(19)ミッション終了
「グラディクト。そうするとそちらのお嬢さんも、今回の剣術大会で、何か重要な役割を果たされた方なのね?」
「え!? いえ、それは……」
「あの……、私は係ではなく……」
急に予想外の事を言われて咄嗟に口ごもってしまった二人を余所に、エセリアは落ち着き払ってディオーネに向かって、尤もらしい嘘を口にした。
「そちらのアリステアさんは、殿下のご挨拶の原稿作製をお手伝いされたのですわ」
「はぁ? 何を勝手な事を言っている!」
思わず声を荒げたグラディクトだったが、それを聞いたレナーテがすかさず怪訝な顔で問い質す。
「それではそちらの方は、何をなさった方なのですか?」
「それは……、係と言われても……」
「私達は事前に、この剣術大会は出場者以外の全生徒が必ず何かの係に就いている、生徒主導で運営されている素晴らしい行事だと説明を受けているのですが。まさか実行委員会の名誉会長たるグラディクト殿下が、何の係にも就かない事をお認めになっているわけではございませんでしょう?」
「あ、あの……、殿下の原稿のお手伝いを……」
ディオーネまで怪訝な顔になり、とても何もしていないと言える雰囲気では無く、アリステアは思わず消え入りそうな声で、エセリアの説明を流用した。それを聞いたディオーネ達は納得し、更に彼女が高貴で美しい自分達に怖じ気づいて相当緊張しているのだろうと勝手に思い込み、最大限の笑顔を振り撒く。
「まあ、そうだったの。私達の前だからと言って、そんなに恐縮しなくても大丈夫ですよ?」
「平民の方ですから、普段目にする事もない私達を見て怖じ気づくのは分かりますが、何も叱責する為に呼びつけたわけでは無いのですからね」
「いえ、私は子爵家の娘です!」
慌ててアリステアが自分は貴族であると訴えたが、ディオーネ達は鷹揚に笑いながら頷いた。
「あら、そうでしたの。それならエセリア様のように日々精進すれば、伯爵夫人位にはなれるでしょうね。頑張りなさいな」
「ええ、マリーリカ様のように慎みを忘れずに己を磨き上げれば、間違っても王妃や側妃にはなれなくとも、伯爵夫人位にはなれるでしょうね」
「そんな……」
目の前の女生徒を励ますように見えて、実は息子の婚約者を引き合いに出して張り合った二人だったが、自分を認めて貰えるどころか「王妃や側妃は無理でも伯爵夫人位なら何とかなれるだろう」と断言されてしまったアリステアは、愕然とした表情になった。それを見たグラディクトが焦りながら声を上げる。
「いえ、母上、そうではなくてですね!」
しかしそこでさり気なくエセリアが、二人に向かって声をかける。
「そういえばお二人とも、そろそろ王宮にお戻りにならなくても宜しいのでしょうか? 殿下方のご活躍の話を聞く為に、両陛下が時間を取って待っておいででは無いのでしょうか?」
その問いかけに忽ち二人は顔色を変え、椅子から立ち上がった。
「そうでしたわ! お忙しい陛下方をお待たせできないもの」
「これで失礼致しますわ。有意義な時間を過ごさせて頂きました」
「最後にお引き留めして、申し訳ございません」
「ご観覧、ありがとうございました」
ディオーネ達の宣言に、エセリアとマリーリカは揃って恭しく頭を下げたが、グラディクトは慌ててディオーネに詰め寄り、その腕を掴んだ。
「母上、お待ち下さい! 少し話がありますので!」
「グラディクト、何をするの! 私は王宮に戻ると言っているでしょう!?」
既に侍女達を従えて歩き出していたレナーテは、振り返ってそんな親子の揉める様子を見ながら、おかしそうに笑った。
「ディオーネ様。グラディクト殿下は積もる話がおありのようですし、王宮にお戻りになるのはごゆっくりで宜しいのでは? 陛下には私の方から、しっかり報告しておきますわ。さあ、皆。戻りますよ」
そう口にして近衛騎士団の面々も引き連れ、足早に遠ざかっていくレナーテから息子に視線を戻したディオーネは、未だに自分の腕を掴んで引き止めている彼を、本気で叱りつけた。
「その手を離しなさい、グラディクト! レナーテに先に行かせたら、陛下の前でアーロンの話ばかりするのに決まっているじゃないの! 話なら今度休暇で王宮に戻った時に、幾らでも聞いてあげます!」
「いえ、王宮ではできないのです。是非この場で紹介して、母上にご説明」
「私が、離しなさいと言っているのよ!」
「っう!?」
「グラディクト様!」
一歩も引かない気迫のグラディクトに憤慨し、ディオーネが閉じた扇で彼の頬を渾身の力で打ち据えた。さすがに倒れる事は無かったものの、その衝撃にグラディクトは思わず目を見張って手を離し、アリステアが悲鳴を上げる。
