(7)エセリアが歩けばトラブルに当たる

 入学して1ヶ月程経過したある日、エセリア達は授業を終えて寮に戻る途中、回り道をして庭園を散策していた。


「こちらに来る前は、使用人が付かない一人での生活など不安なだけでしたが、慣れればどうにでもなるものですね」

「食事は食堂で出して貰えますし、洗濯は袋に入れて出せば、制服、私服問わず完璧に仕上げて返して貰えますから。私は家にいる時よりも、楽をさせて貰っています」

 ノーゼリアがしみじみと言い出した内容に、シレイアが苦笑しながら続けると、サビーネが難しい顔になりながら愚痴を零した。


「そうなのね……。でも、幾ら勉学優先と言っても、こうも娯楽の類が無いと……。相変わらず、教室内の空気も微妙ですし」

「本当に。私達はともかく、各グループ毎に壁を作っている気がします」

「そんな中、唯一文句なく楽しめる娯楽と言えば、やっぱりエセリア様の本ですわね!」

「ええ。作者がエセリア様である事は伏せて、私、時々顔を合わせる寮の隣室の方にお貸ししました」

「私は寮長をなさっている先輩に。とても好評でしたのよ? 他にも貸して貰えないだろうかと、懇願されてしまいましたわ」

 嬉々として本についての話題で盛り上がる三人を横目で見ながら、エセリアは小さく溜め息を吐いた。


(あぁあ……、上級貴族のご令嬢と、庶民の優秀なお嬢さん達が、集団で腐界への扉にご案内されてる……。私のせいだけじゃないから! 最近は新人が何人も出て、売上が倍増しているってラミアさんが言ってたし!)

 そんな風に心の中でエセリアが必死に弁解していると、庭園に隣接した建物の陰から、何やら人の声が聞こえてきた。


「……って、……んだ。……から」

「……も、……りは、……え」

 そこ微かな声に、不穏な響きを感じ取ったエセリアは、即座に足を止めた。


「皆様、ちょっとお待ち下さい」

「エセリア様?」

「どうかされました?」

「申し訳ありませんが、少しお付き合い下さいね?」

「はい、構いませんが」

「どうかされましたか?」

 一応笑顔で断りを入れてから歩き出したエセリアの後を、サビーネ達も不思議そうな顔をしながらおとなしく付いて行った。

 建物に近付くに連れて、怒鳴り合いに近い会話に気付き、さすがにサビーネ達は不安そうに顔を見合わせたが、エセリアは恐れげもなく建物の角を曲がり、平然と声をかけた。


「あなた方、そんな所で何をしておられますの?」

 すると背中を壁に押し付けていた者は、驚きに目を見張ったが、その彼を包囲していた三人は、揃って鋭い視線をエセリア達に向けた。


「……っえ?」

「何だ、お嬢様軍団か。何でもない。あっちに行ってろ!」

「お、おい! あれは王太子の……」

 しかし三人組の一人が、エセリアの顔に見覚えがあったらしく、真ん中にいたリーダー格の青年に何事かを囁く。すると彼は、如何にも忌々しそうに舌打ちした。


「あぁ? あれの婚約者? どうりでろくでもないな。したり顔で人のやる事に、口を挟んでくるとは」

 しかしそんな嫌みを、エセリアは笑顔で叩き返す。


「あなた方とは、人物評価の基準が随分異なっているみたいですね。私がろくでもないかどうかは分かりませんが、一人を大勢で囲んで吊し上げるのは、世間一般では卑怯者と申しますのよ?」

「……っ!」

 さすがに誉められた事ではないとの自覚があったらしい三人組は、悔しそうに口を噤んだが、それを見た先程まで追い詰められていた青年の方は、得意満面で言い放った。


「そっ、そうだぞ! この卑怯者どもがっ! だから出自の卑しい奴らはタチが悪い!」

「そして形勢が逆転した途端、威張り散らす様な方は、恥知らずと申しますわね」

「ぶふぁっ!」

「確かにな」

「なっ、何だと!?」

 しかし即座に切り返したエセリアの言葉に、三人組は堪えきれずに吹き出し、てっきり自分の味方をすると思っていたらしい青年は、顔を紅潮させながら怒鳴りつけようとした。しかし何か言う前に、エセリアが眼光鋭く睨み付ける。


