(7)内緒話

 審議の日の翌々日。

 グラディクト達は急転直下の事態に、いまだに己の不幸を嘆いていたが、一方の当事者であるエセリアは、自室の長椅子にだらしなく寝そべりながら、いかにも面白くなさそうに溜め息を吐いていた。


「退屈だわ……。外に出ると、例の件で根掘り葉掘り聞かれてウザくてしょうがないから、当面の予定は全てキャンセルしてしまったし……」

 彼女の傍らに居てその呟きを耳にしたルーナは、呆れ果てた口調で述べた。


「またお嬢様の口癖が始まりましたね。あれだけの騒ぎを引き起こしておきながら……」

「勝手に騒ぎを大きくしたのは、元婚約者様でぇ~す。私には、なぁ~んの責任もありませぇ~ん」

「困ったお嬢様ですね」

 すっとぼけた言い方で言葉を返したエセリアに、ルーナは溜め息で応じた。しかし偶々審議の場に彼女の随行者として居合わせていたルーナは、その時のグラディクトの醜態を思い返し、主を一方的に窘める気にはなれなかった。


「確かに、あの殿下の醜態を目の当たりにして、目を覆いたくなりましたね。あれで『王子』という単語に対する幻想が、見事に崩壊しました」

「それは悪い事をしたわ」

 エセリアが思わず苦笑していると、慌ただしくドアがノックされ、ミレディアが断りも入れずに部屋に入って来る。


「エセリア、午後から王宮に出向く事はできるかしら?」

「それは大丈夫ですが……。お母様、何事ですか?」

 いきなり持ち出された話に驚き、即座に長椅子から起き上がって尋ねてきた娘に、ミレディアは困惑気味に言葉を継いだ。


「それが……。急だけれどお姉様から、あなたを今日の午後に王宮によこして欲しいとの連絡が来たのよ」

「本当に急ですね。何事でしょう?」

「それは分からないけど……、本当に大丈夫かしら?」

 重ねて尋ねてきた母に、エセリアは真顔で頷いた。


「それは構いませんが、急いで支度を整える必要がありますね。ルーナ、準備をお願い。何か用事があれば、他の人に頼むから」

「分かりました!」

 さすがに王宮に出向くとなれば、それなりの身支度をする必要がある為、ルーナは他の侍女にも手伝って貰って、昼食を挟みながら抜かりなく主の支度を整えた。そして指定の時間に間に合うようにエセリアが王宮に出向くと、まだ例の騒ぎの余波が収まり切らないのか、王宮全体に落ち着かない空気が漂っていた。


「エセリア。急に呼び出して、申し訳ありません」

 マグダレーナの私室に入って椅子に落ち着くなり、気遣わしげに声をかけられたエセリアは、笑って首を振った。


「王妃様のお声掛かりとあらば、どのようにしてでも予定を繰り合わせますわ。それに暇を持て余しておりましたから、本当に支障はありませんでした」

「それなら良かったのですが……。本当にそれほど暇だったと?」

「確かに、色々招待されたり、顔を出す予定にしていた所がございましたが……。出向いた先で、例の事について問い質される事が分かっておりますので、なかなか気が進みませず。全て丁重にお断りいたしました」

「そうでしょうね……」

 苦笑しながらエセリアが事情を説明すると、マグダレーナは溜め息を吐いてから、目線で人払いをした。そして心得た侍女達が音もなく下がり、室内に二人きりで取り残されると、マグダレーナが真顔で言い出す。


「エセリア。今日急遽呼び出したのは、シェーグレン公爵とミレディアを呼ぶ前に、伯母としてあなたに直々に確認したい事があったからです。お二人を呼ぶ明後日の茶会の主催者は陛下で、正式な謝罪の場となりますから」

「はい、それは存じております。それで伯母様が私にお尋ねしたい内容とは、一体どのような事でしょうか?」

「例の審議の場でグラディクト殿が持ち出した、宣誓書に関してです。陛下と共に、あれらの筆跡が共通している事を確認しましたが、私にはもう一つ、気がついた事があったのです。その場で口には出しませんでしたが」

 それきり口を閉ざして自分の返事を待っているマグダレーナに、エセリアはあっさり白旗を上げた。


(伯母様なら、気がつくだろうと思っていたし、あまり驚かないわ。というか問い質されるのは、寧ろ当然よね)

