(20)新展開

 学年末の定期試験も無事に終わり、後は幾つかの未消化の授業や教授達の特別講義を受ければ、年度末休暇に突入するという時期。いつも通りエセリアは、カフェに婚約破棄プロジェクトメンバーを集めて、お茶を飲んでいた。


「定期試験の結果も出て、後は年度末休暇を待つばかりですね」

「確かに試験が終わって、安心しましたが……。エセリア様は今回の試験中、体調が悪かったんですか?」

 シレイアが振った話題で、つい前日ホールに貼り出された成績優秀者の一覧を思い出したカレナが不思議そうに尋ねると、エセリアは溜め息を吐いて答えた。


「体調が悪かったわけでは無いのだけど……。行事が増えたりそれに伴う精神的負担が大き過ぎて、それらが全て終わったら、気が抜けてしまったと言うか何と言うか……」

 そう口にした彼女を見て、周囲は心底同情した。


「今回、初めて学年十位以内から外れましたから……。余程負担になったんでしょうね」

「公表される二十位ギリギリだなんて……。エセリア様らしく無かったですから」

「それよりも、この間、皆に調べて貰っていた事についての、結果を教えて貰えるかしら?」

 そこでエセリアが些か強引に話題を変えると、余計な事を言ってしまったかと密かに後悔したカレナが、真っ先に声を上げた。


「ええと……。さり気なく周囲に話を聞いてみましたが、あのアリステア嬢の事は話題に出すのも馬鹿馬鹿しいと言うか、無意味だと皆さん思っているみたいです」

「はっきり言って、面白おかしく話題にするという気すら起きない、と言うところでしょうか?」

「彼女がまとわりついているグラディクト殿下の婚約者たるエセリア様が全く動いていないので、変に騒ぎ立てる事でエセリア様の不興を買いかねないと、特に貴族間では静観している状況ですわね」

「そうなの……」

 彼女に続いてシレイアとサビーネも冷静に報告し、横でローダスやミランも真面目くさった表情で頷く中、エセリアは一人考え込んだ。


「それはこちらとしては都合が良い状況ではあるけれど、ここまでアリステアの存在が外部に漏れないって不気味よね……。これってひょっとして、シナリオ補正なの? 卒業前に退学になったりしたら、そもそもストーリーが成り立たなくなってしまうからとか……」

「あの……、エセリア様? 何を仰っておられるのですか?」

 突然何やらブツブツと呟き始めたエセリアに、シレイアが不思議そうに声をかける。それで我に返ったエセリアは、笑ってその場を誤魔化した。


「大した事では無いから、気にしないで。それよりも彼女の事が変に噂になっていなくて、良かったわ。これからも情報収集を、宜しくお願いしますね」

「はい」

「お任せ下さい」

「エセリア様!」

「……ええ」

 そこで自分の背後を見やりながら、低い声で警告を発したミランに、エセリアは小さく頷いた。そして周囲も慎重に口を閉ざす中、彼女の隣にいたカレナがさり気なく振り向き、近付いて来る人影を確認する。


「あら? 殿下の側付きのお三方ですわ」

「それは珍しいわね。何事かしら?」

 普段、関わり合いを持たない彼らが何の用かとカレナは怪訝な表情になったが、エセリアは何となく彼らの用件を察して苦笑の表情になった。そうこうしているうちに彼らは丸テーブルを少し回り込み、エセリアからは斜め前の位置に立って、恭しく声をかけてきた。


「エセリア様、ご友人とご歓談中失礼しますが、少々お時間を頂けますか?」

「グラウル様、トール様にラジェスタ様まで、お珍しいですね。構いませんわ。どうぞご遠慮なくお話し下さいませ」

 彼らの申し出に鷹揚に頷き、笑顔で快諾したエセリアだったが、三人を代表して話し出したグラウルは渋い顔になった。


「……少々外聞を憚るお話なので、場所を移動するか、他の方には席を外して頂きたいのですが」

「私には別に、外聞を憚るような事に心当たりはございませんので、どうぞそのままお話しになって下さいませ」

「…………」

 チラリと周囲を見回しながらの要求もエセリアには全く通じず、更に他の者達も彼らに遠慮して席を立つ者が皆無だった為、グラウルは苛立たしさを滲ませながら再び口を開いた。