「何か異論がおありかしら? ありましたら、ご遠慮なくどうぞ?」

「っ! 覚えてろ!!」

 どう見ても貫禄負けして、捨て台詞を吐いて逃げ出した青年を見送ったサビーネ達は、おかしそうに笑い合った。


「あらあら、みっともないこと」

「大方、王太子殿下にでも泣きつくのではございません?」

「それならそれで、やんわりと粉砕するだけの事ですわ」

「エセリア様。『やんわり』と『粉砕』という言葉は、並び立たないと思いますが」

「あら、そうだったかしら?」

 一見優雅に笑い合っているエセリア達を見て、三人組は毒気を抜かれたように呟いた。


「……変なお嬢様達だな、あんたら」

「変かどうかは別として、先程の行為の理由を説明して頂きたいわ。納得のいく理由をお聞かせ願えないなら、あなた方に一方的に不利な報告を、先生方にしなければいけませんもの」

「これだから貴族なんて奴は!」

 途端に青年は声を荒げたが、彼とエセリアの間にシレイアが割り込み、盛大に非難した。


「エセリア様を、そこら辺の偏見に凝り固まって了見の狭い馬鹿貴族と、一括りしないで頂けますか!? エセリア様は我が国教会の外部顧問も務めていらっしゃる、見識のあるお方ですのよ!」

「シレイア。落ち着いて頂戴」

「ですが!」

 苦笑しながらエセリアは彼女を宥めたが、彼らは揃って訝しげな表情になった。


「……国教会の外部顧問? 冗談だろう?」

「本当です。『公爵令嬢が金銭のやり取りに関わる事に首を突っ込むのはどうか』と言われる可能性がありますので、国教会が公にはしておりませんが、貸金事業と財産信託制度を提案して、国教会に組織作りと運営をお願いしました」

「なっ!?」

「そんな馬鹿な!」

 既に国内では、知らない者が殆どいない程の周知度を誇っている制度名を挙げられ、彼らは顔色を変えた。しかしエセリアは、落ち着き払って話を続ける。


「信じなくても、それを周りに吹聴しても、結構です。取り敢えず私は、自分自身がそれなりに他人からの訴えに対して、聞く耳を持っているつもりだと主張しただけですから」

「確かに……。あんただったら、他の貴族の奴らと比べたら、聞く耳は持っていそうだな。国教会には、俺の親戚が世話になっている」

 リーダー格の青年が神妙に頷いたところで、エセリアはそのタイミングを逃さず、友好関係を築く為の行動に出た。


「そうでしたか。それではまずお話を伺う前に、自己紹介致しましょう。今年入学しました、エセリア・ヴァン・シェーグレンです。お見知り置き下さいませ」

「……あんた、公爵令嬢の筈なのに、本当に変わってるな」

 本来ならどう考えても格下の自分から名乗らなければいけないところ、先んじて名乗られた上に完璧な淑女の礼などされてしまった青年は、これ以上非礼な真似はできず、正式な騎士の礼で応じた。


「騎士科上級年のクロード・アゼルと申します。先程は失礼致しました」

「あら、そうするとイズファイン様と同じですか?」

 ここで思わずと言った感じでサビーネが発した言葉に、クロードが顔を上げて訝しげに反応する。


「は? イズファインと知り合いなのか?」

「私の婚約者ですけど?」

 キョトンとして首を傾げたサビーネを見て、クロードと彼の仲間達は揃って安堵の溜め息を吐いた。


「……命拾いしたな」

「ああ、あいつを本気で怒らせたくはない」

「貴族なのに気取らないし、実力もあるいい奴だからな」

「当然ですわ!」

 得意満面でサビーネが胸を張り、それを見た全員が誰からともなく笑い出して空気が和んだところで、徐にエセリアが話を元に戻した。


「取り敢えず、場所を移動しませんか? 込み入ったお話の様ですし」

 それを聞いたクロードが、幾分迷う素振りを見せてから提案する。


「あんたさえ良ければ、これからカフェに行くか?」

「ええ、構いません。皆さんも同行して下さいますか?」

「ええ、勿論です」

「聞かないまま寮に戻っても、気になって何も手につきませんわ」

 エセリア達の話は即座に纏まったが、クロードの仲間はさすがに不安そうな顔になった。


「クロード?」

「取り敢えず話すだけだ。大して期待はしていないさ。だがきちんと向こうから名乗ったのに、無視してトンズラするわけにいかないだろうが」

 他の二人にそう言い聞かせ、率先して歩き出したクロードの背中を、エセリアは少し感心しながら見やった。


(意外に礼儀正しい、というか律儀? でも何だか貴族階級と、根深い対立がありそうね)

 これからどんな話を聞かされる事になるのかと、エセリアは不安半分期待半分で、クロード達の後を追った。

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