(18)横槍

 剣術大会の開始後エセリアとマリーリカは、試合観戦中はディオーネ達の雑談に付き合い、昼食中や空き時間での校舎の見学などにも付き添いながら、不穏な話題が出た途端なるべく自然に当たり障りの無い話題に軌道修正し、可能な限り平穏な状況を保つ事に腐心していた。

 その努力が報われ、何とか表立っての二人の対立がないまま最終日まで日程が進み、その日の午前中の試合でとうとう負けてしまったアーロンが、観覧席に挨拶にやって来た。


「母上、ディオーネ様、お邪魔いたします。ご挨拶が遅れて、誠に申し訳ありませんでした」

「構いませんよ、アーロン。お疲れ様でした。どれも素晴らしい試合だったわよ?」

「ええ、見事本戦まで勝ち抜いて頂けて、安堵いたしましたわ。優勝できれば、それに越した事はございませんでしたが」

「それはさすがに騎士科の方や、来年そちらに進級を目指す方々が軒並み顔を揃えておりますので。力及ばず、申し訳ありません」

 満面の笑みで息子を褒め称えた母と、チクリと嫌味を口にしてきたディオーネに、アーロンは苦笑しながら軽く頭を下げた。そこでマリーリカから、如何にも安堵したような声がかかる。


「確かにそうですが、勝敗よりもお怪我が無くて何よりでした」

「ありがとう。それに、随分心配をかけてしまったようだね」

 彼女に向き直り、笑顔で礼を述べたアーロンだったが、ここでディオーネが口を挟んだ。


「本当にそうですわね。万が一、王子殿下に怪我などさせてしまったのでは、一大事ですもの。これまでの対戦相手も、それで相当委縮してしまったのではなくて?」

「何ですって?」

 ディオーネの言葉に、忽ちその場が険悪な雰囲気になりかけたが、ここでエセリアが落ち着き払ってアーロンに申し出た。


「それよりもアーロン様。今頂いてきた記章を、お二方に披露して頂けませんか?」

「はい、……これでよろしいですか?」

「ええ、お借りいたしますわね」

 アーロンが素直にピンを外して胸に付けていた記章を渡すと、エセリアは会釈して受け取ったそれを、ディオーネ達の方に持って行った。


「ディオーネ様、レナーテ様。開始直後に敗者にお配りする記章の話は致しましたが、あの時見本にお持ちしたのは、予選用なのです。本戦になると、大きさも図案も随分違えてありますの」

 それを眺めた二人は、納得して頷く。


「本当に、随分違いますのね」

「昨年も見せて頂きましたが、見事な刺繍ですわ。あら、裏には校章まで刺繍が。これは昨年ありましたか?」

「それは気が付かなかったですわ」

 何気なくディオーネが摘み上げて裏返したそれに、校章の刺繡まで施されている事に気が付き、二人は少し驚いた表情になった。そこですかさずエセリアが、理由を説明する。


「実は昨年記章を頂いた方々から、『学生時代の記念にするのだから、できれば校章なども刺繍したら良いのではないか』との意見が上がりましたの。昨年の物を作り直すわけにはいきませんでしたが、その経過を説明した上で今年の刺繍係の皆様で検討して頂いた結果、裏に校章を刺繍する事になったのです」

「まあ、そうでしたの。ご苦労様ですわね」

「それに要望を拾い上げて次年度に活かすなど、さすがはエセリア様ですわ」

 ディオーネとレナーテが彼女の話に愛想良く応じている隙に、アーロンはマリーリカの側に寄って心配そうに囁いた。


「マリーリカ、大丈夫かい? 何やら顔色が良く無いが……」

「ええ、平気です。お姉様と一緒ですし。お姉様のご苦労と比べたら、私のそれなど大した物ではありませんわ」

「すまないね。母とディオーネ様のせいで」

 そこで溜め息を吐いたアーロンは、エセリア達の話に一区切り付いたのを見計らって、ディオーネとレナーテに挨拶した。


「それでは私は、これで失礼致します」

「ええ、休暇には戻って来てね」

「ご苦労様です」

 そして彼は一礼して下がりながらエセリアの所で足を止め、彼女だけに聞こえるように囁く。


「エセリア嬢。マリーリカの事を、宜しくお願いします」

「はい、お任せ下さい」

 エセリアがそう請け負うと、アーロンは幾らか安心したように立ち去り、それからエセリア達は変わらずディオーネ達のご機嫌を取りながら、波風を立てないように神経をすり減らしていた。



「それでは当大会実行委員長のグラディクト殿下に優勝者の表彰をして頂いた後、閉会のお言葉を頂きます」

 そして午後に入って何とか決勝戦も終わり、司会に促されてグラディクトが朝礼台に上がったところで、エセリアがマリーリカに体を寄せて囁いた。


「マリーリカ。それでは予定通り、少し離れるわね」

「はい、この場は私が対応しておきますので」

 一々詳細を尋ねる事無く、素直に了承してくれたマリーリカに感謝しながら、エセリアはさり気なく観覧席から離れて行った。それに気付くことなくディオーネは誇らしげに、レナーテは忌々し気にグラディクトのパフォーマンスを見守り、盛大な拍手と共に剣術大会は幕を下ろした。


