(8)尾を引く騒動

 建国記念式典の翌週、ローダスとシレイアはお互いの休みが合っていたのを幸い、二人で総主教会を訪れていた。

 訪問に先立って連絡をしており、問題なくある部屋に通される。そこで案内役の司祭見習いが部屋を出て行ってから、シレイアは微妙に顔を強張らせながら呟いた。


「さすがに緊張してきたわ」

「俺は胃が痛くなってきた。大司教様の顔を見た瞬間、これまでの事を洗いざらい暴露しそうだ」

「今更そんな事をしても誰も幸せにならないから、私が全力で阻止するから安心して」

「ああ。遠慮なく殴り倒してくれ」

「そこまでするとは言っていないわ。あなた、私をどんな人間だと思っているのよ……」

 同様に緊張の面持ちを隠せないローダスが口にした台詞に、シレイアは思わず憮然となる。そこで先程の司祭見習いに呼ばれたケリーがやって来た。


「やあ、ローダスにシレイア。わざわざ訪ねて来てくれて嬉しいよ」

 少々やつれた感じはあるものの、依然と同様の穏やかな笑みを向けてきたケリーに、二人は勢いよく立ち上がりながら頭を下げた。


「お久しぶりです、ケリー大司教様!」

「本当にご無沙汰しております!」

「そんなに畏まらなくて良いから。今では君達は、名実ともに立派な官吏なのだし」

「…………」

(なんだか、官吏を目指していますと堂々と嘘を吐いていた、誰かさんの事を思い出している気がするわ)

 どことなく哀愁漂う笑みに、シレイアは勿論、ローダスも次の言葉を失った。そこでケリーと共に椅子に座り直してから、慎重に尋ねてみる。


「その……、例の件の後、大司教様が少々体調を崩されていたと父から聞いたのですが、お加減はいかがですか?」

 その問いかけに、ケリーはしんみりとした口調で応じる。


「もう大丈夫だよ。あの時は君達のご両親を初め、周囲の皆に随分気遣って貰ったり、心配をかけてしまった。心から反省している」

「反省だなんて、そんな! 大司教様は、何一つ悪い事をしていません! そんな明確な事すら分かっていない人がいるなら、その人の方が間違っています!」

「悪い事をしてはいなかったかもしれないが、人を一人、正しい方向に導くことができなかった。それに関しては、私の落ち度に違いない」

「そんな……」

「大司教様……」

 ケリーの心情を思って、二人は心底申し訳ない気持ちになった。そんな二人の様子を見て、ケリーが口調を改めて語りかける。


「あの時、エセリア様に『責任を取って引退など、単なる責任逃れだ』と鋭く指摘されたことに感謝している。私は自らの過ちから、目を背けるつもりはないよ。これから暫くの間、少々居心地の悪い思いをするかもしれないが、これまで通り、いや、これまで以上に立場の弱い人達を精一杯助けていくつもりだ」

 その決意を聞いて、シレイアとローダスは救われた気持ちになった。


「そうですよ。財産信託制度もケリー大司教様も、総主教会には必要ですから」

「大司教様は彼女以外の多くの人を、きちんと援助されて立派に自立させてきましたもの。世の中に困っている方々が存在する限り、大司教様は必要な方です」

「私達は変わらず、大司教様を応援しています」

「二人ともありがとう。励まして貰って、朝からの憂いが晴れたよ」

 ケリーが微笑んでくれたことで安堵したものの、二人は彼の台詞に引っ掛かりを覚えた。


「憂いというのは……。今朝、何かあったのですか?」

「総主教会内で、何かくだらない嫌味でも言ってきた、くだらない奴でもいたんですか?」

「シレイア、言い方」

「だって」

 咎めてきたローダスとシレイアが揉めかけると、ケリーが困り顔で事情を説明してくる。


「いや、総主教会内ではなくて、朝一でジムテール男爵からの要請文書が届いてね。その内容について上層部の会議で紛糾したものだから」

「ジムテール男爵? ええと、それってもしかして……」

「もしかしなくても、元王太子の事じゃない! あの馬鹿、何か馬鹿な因縁でもつけてきたんですか!?」

 思いもかけない名前が出てきたことで、シレイアは勢いよく立ち上がりながら声を荒らげた。そんな彼女をケリーが宥める。


「落ち着いてくれ、シレイア。話自体は、おかしなことではない。総主教会で挙式したいという申し入れだった」

「挙式……」

「そういえば、なんだか無理矢理感満載で、急遽アリステア嬢が母方の実家のジムテール男爵の先々代の養女的な扱いになりましたよね。その彼女との婚姻によって、辛うじて元王太子が貴族扱いで男爵を名乗ることになったので、体面を取り繕う上でも総主教会での挙式は必要か。仮にも貴族の当主なら、総主教会で挙式するのが当然ですからね。当主や跡取り以外ならともかく」

