(14)理解不能な行動
次にエルネストが向かったのは、教授達の研究室がある棟だった。普通ならば生徒が気軽に立ち入れない場所であるのに、エルネストは迷わずにそこに足を踏み入れる。
(どうしてここに? 教授に呼ばれていたのかしら?)
不思議に思いながら注意深く距離を置きつつ後を追ったマグダレーナは、階段を上って長い一直線の廊下に出ようとして躊躇った。何も障害物の無い廊下では身を隠すのは不可能で、彼が振り返った瞬間、後をつけていたのが瞬時に露見するためである。その場合、まさか真っ正直に「あなたを尾行していました」などと言うわけにもいかず、マグダレーナは困ってしまった。しかし神が彼女に味方したのか、エルネストは階段を上がってすぐの部屋のドアをノックした。
「失礼します、バレリル教授。少しお邪魔してもよろしいでしょうか?」
その呼びかけに、ドアを開けて姿を現した部屋の主は、彼を認めて意外そうな声で応じる。
「おや? エルネスト殿下ではありませんか。どうかなさいましたか?」
「お約束もなしに押しかけてしまって、申し訳ありません。教授と少しお話がしたかったものですから。今、少しお時間をいただけますか?」
「構いません。どうぞお入りください」
「ありがとうございます。お邪魔します」
短いやり取りの後、エルネストはバレリルと共に室内に消えた。二人の台詞をしっかり聞き取れたマグダレーナは、益々訳が分からなくなる。
(教授に呼ばれて出向いたわけではないのに、あの殿下は何をしているのかしら? 教授の研究室に押しかける意味が分からないわ。もしかして自分の成績に自信がなくて平民に勉強を教えて貰うだけではなくて、教授に擦り寄って成績を誤魔化して貰うように頼み込んでいるわけではないでしょうね⁉︎ そんな恥知らずを王太子に推挙するわけにはいかないわよ⁉︎)
そこでろくでもない考えが脳裏に浮かんでしまったマグダレーナは、本気で腹を立てた。
そのままマグダレーナは、他の人間に見られないかと内心でひやひやしながら、階段を上り切る手前で身を隠していた。そして至近距離のドアが再び開いたのを確認した直後、足音を立てずに急いで階段を下りる。
「それでは失礼します」
「このような話で良ければ、いつでも来てくれて構いませんよ? ご遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます。授業内では聞けない、貴重なお話でした」
頭上から微かに聞こえてくる声に、マグダレーナは不思議に思いながら階段を下り、回り込んでその陰に身を隠す。
(賄賂を渡したとかではなくて、純粋に何かの話を伺っていたの? バレリル教授の専攻は確か……、王族の方が興味を持つ分野ではないと思うのだけど)
マグダレーナがそんな事をぼんやりと考えているうちに、エルネストは階段を下りて外へと出て行った。再び幾らかの距離を保ちつつ、マグダレーナが後をつける。するとすぐに、彼が寮の方向に向かって歩いているのが分かり、安堵しながらひとりごちた。
「今日はもう大人しく寮に戻るみたいね。良かったわ」
しかしマグダレーナの予想は外れ、エルネストは幾つもの寮に続く道から外れて歩き続けた。寮が並ぶエリアを大きく回り込んだ先にある物を思い浮かべた彼女は、内心で動揺する。
(え、ええ? ちょっと待って! この先は確か、寮で働いている人達の作業棟と生活棟よね⁉︎ 明らかに生徒は立ち入り禁止だけど、まさか殿下はご存じないの⁉︎ というか、どうしてそんな所に出向く必要があるのよ!?)
本気で困ってしまったものの、さすがに追い縋って制止するわけにもいかず、マグダレーナは道沿いの木陰で前方の様子を窺った。
「どうしたものかしら……」
彼女の躊躇いを余所に、エルネストは全く躊躇わずに目の前の建物の一角に入って行った。一体何が起こっているのだろうとマグダレーナが呆気に取られていると、ものの数分で入ったドアから再びエルネストが出てくる。しかしその後に、恰幅の良い年配の女性が続いて姿を現した。
「ああ、出てきたわね。と言うか……、お説教されている?」
少し距離があるため実際にどんなやり取りをしているのか分からないまでも、憤然としたエプロン姿の女性が何やら捲し立てているのは容易に見て取れ、それに対してエルネストは神妙に何回も頭を下げていた。その光景を眺めたマグダレーナは、色々な意味で呆れ果てる。
「あの女性、エルネスト殿下の顔と名前を知らないのかしら。知っていた上で叱り飛ばしているのなら、凄い胆力だと思うけれど。恐らくあの女性の仕事の邪魔をしたみたいだし、本来生徒が立ち入り禁止の場所なのだから、殿下が叱責されるのは当然よね。でも……、本当に何をやっているのよ」
マグダレーナは、自分でも何をやっているのか分からなくなりかけた。しかしエルネストが再び歩き出したため、気を取り直して再び尾行を始める。それから彼は自身が生活している寮に足を向け、何事もなかったかのように建物の中に入った。そこまで見届けた彼女は、安堵しながら自身も自室へと戻って行った。
「本当に、一体何を考えているのかしら? この間の観察で、何も考えていないわけではないらしいのは分かったけど」
自分に与えられている部屋に戻るなり、マグダレーナはエルネストに対する悪態を吐いた。まだ短い期間ではありながら、少なくともエルネストは極力他人に不快感を与えないような配慮ができる人間であるのは理解できていた。能力的には平々凡々といった感じではあったが、ネシーナとユニシアからの情報で他の二人の王子も似たり寄ったりの状況であるのが判明している。
「殿下の行動原理が、分からないのよね……」
エルネストは二人の異母兄達とは異なり、殊更自分の権勢を誇って王座への執着心を露わにしてはいなかった。かと言って変に卑屈になることはなく、周囲から切り離された空間で静かに時を過ごしているようにすら見える。マグダレーナは、そんな彼の価値判断の基準がどうなっているのかを、興味深く考え始めた。
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