「それでは言わせて頂きますが、エセリア様はあのアリステアと言う生徒を、このまま放置しておいて構わないと思っていらっしゃるのですか?」

 その訴えを聞いたエセリアは、些かわざとらしく首を傾げた。


「……アリステア? どちらのアリステアさんの事ですの?」

「アリステア・ヴァン・ミンティアの事です! 音楽祭であなたの直後に演奏しましたから、当然ご存知でいらっしゃいますよね!?」

 思わず一歩足を踏み出し、苛立たし気に告げたトールにも、エセリアは平然と問い返した。


「ああ……、あのアリステアさんでしたか。彼女がどうかしましたか?」

「最近、殿下が彼女を厚遇している事を、ご存知では無いと仰る?」

 探るような目で問い質してきたグラウルだが、エセリアはおかしそうに笑うのみだった。


「生憎と、私はあなた方のように殿下の側付きではありませんの。厚遇と言っても、どのような事を仰っているのやら」

「殿下はあなたを差し置いて、彼女を頻繁に側に寄せているのですよ!?」

「私、以前から必要が無ければ、殿下の近くに寄せて頂いた事はありませんし、それに不自由は感じておりませんの。それに殿下がその方に、お勉強を教えていらっしゃるとお聞きしましたが、それが何か問題ですの?」

「それは……、そのようですが」

 忌々しげな表情を隠さずにグラウルが頷いたが、ここでエセリアがすまし顔で言い放った。


「要は、殿下でもお勉強を教えられる程、そちらのアリステアさんの成績が残念過ぎると言う事ではありませんの? いわば殿下が自らできる、貴重な慈善事業。それを咎めるなど、側付きの態度としてはどうなのでしょうね?」

 彼女がそう口にした途端、周囲で「ぶふっ!」とか「うくっ……」という、くぐもった笑いが漏れた。そしてグラウル達が、一気に険悪な雰囲気を醸し出す。


「なっ!?」

「あなたでも、殿下に対してそんな侮辱は!」

「侮辱? 今の話のどこがです。私は殿下が優越感を示す事ができる存在ができて、良かったと安堵しておりますのよ? アリステアさんが殿下に近づくのを不満に思うなら、あなた方が意図的に酷い成績を取って、殿下に教えを請えば良いだけの話では無くて?」

 それに対しても、周囲から必死に笑いを堪える気配が漂う中、グラウルは呻く様にエセリアに尋ねた。


「……それではあなたは、目障りなアリステア嬢を排除するつもりは無いと仰る?」

「彼女が目障り? まあ、随分面白い事を仰いますのね」

 そう言ってくすくすと笑ってから真顔になったエセリアは、心底不思議そうに彼らに問い返した。


「どうやらあなた方と私の認識には、大きな隔たりがあるみたいですわね。子爵家の人間に過ぎない、しかも容姿も才能も教養も私に劣る、実に取るに足らない彼女を、私がどうして気にしなければいけないのですか?」

「…………」

 確かに普通に考えれば、エセリアと勝負になりえないアリステアの事を思い、それに反論する言葉を持たなかった三人は押し黙った。そんな三人を、エセリアが鼻で笑う。


「どうやら殿下に意見しても聞き入れられずに、私に彼女を排除させようと目論んだようですが、自分達の無能さを棚に上げて、随分虫の良い事を考えておられたのね。そもそも殿下が聞く耳持たれなければ、私の所に来る前に、彼女に働きかけるべきではなくて?」

「彼女を脅せと仰る?」

「あらあら、脅すだなんて、随分怖い事を。私はそんな事は、一言も口にしてはおりませんが。勝手に自分達の妄想を、押し付けないで頂けますか? それからお話がもう終わりなら、お引き取り頂きたいのですが」

「……お邪魔致しました」

 そして体良く追い払われた彼らを見送ってから、サビーネが忌々しげに口にした。


「今まで殿下同様、エセリア様の存在を殆ど無視してきたくせに、こんな時だけ利用しようなんて本当に虫が良いこと」

「それだけあの方達も、困っていると言う事でしょう? 同情はしませんけれど」

「本当ですわね」

 小さく肩を竦めたエセリアを見て、周囲は苦笑いした。しかし次にエセリアが口にした台詞で、皆瞬時に真顔になる。


「取り敢えずあの三人が、近いうちに直接動く事になりそうね。暫くの間、あの三人の監視……、いえ、アリステア嬢を監視した方が効率的だと思うので、交代でしっかり監視をお願いします。それから、私の推測通りの事が起こったら、その時手の空いている方に動いて貰いたいのですが……」

「お任せ下さい」

「何でも致しますわ」

 それから少しの間、エセリアが指示する内容を他の者が頭の中に叩き込んだ上で、幾つかの密談が繰り広げられた。

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