(9)世間の荒波

「出席なさるなら、お衣装はどうなさるおつもりですか?」

「衣装だと?」

「はい。公式行事ですから、正装する必要があります。旦那様はともかく奥様のお衣装は、王宮に出向くのに相応しいドレスは一着しかお持ちではないと、侍女から聞いておりますが」

「あ、じゃあ新調するわ」

 すかさず軽い口調で言われた為、テレンスは渋面になりながらアリステアに言い返した。


「私は先程、来週と申し上げましたが?」

「割増料金を払えば、何とかなるでしょう?」

 不思議そうに問い返した彼女に、テレンスは無表情で言ってのけた。


「割増料金以前に、今のこの家には、ドレス一着を新調する額のお金もございません」

「そんな馬鹿な!」

「どうしてよ!? 仮にも貴族でしょう!」

「ええ、末端の貴族で領地も狭く、大した税収もありません。先月に領地から届けられた税収の残りはありますが、それは私どもこの屋敷の使用人の今月分の給金と、出入りの商人への支払いに消える予定です。今、帳簿をお持ちします」

「そんな……」

 驚愕した後、愕然とした主人夫妻を放置して、テレンスは応接室を出て書斎へと向かった。


(ここに来てから五日経過しているのに、今までこの家の財政状況を聞きもしなかったからな。この機会に説明しておこう)

 そして必要な資料や帳簿を素早くより分け、書斎から応接室に戻ったテレンスは、グラディクトの前にそれを積み上げて、「どうぞ、ご確認ください」と声をかけた。

 そしてグラディクトがそれらに手を伸ばし、無言のまま内容に目を通し始めたのを、テレンスは少し離れた所に立ったまま観察していたが、彼が一通り目を通したのを見計らって徐に声をかけた。


「旦那様……。どうでしょう。お分かりになりましたか?」

 するとそこで顔を上げたグラディクトは、勢い良く帳簿のある箇所を指さしながら声を荒げた。


「何故こんなに領地の土木工事に、金をつぎ込んでいるんだ!」

「街道や農地を整備する事で、流通量や収益性を高めているのですよ。元々はかなり貧しい領地でしたが、この三十年程でかなり改善できました」

「税収が増えても手元に残らないなら、意味がないだろうが! それにこの屋敷の維持費や使用人の給金には、『税収』ではなく『臨時収入』とやらを宛てているが、それは何の事だ!」

「前の旦那様とご挨拶した時に、お話を伺ったのでは? 先代の旦那様は領地経営とは別に、ダングレー商会を興して、そちらの利益をこちらの屋敷の運営費や交際費に充てておりました。そちらには弟君の一人が常駐して、管理運営しておりましたから」

 淀みなくテレンスが答えた為、納得したグラディクトは横柄に言いつけた。


「そうか。確かに、そんな事を言っていたな……。よし、分かった。それならそこから、金を持って来させろ」

 しかしその言いつけに、テレンスは呆れた表情を隠そうともせずに反論する。


「先代の旦那様とあなた様方は赤の他人の、一度顔を合わせただけの間柄ですよ? お金をくださる理由がありませんし、『今後係わり合いになる気は無い』と断言された筈です」

「ジムテール男爵家が、困窮しているのだぞ!?」

「それが何か? あの方々に家名や爵位に対して未練があるのなら、あなた方が今ここにおられる筈がありません」

「このっ……」

 正論で言い返されたグラディクトは低く唸って歯ぎしりしたが、少ししてから諦めたように言い出した。


「分かった……。私が先方に直に出向いて、用立てて貰う。元王子の私が頭を下げるなら、さすがに連中も少しは出すだろう」

「グラディクト様……」

 誇り高い彼がそんな事までするなんてと、アリステアが同情しながら声をかけると、グラディクトは彼女を安心させるように言い聞かせた。


「アリステア、心配しないで待っていてくれ。すぐに戻る」

「分かりました」

「それではこれからダングレー商会に行く。馬車を出せ」

「畏まりました」

 そこですかさず彼が指示を出した為、テレンスは恭しく頭を下げたものの、内心では呆れ返っていた。


(何を言っても無駄だろうが、実際に体よく追い払われれば、さすがに嫌でも分かるだろうな)

 そして馬車に乗り込んだ主人を見送った彼は、何食わぬ顔で屋敷内に戻った。


 アリステアに宣言した通り、グラディクトは彼にしてみれば並々ならぬ覚悟でダングレー商会に向かい、その店先で馬車を下りてから迷わず店内に足を踏み入れた。

 ダングレー商会は稀少食材や各種香辛料を手広く取り扱っており、広い店内には整然と様々な商品が陳列され、独特の香りと雰囲気を漂わせていた。それに少し物珍しさを感じたグラディクトが、周囲を眺めながら奥へと進むと、見慣れない上に客とも思えない服装の彼を見て、店の奥から初老の男性が歩み寄り、声をかけてきた。