 この間の事情を、ローダスが思い返しながら独り言のように呟いた。それに小さく頷いてから、ケリーが話を続ける。


「確かにごく当然の流れだ。そうなのだが……、式を執り行う司教を総大司教に指定してきた。その上で、『私の挙式なのだから、当然最高位の大司教が執り行うべきだろう。ありがたく思え』との文言があったんだ」

 弁えないにも程があるその内容に、今度はローダスまで立ち上がって喚いた。


「はぁあ!? 何言ってんだ、あの馬鹿! 何様のつもりだ!」

「『よろしくお願いします』と懇願してくるならまだしも! あんな騒ぎを起こした直後に挙式しようとしても、誰も引き受けたがらないわよ!」

「それだけなら、まだ良かったんだが……」

「ちょっと待ってください! 今の話だけでも相当問題なのに!」

「これ以上、何を言ってきたんですか!?」

 まだ話が続きそうな気配に、二人は呆れ果てながら仔細を尋ねた。するとケリーが、とんでもない事を口にする。


「私がアリステアの後見人をしていた関係で、『アリステアの祝儀の代わりに、挙式に係わる費用は一切総主教会持ちで良いだろう』と書いてあった」

 それを聞いた途端、シレイアとローダスは呆気に取られ、次いで揃って脱力して静かに椅子に座り直した。そして二人揃って、頭を抱えて呻く。


「……あの馬鹿に、想像以上に常識がなかったのが分かったな」

「普通、教会での挙式費用は、新郎新婦の身分や財産によって増減しているのに。本当に貧しい夫婦の場合、本当に簡素な儀式にして費用も徴収しない事だってあるわ。だけど裕福な商人とか貴族の場合、それなりの額を支払って貰っているのよ? まさか、それを知らないの?」

「この場合の挙式費用は、商人や貴族の体面を保つために必要な教会に対する寄付の面もある。現に、教会からの請求額に上乗せして支払ってくれる場合も多い。ごくごく稀に値切ってくる者もいると聞くが、まさかタダにしろと要求してくるとは……」

「そんな常識外れな申し入れをされたら、確かに話し合いが紛糾するわね」

 二人の反応を予め予想できていたケリーは、無言で溜め息を吐いた。ここでシレイアは、少々気になっていた点について尋ねてみる。


「あの……、大司教様。つかぬ事をお伺いしますが、アリステア嬢からその後連絡とかは……」

 その台詞に、同様に気になっていたローダスがピクリと反応した。するとケリーは、寂しげな表情になって告げる。


「あの一件の後、グラディクト殿と結婚する事になったのを聞いて、ささやかな祝いの品と一緒に結婚を祝う手紙を送ったが、色々忙しなく過ごしているみたいでね」

「全く連絡が無いわけですね……」

「だが、その申し入れの文書には『来週開催の王妃陛下の生誕記念祝賀会までは多忙だ。その後に日程調整のために出向くから、そのつもりでいろ』と書いてあったから、その時に夫婦揃って出向いてくれるつもりかもしれない」

 ケリーは、そんな希望的観測を口にした。さすがに気の毒に思ったシレイアは、曖昧な口調で賛同する。


「そうですか……。そうかもしれませんね」

「ああ。急に結婚する事になって、しかも男爵夫人になるなんて、色々気苦労も多いだろう。陰ながら彼女の幸せを祈る事にするよ」

(寧ろ来ない方がケリー大司教様の憂いは減るし、立場も悪くならないと思うけどね!? 散々面倒をみて貰ったのに、なんて恩知らずなのよ! それに、どこまで大司教様に迷惑をかけるつもりなの!?)

 寂しげに笑うケリーの手前、否定もできなかったシレイアはなんとか笑顔で応じた。しかしその胸の内では、アリステアに対する怒りが渦巻いていた。




 取り敢えず近況を確認し、自分たちなりにケリーを慰めつつ励ましてから別れを告げた二人は、表面的には何事もなかったかのように家路についた。


「シレイア。気持ちは分かるが、このままジムテール男爵家に乗り込んで、馬鹿夫婦をまとめて殴り倒すような真似はするなよ?」

 総主教会を出て実家に向かいながら、二人は街路を並んで歩いていた。するとローダスが唐突に言いだした内容に、シレイアは思わず足を止める。


「……そんな顔に見える?」

「ああ」

 すこぶる真顔で言い返されたシレイアは、独り言のように口にする。


「それは確かに、貴族の当主になったからとか、結婚したとか立場が変わっただけで、自然にその立場に相応しい判断力とかが身につくわけではないと思うのよ」

「まあ、それはそうだろうな……」

「だけど……、さすがにちょっと酷すぎない?」

「同感だ。もうあの二人は真っ当な人間ではなく、歩いて喋る人災くらいに思っておいた方が良いぞ」

「……そうね」

 そこで溜め息を吐いたシレイアは、帰宅する前に気分転換していく必要性を認識した。


「今日、二人で出向いて良かったわ。気分直しに、どこかでお茶を飲んで帰らない?」

「付き合う。俺も、精神的にどっと疲れが出てきた」

 意見が一致した二人は手ごろなカフェを探し、沈鬱な気持ちを切り替えることにしたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る