 そう腹をくくりながら、エセリアは少々とぼけた物言いで応じた。


「伯母様には、その筆跡に見覚えがございましたの?」

「ええ。折に触れ、手紙をくれる方の筆跡に、酷似しておりましたから」

「まあ……、それは不思議な事ですわね」

 他人事のように述べた姪を見て、マグダレーナが含み笑いで話を続ける。


「その方はそんな事をして、更にそれが私の目に入る事態になった場合、気づかれる可能性はないと高をくくっていたのでしょうか? 随分と見くびられたものね。そうは思わなくて?」

「それはさすがに、気付かれると思っていたのではありませんか?」

「あら、そうなのかしら?」

 互いに含みのある発言を少し続けてから、ここでエセリアが断言した。


「問題が発生した時点で、その原因となった方の処罰については、伯母様は既に考えておられた筈。その過程で少々の疑念が生じても、些末な事でいたずらに審議を延長させ、王家の威信を更に貶めさせる事はなさらないのでは? それを書いた方もそう判断した為、両陛下にご覧いただいても平気だったのでは無いかと、推察いたします」

 そう述べてから全く臆せずに自分を見返してきたエセリアを見て、マグダレーナは深い溜め息を吐いた。


「……エセリア」

「はい」

「私はあなたを過小評価して、彼を過大評価していたのが、はっきりと認識できました。そんなに我慢できませんでしたか?」

「我慢できなかったと言うより、私の将来像に、あの方は最初から存在しておりませんでしたから」

「辛辣ね……。私に、一言言ってくれれば……」

 思わず呻いたマグダレーナだったが、すぐに王妃の顔に戻って断言した。


「いえ、今更こんな言葉は無意味ですね。王家の指示による婚約を、臣下の側から拒める筈がありません。それでもあなたが必要以上に騒ぎを拡大させた為、予想外に多大な迷惑を被った方々が、れっきとして存在しています。今後、それを忘れないように」

 きつい口調で言い聞かされたエセリアは、真剣な面持ちで深く頷いた。


「肝に銘じております。あの時、ケリー大司教に告げた言葉に、嘘偽りはありません。この先一生、この国の発展に力を尽くす事を、伯母様にお約束いたします」

「国への貢献は勿論ですが、個人、特にマリーリカに関しては、突然王太子の婚約者に祭り上げられるわけですから、くれぐれも彼女への配慮を忘れないように」

「はい。そちらもできる限り、サポートする事をお約束いたします」

「それならば宜しい」

 その確約を得て、幾らか気が楽になったらしいマグダレーナは、幾分口調を穏やかにしながら話を進めた。


「それでは話は変わりますが、来週予定されている私の生誕記念祝賀会の場で、急遽アーロン殿下の立太子式と、あなたへの爵位贈呈式を執り行う事になりました」

「立太子式はともかく、爵位贈呈式ですか? それは一体、どういう事でしょう?」

「ナジェークから聞いていませんか? 元々は、彼から提案された話なのですが」

 寝耳に水の話にエセリアは戸惑って問い返したが、それを聞いたマグダレーナは困惑した表情で説明を加えた。


(お・に・い・さ・まぁぁっ! どうして本人に話を通さずに、爵位云々の話なんか進めてるんですかっ!?)

 エセリアが諸悪の根源を心の中で叱りつけていると、マグダレーナが真顔で話を続けた。


「今後、あなたの縁談が纏まるには、かなりの困難が伴うかと思います。しかし万が一、あなたが一生未婚のままであっても、領地からの収入と爵位で十分に体面を保てるようにしますから、安心なさい。明後日正式に、陛下からお話があります」

「……身に余るご厚情、ありがとうございます」

 神妙に頭を下げてお礼を口にするしかできなかったエセリアは、予想以上に拡大した事態に頭痛を覚えた。


(私は婚約破棄ができれば良いと考えていただけで、爵位とか領地とか、そんな事は全く考えていなかったんだけど! お兄様ったら、どうして話を必要以上に大事にしてるんですか!? これはもう絶対にお兄様の恋バナを、徹底的に聞かせて貰わないとね!?)

 そう固く決意したエセリアは、その日手ぐすね引いて帰宅する兄を待ち構え、前々から聞きたかった話を洗いざらい聞き出す事に成功したのだった。

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