(8)見当違いの決意

 ジムテール男爵邸に、新男爵夫妻が荷物のように送り届けられてから、早五日。

 この間、茫然自失状態で過ごしていたグラディクトだったが、その日の午後、難しい顔で応接室でアリステアとお茶を飲んでいた彼は、急に顔を上げて宣言した。


「アリステア、私は決めたぞ」

「何をですか?」

「過ぎてしまった事を、いつまでも嘆いていても仕方がない。これからの生活を、前向きに考えるべきだ」

「そうですよね! さすがグラディクト様です!」

 自分達が予想していた未来とは激しく異なる現実に、内心で不安を覚えていたアリステアは、その力強い宣言を聞いて満面の笑みで頷いた。その反応に気を良くしたグラディクトが、微笑みながら話を続ける。


「差し当たって、私達の結婚式と披露宴の開催だな。法的手続きは済んでいるが、私達が新しいジムテール男爵夫妻だと、世間に知らしめる必要がある」

「本当ですね! たくさん人を呼んで、盛大に執り行いましょう!」

「よし、そうと決まれば、テレンスに手配をさせよう」

 二人の間でとんとん拍子に話が纏まり、執事長を呼びに行こうと彼が立ち上がった時、その当人がノックをして応接室に入って来た。


「旦那様。お話があるのですが、宜しいでしょうか?」

「テレンス、ちょうど良いところに。早急に、私達の結婚式と披露宴の準備をしてくれ」

「は? 何故ですか?」

 いきなり言い付けられた執事長のテレンスは不審そうに眉根を寄せたが、そんな彼にグラディクトが不機嫌そうに言い返した。


「私達がジムテール男爵夫妻だと、大々的に世間に知らしめる必要があるだろうが」

「全貴族が列席していた式典で、婚約破棄などをされてしまった挙げ句、お二方がこちらの男爵家に入った事情を、既に国内貴族の皆様はご存知です」

 真っ当な反論を口にしたテレンスだったが、それはグラディクトの怒りを誘発した。


「貴様!? 使用人の分際で、主人に向かって生意気だぞ!」

「それに仮に招待状をお送りしても、参加を表明される方は皆無の筈。時間と労力と費用の無駄です」

「本当に失礼よね!? どうして無駄だなんて、断言できるのよ!」

 アリステアも憤慨したが、テレンスはそんな二人に向かって淡々と理由を説明した。


「お分かりになりませんか? まず王家の皆様が、一男爵家の結婚式や披露宴に、出席する筈がございません。そんな事をしたら全貴族の冠婚葬祭全てに、平等に顔を出さなければいけなくなります。そもそも罰として臣籍降下させた人間の結婚式などに、出席する理由は無いでしょう」

「…………」

 グラディクトは反論できずに相手を睨み付けたが、テレンスはその視線を無視してアリステアに向き直った。


「加えて奥様の実家のミンティア子爵家は、奥様と縁は切ったものの、例の式典時まで遡って不始末の責任を追究され、爵位はそのままですが領地の半分を王家に返還させられたとか。それで子爵家の屋敷から奥様に対する怨嗟の声が塀の外まで聞こえてくると、巷ではもっぱらの噂です」

「何よそれ! 知らないわよ!」

 噂話など知る由も無かったアリステアは叫んだが、テレンスはあっさりと話を締めくくった。


「お二方のご実家ですらこの有り様ですのに、どなたが好き好んで悪評高いこの家の招待を受けると仰るのですか? もしいらした場合、その方の正気を疑います」

「…………」

 改めて自分達の置かれた立場を認識した二人が黙り込むと、テレンスは先程から手にしていた封書をグラディクトに向かって差し出した。


「そんな事より、大至急ご検討していただく件がございます。恐らく男爵家が代替わりされましたので、旦那様と奥様のお名前で、王宮から改めて招待状が届きました」

「何の招待状だ?」

 不審そうに問い返しながら受け取った彼に、テレンスが説明を加えた。


「既に一度、先の男爵夫妻のお名前で届いていた、来週開催予定の、王妃陛下の生誕記念祝賀会に関する物かと思われます。内容をご確認ください」

「分かった」

 続けてテレンスが差し出したペーパーナイフを受け取り、それを開封して中を確認した彼だったが、すぐに上質の便箋を握り潰しそうな勢いで、怒りの声を上げた。


「何だと!? ふざけるな!!」

「グラディクト様、どうしたんですか!?」

 慌てて声をかけた彼女に、グラディクトが心底忌々しげに吐き捨てる。

「祝賀会の席でアーロンの立太子式と、エセリアへの伯爵位と領地授与式も、同時に行われるらしい。アーロンの立太子はともかく、どうしてエセリアが領地持ちの伯爵になるんだ!」

「何ですって!? どうしてそうなるの?」

 驚愕したアリステアだったが、テレンスは落ち着き払ってそれに関する意見を述べた。


「それは当然でございましょう。次期王位継承者を決めておかないと、色々揉める事が多いですから。それにエセリア様は身に覚えの無い誹謗中傷を受け、一方的に婚約破棄を宣言された、誰がどう見ても立派な被害者でいらっしゃいます。王家からの正当な慰謝料と言うわけですね。旦那様が支払える筈がございませんし」

「お前! 仮にも主人に向かって!」

「それよりも、その祝賀会に出席か欠席かをお伺いしたいのですが」

 遠慮の無いその物言いに、思わず声を荒げたグラディクトだったが、テレンスが慇懃無礼にお伺いを立ててきた為、当然の如く怒鳴り返した。


「出席するに決まっているだろうが! 堂々と父上にお目にかかれる、絶好の機会だ! 今更アーロンの立太子に関しては撤回できないにしても、きちんと私の話を聞いていただいて、処遇についての考えを改めて貰うぞ!」

「そうですよね! 仮にもれっきとした王子様なんですもの。もう少しましな扱いをして貰って当然ですよ!」

 この期に及んで、アリステアまでそんな事を主張しているのを見て、テレンスは心底呆れた。


(男爵風情が陛下に馴れ馴れしく近付こうとしても、すぐに排除されるのが関の山だろうが。そもそも普通なら、あんな騒ぎを起こした直後に、人前に出ようとは考えない筈だが……。確かにこの方達は、普通ではないらしい)

 そんな辛辣な事を考えながら、テレンスは何食わぬ顔で質問を続けた。


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