「いらっしゃいませ。何かご入り用でしょうか?」

「買い物に来たわけではない。ここの主(あるじ)に用があるから、取り次いでくれ」

 グラディクトがそう口にした途端、店内に居た店員が訝しげな表情で彼を見やり、面と向かってそんな事を言われた男性は、表情を消して問い返した。


「失礼ですが、どちら様ですか?」

「ジムテール男爵だ。分かったらさっさと、主に取り次げ」

「…………」

 早くも少し苛つきながらグラディクトが告げると、店の者達は無言で顔を見合わせた。するとグラディクトに命じられた男性が、落ち着き払って答える。


「お尋ねの人物は、あいにくと只今外に出ておりますので、こちらでお待ちください。すぐに戻ると思いますので」

「分かった」

 そして店の片隅に置かれていた木製の椅子の所までグラディクトを案内し、座らせて店の奥に戻った彼に、何人かの店員の歩み寄って困惑気味に声をかけた。


「あの……、旦那様?」

「黙っていろ。それから皆も、一切構うな。商売の邪魔だからな」

「分かりました」

 彼は小声で鋭く命じ、店員達は即座に了承して元通り仕事を再開した。しかし本当にそのまま一時間放置されたグラディクトは、我慢できずに声を荒げた。


「おい! いつまで私を待たせる気だ!」

 しかしそれに先程の男が、落ち着き払って答える。

「ジムテール男爵は、事前に彼とお約束でも有ったのですか?」

「いや、それは無いが……」

「それでは仕方がありません。彼が店に戻るまで、もう少しお待ちください」

「……っ!」

 素っ気なく言い返されたグラディクトは、怒りを抑え込むしか無かったが、それから更に一時間程して、一人の少年が元気に挨拶しながら店に入って来た。


「ただいま戻りました! 配達は全て完了しました!」

「ああ、お帰り、アルジ。ご苦労だったな。ところで君に、お客が来ているんだ」

「え? 僕にですか?」

 主人にそう言われてその少年は不思議そうに首を傾げたが、雇い主である彼は少年の腕を引いて、グラディクトの前に立った。


「ジムテール男爵、お待たせしました。アルジが戻りましたので、どうぞお話ください。アルジ、わざわざ男爵様がお前を訪ねて来てくださったのだから、休憩を取って構わないぞ?」

「はい? 誰ですか? この人」

 彼らの背後で我慢できなくなった店員達が揃って噴き出し、少年が本気で困惑した表情になったが、からかわれたと分かったグラディクトは当然激高した。


「何なんだ、この子供は!?」

「うちの下働きのアルジ・ファーマです。先程あなた様が『あるじ』をお訪ねだと仰いましたから、彼をお待ちになっていらしたのですよね?」

「ふざけるな!! 私はこの商会の主人を出せと言ったんだ!」

「それでは、そちらの方のお名前をお願いします」

「名前だと?」

「ええ」

 いきなり怒鳴られて怯えた表情になったアルジを背中に庇い、冷え切った視線で自分を見据えてきた男から微妙に視線を逸らしながら、グラディクトが神妙な口調で告げた。


「それは……。前ジムテール男爵か、その弟だ」

「我が商会に、ジムテールと言う名前を名乗っている者は、一人もおりません」

「それならダングレー氏だ!」

「当商会の名称は確かにダングレー商会ですが、それは会頭の出身地から取った物です。然るに、当商会会頭のお名前はダングレーでもございませんが、訪ねる相手の名前も知らない方が、どのような重要な用件があると仰るのですか?」

 ダングレー商会最高責任者である彼がしらばっくれつつ、冷え切った声で切り捨てたが、グラディクトは往生際が悪く、渋面になりながら言葉を継いだ。


「ジムテール男爵家の事に関してだ」

 しかし相手は、呆れた表情を隠そうともせずに吐き捨てる。

「ですから、そんな名前を名乗っている方も、そんな家と関係がある方も、当商会には誰一人として存在しておりません。商売の邪魔ですので、即刻お引き取りください」

「ふざけるな! 主人が帰るまで、ここで待たせて貰うぞ! 誰が何と言おうと動かないからな! 分かったらさっさと主人を呼んで来い!!」

 そんな事を居丈高に宣言して、乱暴に椅子に座り込んだグラディクトを見て、アルジは呆気に取られた表情になったが、会頭は先程から様子を窺っていた店員達に無表情で向き直り、短く命じた。


「おい」

「はい、畏まりました」

「お任せください」

 すると体格の良い二人の男が進み出てグラディクトの両腕を取り、問答無用で店の外に引きずって行く。


「こら、お前達、何をする!? 離せ! 離せと言って、うあっ!」

 抗議の声も虚しく店の外に引きずり出されたグラディクトは、あっさりと街路に転がされた。そんな彼を見下ろしながら、男達がドスの利いた声で恫喝する。


「怪我をしたくなかったら、さっさと失せろ」

「それとも、徹底的に痛い思いをしなければ分からないか?」

「この平民風情が! 覚えていろ!」

 何事かと騒ぎを聞きつけた野次馬が集まる中、抵抗しても無駄だと判断したグラディクトは、捨て台詞を吐いて馬車に乗り込み、屋敷に戻って行った。それを確認した男達が、涼しい顔で店内に戻る。


「旦那様、追い払っておきました」

「馬車で逃げ帰ったのを、確認しましたので」

「ご苦労。やはり兄貴達に、当面仕入れの旅に行って貰って、正解だったな。遅かれ早かれ来るとは思っていたが、こんなに早く顔を見せるとは……。さすがに予測できなかったぞ」

 苦々しい顔で店を預かっている彼が独り言のように言うと、店員達から同様の怒りの声が上がる。


「本当ですね。会いに来る人間の名前すら確認していないなんて、ふざけてますよ」

「どうせ金をたかりに来たくせに、図々しいにも程がありますね」

「皆、彼がまた来たら、適当にあしらっておけ」

「分かりました」

「アルジ、変な事に巻き込んで、すまなかったな」

「いえ、僕は何もしていませんし……。でも、あの変な人、一体何なんですか?」

 そしてダングレー商会では、グラディクトの来訪自体が無かった事として処理された。

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