「ディオーネ様、レナーテ様、お疲れ様でした。これで剣術大会は、全ての日程が終了となります」

 マリーリカが改めて二人の前に立ち、深々と礼をしながら報告すると、レナーテが上機嫌に応じた。


「マリーリカ様、ありがとうございます。エセリア様とあなたのおかげで、楽しく有意義に過ごせましたわ」

「そういえば、エセリア様はどちらに?」

「はい、お姉様は所用で席を外しておりますが、すぐに戻って参りますので」

 ディオーネの問いにマリーリカが笑顔で答えると、ここでアリステアを引き連れたグラディクトが、観覧席にやって来た。


「母上、最後までご苦労様でした。ずっとご覧になって、お疲れになったでしょう?」

「いえ、大した事はありませんから。それよりも、あなたが発案した剣術大会が今年も無事に終了して、安堵しました」

「この私が目を光らせておりますから、不手際など起こる筈はございません」

「まあ、何て頼もしいお言葉」

 そんな調子の良い事を言って笑い合っている二人を見て、普段温厚なマリーリカも流石に切れた。


(何を言ってるのよ、この人! 大方、その女とヘラヘラ笑いながら、何もせずにダラダラしていただけでしょう!? 自分の母親の面倒位、見なさいよっ!!)

 しかし生粋のお嬢様であるマリーリカは、間違っても内心を面には出さずに微笑んでいると、何か言いかけたグラディクトを押しのけるようにしてエセリアが戻り、明るい声を張り上げた。


「それで母上、この機会に是非紹介したい者が」

「ディオーネ様! レナーテ様! お待たせして申し訳ありません。是非とも私達から、お二方に紹介させて頂きたい生徒がおりますの。少々お時間を頂けますか?」

「エセリア様?」

「紹介したいと言うのは?」

「おい、今私が、話をしようとしていたんだぞ!」

 その勢いに、二人が不思議そうに顔を向けると、話を遮られたグラディクトが文句を言おうとするのを完全に無視しながら、エセリアは自分に付いて来た女生徒二人を、ディオーネ達の前に押しやった。


「さあ、リステルさん、ティリスさん、遠慮なさらないでこちらにいらして?」

「は、はぁ……」

「失礼致します」

「お二方にご紹介しますわ。こちらのリステルさんは今回の大会の刺繍係のまとめ役をなさった方で、こちらのティリスさんは小物全般の作製をする係で采配を振るって下さった方ですの」

「そんな、エセリア様!」

「采配を振るうだなんて、恐れ多いですわ!」

「母上!」

 グラディクトの訴える声は、恐縮して狼狽しきった彼女達の声にかき消された上、驚いたディオーネ達にも無視された。


「まあ、それでは先程目にした、優勝者への立派なマントは、あなたが刺繍されたの?」

「あれは本当に素晴らしかったわ。在校生が作製したなんて信じられなくて、何度も見直した位でしたもの」

「ありがとうございます。勿論、私一人で作製したわけでは無くて、主に五人がかりで分担して進めましたが。お美しい側妃様方にそこまでお褒めの言葉を頂いた事を知ったら、皆も喜びます!」

「まあ、お美しいだなんて」

「そこまで恐縮しなくても宜しいのよ?」

 心からの賛辞を受けたリステルが、嬉しさで顔を紅潮させながら礼を述べると、二人はその様子を微笑ましそうに眺めた。するとエセリアが、落ち着き払って説明を続ける。


「それにこちらのティリスさんには、今年は側妃の方がお二方いらっしゃいますので、校内の飾り付けや配布物のデザインまで、事細かに気を配って頂きましたの」

「ですがやはり平民から見て十分と思える装飾やデザインで統一致しましたので、常に煌びやかな王宮で優雅にお過ごしのお二方がご覧になったら、お見苦しい点も多々あったかと思います。何卒ご容赦下さいませ」

 そう口にしてひたすら恐縮して頭を下げたィリスに、ディオーネとレナーテは鷹揚に笑いながら声をかけた。


「あら、別に何も見苦しい点は無かったと思いますわよ? それにそもそも王宮と比べる事が間違っておりますし」

「そうですとも。学生らしい、素朴でありながらきめ細やかな気配りを感じましたわ」

「ありがとうございます! そう言って頂けて、安心しました!」

 それで安堵したらしく彼女が晴れやかな笑顔を見せると、エセリアも微笑みながら彼女達を紹介した理由を告げた。


「お二方とも平民でいらっしゃいますから、普通なら間違っても側妃の方々にお目にかかる機会などございません。ですから頑張って準備や運営をして頂いた方々を代表して、ディオーネ様とレナーテ様にお引き合わせしようと思いましたの」

 そう説明したところで、リステル達は感極まった様子で口々にディオーネ達を褒め称えた。


「エセリア様。お二方とお引き合わせ頂いて、本当にありがとうございます! やっぱり側妃になられる方は、他の方とは全然違いますね!」

「ええ、お美しいのは勿論ですけど、そこら辺の美女とは違って、光輝くような美しさと気品が備わっていますもの」

「実家に帰った時にお会いした事を自慢したら、きっと家族全員に羨ましがられますわ!」

「私、今日の事は、一生忘れられそうにありません!」

 そんな心からの讃辞と分かる台詞を聞いて、気分を良くしない筈は無く、ディオーネとレナーテは満更でもない顔付きで微笑んだ。


「まあ、お二方とも、それほど興奮する事でもありませんよ?」

「ええ、少し恥ずかしくなりますわね」

 そして機嫌良く笑っていたディオーネは、ここで息子が連れて来た女生徒に漸く気が付き、何気なく声をかけた。

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