彼女付きの侍女達やエセリアまでも、その光景を目の当たりにして唖然とする中、ディオーネは何事も無かったかのように優雅にその扇を開き、口元を隠しながら息子を冷たく見据えた。
「あなたはもうれっきとした王太子なのですから、時と場所をわきまえなさい。今ここで、あなたの話を聞く時間はありません。それ位理解して貰わないと、アーロンに見劣りするのが分からないの?」
「母上!!」
グラディクトは怒りに顔を染めながら尚も訴えようとしたが、ここでエセリアが静かに声をかけた。
「ディオーネ様、正面玄関までお見送り致します」
「ありがとうございます、エセリア様。さあ、皆も行きますよ?」
「それでは参りましょうか。足元にご注意下さい」
先程まで実の息子に見せた怒りの表情を綺麗に消し去り、笑顔でエセリアに向き直ったディオーネは、何事も無かったかのようにエセリアの先導に続いて、侍女たちを引き連れて悠々とその場を後にした。そしてその場には憤怒の形相のグラディクトと、真っ青な顔で彼に駆け寄ったアリステアだけが取り残される。
「あの女……」
「グラディクト様、大丈夫ですか!?」
そんな二人の様子を、少し離れた所からシレイアとローダスが注意深く観察していた。
「これで何とかアリステアの存在が、公衆の面前で露見する事は避けられたわね」
「それにしても、エセリア様の手腕は流石だな。ディオーネ様に微塵も不審がられずに、アリステア嬢の事を、その他大勢のうちの一人とだけ認識させたぞ」
「それに殿下がディオーネ様に打ち据えられて、いい気味よ。剣術大会の期間中、エセリア様とマリーリカ様が、どれだけ神経をすり減らしたと思ってるのよ」
「全くだな。それにもかかわらず、あいつらは連日どこかに雲隠れしていたし。お仕置きとしては妥当かな?」
「生温いけど、勘弁してあげましょう」
「本当に容赦ないな」
辛辣すぎる幼馴染の言葉に苦笑したローダスは、彼女を宥めながらその場を離れて行った。
そして無事にディオーネとレナーテを正面玄関から送り出したエセリアとマリーリカは、リーマンから何度も頭を下げながらの感謝の言葉を受けてから、校舎内に向かって歩き出した。
「マリーリカ……、ちょっと休んでから部屋に戻りましょうか」
「はい、お姉様……」
マリーリカも同じ思いだったらしく、エセリアの申し出に素直に頷き、無言でカフェへと向かった。そしてそこに到着すると、心底同情する表情のサビーネ達の出迎えを受ける。
「お疲れ様です、お二人とも」
「お茶は私達が持って行きますので、先に椅子にお座り下さい!」
「そう? サビーネ、カレナ。ありがとう」
「すみません」
促されるまま手近なテーブルに進んだ二人は、無言で椅子に座った。と思ったらいきなりエセリアが突っ伏した為、さすがにその無作法さにマリーリカが驚きの声を上げる。
「……やってられないわ」
「お姉様!?」
「マリーリカ、あなたも好きにしなさい。今ここで私達が何をしても、余程変な事でなければ、全員見て見ぬふりをしてくれるから」
「…………」
突っ伏したままのエセリアの台詞に、思わずマリーリカが周囲に目を向けると、殆どの生徒は二人が大会中、側妃二人に張り付いていた事を知っていた為、無言で顔を逸らして見ていないふりを装った。それを認めたマリーリカは、あっさりと従姉に倣う事にする。
「それでは失礼します……」
「マリーリカ、お疲れ様」
「お姉様こそ……」
突っ伏したままお互いの奮闘を称え合っていると、サビーネ達が二人のお茶を運んできて声をかけた。
「お二人とも、お茶をお持ちしました」
「エセリア様、マリーリカ様、気が向いたらお茶をお飲みになって下さい。それからワーレス商会で販売しているチョコレートもご用意いたしましたので、宜しかったら一緒に召し上がって下さい」
「ありがとう、ミラン」
「頂きます」
ミランも二人の奮闘に報いるべく、実家から取り寄せた最高級品のチョコレートの箱を開けながら勧めると、二人はのろのろと上半身を起こし、カップと箱に手を伸ばした。そして少しの間無言で味わってから、マリーリカが涙声で感想を述べる。
「お姉様……、私……、こんなに美味しいお茶とチョコレートは、初めてですっ……」
「私もよ。きっと一生、この味は忘れられないわね」
エセリアは実にしみじみとした口調でそれに応じ、周囲の者達は二人のこの間の気苦労を想って、密かに涙したのだった。
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