第5章 水面下での奮闘
(1)個人授業への懸念
専科上級学年に進級したシレイアは、学園生活が残り一年を切っている状況に、内心で若干の焦りを覚えていた。しかし当事者であるエセリアは、放課後にカフェで同じテーブルを囲んでいる状態を見る限り、これまでと変わらず平然としていた。
「エセリア様は、随分余裕でいらっしゃいますのね。学園を卒業したら、公務への参加や結婚式に向けての準備が、加速する筈ですのに」
サビーネが少し意外そうに感想を述べ、シレイアはそれに密かに同意した。それにエセリアが、苦笑気味に応じる。
「全く焦っていないと言ったら嘘になりますけど、変に慌てても仕方がないでしょう? 取り敢えず、情報収集はきちんとしておくつもりですから」
「それなら宜しいのですが……」
サビーネが口を閉ざすと、それを機に《チーム・エセリア》として招集されていたローダスが、グラディクトの側付き達の話を切り出した。
「取り敢えず殿下に関しての報告ですが、ライアン殿とエドガー殿を側付きから外して以来、他の三人との関係も悪化していると思われます。新年度に入ってから接触した時の推測ですが、殿下はディオーネ様に叱責されて、側付きを解任したくてもできない状態らしいですね」
それに引き続き、ミランが思い出したように言い出す。
「そう言えば、『余計な人目を気にする事無く、勉学に励む場所を確保したい』と殿下が主張して、統計学担当のグレービス教授から、半ば強引に資料室を使わせて貰う許可を取り付けたそうです」
「確か……、グレービス教授は、ディオーネ様の実家の、遠戚に当たる方だったかと……。そんな繋がりで職場で無理難題を言われるだなんて、本当にお気の毒だわ」
しみじみとした口調でエセリアが教授に同情し、シレイアはカレナと共に憤慨して言い募った。
「本当に、理由にもなっていませんよね! 人目を気にして勉強できないなら、寮の自室に籠もって勉強しなさいよ。何の為に全員、寮に個室を与えられていると思っているのよ」
「人目を気にせず、アリステア嬢と過ごしたいからに決まっているわよね」
「実はエセリア様。そのアリステア嬢ですが、貴族科クラスで随分問題になっているんです。あの人も一応子爵令嬢の筈なのに、全くと言って良いほど基本的なマナーが身に付いていないのです。あの方のせいで、度々授業が中断する事態になっておりまして。周りが迷惑しております」
アリステアと同じクラスのカレナが、困惑顔で報告してくる。そこでサビーネが、貴族科ではない者にはピンとこないかもしれないと察し、さり気なく説明を加えた。
「専科の礼儀作法の授業は座学は殆ど無くて、主に実践で行われていますから。様々な場面でどう行動するべきかを、教授達の前で行ってみせるから、一人がつかえてしまうと後の方々の指導に差し支えてしまうの。本来そんな事は、滅多に無いのだけど……」
「お茶会や夜会、食事会。お見舞いや各種祝宴でも、その主催者の身分や規模、同席する人達のレベルで、自分がするべき振る舞いが変わってくるわけだから、それを教授方にチェックして頂くのよ」
エセリアもそう言葉を添え、それを聞いたシレイアは本気で恐れおののいた。
「うわ……、聞いているだけで大変そうです。赤字覚悟の事業計画を立てる方が、精神的に楽かも」
「私だったら、そちらの方が嫌だわ」
サビーネが思わず笑ったところで、エセリアが話を元に戻す。
「そうなると、アリステア嬢に対する駄目出しが頻繁で、授業が予定通り進まないのかしら?」
「はい。それで来週から礼儀作法の授業は、彼女だけ別教室で個別授業を受ける事になりました」
「どれだけ酷いの……。私達の学年にも覚えの悪い方はいて、頻繁に叱責されてはいるけど、個別授業など受けてはいないのに」
「担当になられた教授は大変ね。一人に付きっきりで指導しなければいけないなんて」
「因みに、彼女の担当はセルマ教授です」
「…………」
「え?」
「どうかされましたか?」
何とも言い難い表情で告げたカレナと、ピキッと固まったエセリアとサビーネを眺めながら、シレイア達は揃って訝しげな顔になった。すると乾いた笑いでの呟きが返ってくる。
「いえ、ちょっと……。そう、セルマ教授が……。ちゃんと、身に付くと良いわね」
「彼女は超ベテランで、私達も何度もビシビシ指導された事が……。その彼女に、個人指導……」
(多少の事では動じない二人が、こんな表情をするなんて……。セルマ教授にはお目にかかったことは無いけど、恐るべき存在だわ)
二人の様子を眺めながら、シレイアは密かに戦慄を覚えていた。するとどう考えてもすんなりセルマ教授から認められるとは思えないアリステアが、グラディクトに泣きつく可能性をエセリアが指摘してくる。その上で、皆に要請してきた。
「ここはあなた達に、上手く殿下達を宥めておいて欲しいの。『殿下の側に居るには、それ相応の礼儀作法を身に付けている必要があります』とか、『公の場に出るようになってからアリステア嬢に恥をかかせないように、ここは堪えて下さい』とか言い聞かせて貰えれば」
エセリアがそう依頼してきたことで、他の者は頷きながら了解する。
「本当にその通りですね」
「それなのにそんな道理も、人から言われないと分からないなんて」
「まあ、そういう人間だから、どうとでも動かせられるのではない?」
「確かにそうかもしれません」
シレイア達は口々に述べ合い、その日の集まりは、殆どがアリステアの特別授業についての話で占められたのだった。
「さっきの殿下達を丸め込む話は、俺達がメインで動くことになるだろうな」
お茶会がお開きになった後、ローダスは並んで歩いているシレイアに確認を入れた。対する彼女は、真顔で頷く。
「当然、そうなるでしょうね。カレナの話だと、明日の放課後も予定が組まれているそうだし、早速統計学資料室に出向いておく必要がありそうだわ」
「やれやれ、とんだ問題児だな。修道院に保護された経緯は聞いているが、『こういう事情できちんとしたマナーを躾けられていませんから、よろしくご指導ください』と頭を下げてお願いすれば、教授の当たりもそれほど厳しくないと思うんだが」
うんざりとした表情で、ローダスが感想を述べる。しかしシレイアは、難しい顔になりながら否定した。
「さすがにそんな事情を公にしたら、余計に周囲から見下されると思っているのでしょうね」
「確かにそうかもしれないな……」
「でもカレナの話しぶりからすると、能力や謙虚さはないくせにプライドだけは高いみたいだから。あまり同情はできないわ」
「確かに。以前から不思議だったんだが、いくらグラディクト殿下に気に入られているからと言っても、どうしてあそこまで自己肯定感が強いんだ?」
本気で疑問を呈してきたローダスに、シレイアは同様の困惑顔で問い返す。
「私も、それに関しては常々不思議に思っていたの。何か理由があるのかしら?」
「そこら辺も、追々探ってみるか」
「そうよね。ケリー大司教様の名誉のためにも。もしかしたら大司教様以外の誰かが、彼女の背後にいるのかもしれないわ」
シレイアがサラリと口にした内容を聞いて、ローダスの顔が僅かに強張った。
「……いきなり物騒な話になったな」
「ケリー大司教様が裏でアリステアを操ったり洗脳している可能性は、これまで観察してみて完全に潰れたけど、ありとあらゆる可能性を念頭に置いて行動するのは基本中の基本よね」
「違いない。これからも注意深く彼女を観察していこう」
シレイアとローダスは真剣な顔を見合わせ、翌日以降の段取りについて軽く意見交換してから別れて歩き出した。
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