、走り出してからすぐにグラディクトが尋ねると、アリステアは苦笑気味に説明した。

「荷物があるので、大司教様が教会の馬車を手配して下さいましたが、休みに帰る時にお願いするのは心苦しくて……」

「それで王都郊外の修道院まで、本気で歩いて行くつもりだったのか?」

「それでも道は分かっていますし、日が暮れるまでには到着できますもの。私、頑丈ですし、幾ら歩いても平気ですから」

「そういう問題ではなくて、危険性の事を言っているのだが……」

 少々呆れた顔つきになったグラディクトだったが、すぐに真面目な顔になって彼女に言い聞かせた。


「とにかく、これから修道院への行き帰りは、私が馬車を手配するから、歩いて帰ろうなどとは思わないように。分かったな?」

「はい、ありがとうございます」

 その申し出に快く頷き、末端貴族の自分が王家の紋章入りの馬車を使うなど言語道断、などという殊勝な考えを全く持ち合わせていなかった彼女は、(やっぱりグラディクト様は、お優しい方だわ)とひたすら感激していた。実は同行していた近衛騎士達は、市場への視察のついでに回り道をして、その際同乗者がいると聞いていただけで、まさか単なる同級生に過ぎない小娘を乗せるとは予想しておらず、乗るのを辞退するように彼女に目線で訴えていたのだが、当然アリステアはそんな物を全く察していなかった。


「しかしミンティア子爵夫妻には腹が立つ。子爵邸なら、歩いても楽に帰れるものを……」

 続けて憤懣やるかたない表情で呟いたグラディクトを、彼女は苦笑気味に宥めた。

「構いません。あんな所に帰ろうとは思いませんから」

「そうだろうが……。私はまだ一学生に過ぎないが、それなりの権力を得たら、必ず子爵夫妻に正義の裁きを下してやる。特に子爵は許し難い! 後妻に良いように丸め込まれて、実の娘を下働き同様に扱うとは!」

 口にしているうちに、彼は更に怒りをヒートアップさせたが、それを聞いた彼女は、心から嬉しそうに笑った。


「私は、グラディクト様にそう言って頂くだけで満足です。ありがとうございます」

「アリステア……」

 頭を下げて礼を述べるアリステアを見て、これ以上怒り続けるわけにもいかず、グラディクトは取り敢えず怒りを押さえ込んだ。そんな彼に、アリステアが明るく笑って言い聞かせる。


「グラディクト様の他にケリー大司教様にも助けて頂きましたし、世の中そうそう悪い事ばかりでもありません。それに、父達のような最低の人間には、いつかきっと天罰が下りますから。グラディクト様の手を煩わせる事も、無いと思いますよ?」

「……ああ、そうだな。分かった」

 そう言って宥めてきた彼女に、グラディクトは密かに感動していた。


(これまで散々実の家族に虐げられてきたのに、何て健気なんだ……。驕り高ぶったあの女が、彼女の十分の一でも謙虚なら、まだマシというものだが)

 相変わらず彼の中では、アリステアは《不遇な境遇にもくじけず、他人を恨んだり妬んだりもしない、心掛けの良い健気な少女》であり、その思い込みは崩れる気配を見せなかった。

 そして目の前の彼女と楽しく会話を交わしながら、心の中でこの場に居ない自分の婚約者の事を考えた。


(全く、彼女とは休暇が終わるまでは会えないというのに、この休暇の間にあちこちの夜会や催し物に招待されていて、婚約者のあの女同伴で出席しなければならないとは……。考えただけでも腹が立つ)

 対してエセリアに対する悪印象と事実とかけ離れた思い込みは、日々増え続けており、グラディクトの苛立ちも静かに増加の一途を辿っていた。

 そうこうしているうちに、無事目的地へと着いた事を、ドアの外から騎士が伝えてきた。


「殿下、到着致しました」

「ああ」

 そこでアリステアと共に地面に降り立ったグラディクトは、再びトランクを手にした彼女に笑顔で別れを告げた。


「それではアリステア。暫くのお別れだな。寮に戻る時には、また馬車で寄るから」

「はい、宜しくお願いします」

 それから何事も無かったかのように走り去っていく馬車を、見えなくなるまで手を振って見送ってから、アリステアは漸く修道院の方に向き直った。 


「助かった。楽に戻って来れちゃった」

 そうして満足げに門の中へと足を進めた彼女だったが、グラディクトに面と向かって進言できなかった騎士達によって、彼女の噂が近衛騎士団内で密かに広がっていく事となった。

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