(26)応酬

「国政に携わる官吏の中でも、十分な勤続年数を経て両陛下の信頼も厚いアイラさんが、いまだにそんな些細な事に拘っておられるなんて、申し訳ありませんが笑っちゃいますよね」

「些細な事ですって?」

(あの時……。修学場でアイラさんの話を聞いた日に、父さんと母さんにその話をした時。私はアイラさんの才能や努力を全く認めないご家族に憤慨するばかりだったけど、二人とも困った顔をしていたのよね)

 アイラの声に明確な棘を感じたシレイアだったが、事ここに至って冷静に過去の両親との会話を思い出していた。そしてスルスルと、用意していた台詞を紡ぎ出す。


「赤の他人の私から見れば、些細な事にしか思えませんから。単にアイラさんの才能を認められず、またはひがんだ末にご家族が醜態を晒しただけじゃないですか。そんなくだらない人達のくだらない言動に、いつまでも振り回されているなんて、ベテラン官吏としてどうかと思います」

「…………」

(二人に「アイラさんが可哀想過ぎる」と訴えたけど、「ご両親はアイラさんの全否定したわけではないと思うぞ?」とか「娘の行く末を心配した上での言動ではないかしら」とか言い返されて。最後は「お互いに感情的になって、言葉足らずになってしまったのではないかな」とか「ほんの少し視野が狭くて、行き違っただけのような気がするわ」とか宥められて、すごく納得しかねる思いで話が終わったけど)

 シレイアの揶揄するような表情と台詞に、アイラははっきりと顔を強張らせた。カテリーナも二人を交互に眺めながら、顔色を無くす。しかしシレイアの遠慮も配慮も無さすぎる言葉は、更に続いた。


「アイラさんが見事に官吏として独り立ちしても、その活躍が認められないだなんて、なんて低俗で理解力がない人達なんでしょうね。まあ、ご両親もご兄弟も揃って日々の生活に汲々としている庶民ですから、仕方がないと言えばそうでしょうが」

「…………」

(今、改めて冷静に考えてみたら、父さん達の言っていたことが分かる。修学場で給費生になったとしても、クレランス学園に入学できるとは限らない。それにクレランス学園の官吏科に進級できたとしても、官吏登用試験に合格できるとは限らない。さらに男社会の中で官吏として大成できるだなんて、きっと当時のアイラさんのご両親は想像だにできなかったと思うもの)

 絶縁状態であるとはいえ、面と向かって親兄弟をこき下ろされたアイラは、徐々にその顔に怒りの色を浮かべてきた。一気に増してきた不穏な気配に、カテリーナが思わずシレイアの顔色を窺う。しかしシレイアはそれには構わず、感情を削ぎ落とした表情のまま話を続けた。


「でも今回、立派に官吏として出仕している上に、結婚する予定も立ったので、見識の浅いご家族でもけちのつけようがないでしょう。堂々と自慢したら良いんですよ。それでもアイラさんの偉大さが理解できないのなら、鼻で笑って済ませれば良いだけの話です。案外今後の利益を考えて、向こうからすり寄って来るかもしれませんよ?」

「……黙りなさい」

(根っからの庶民で、その価値観しか持ち合わせていない夫婦が、娘が「修学場の給費生になって進学して官吏になりたい」と言い出した時の、驚愕と動揺は察するに余りあるわ。途中で挫折して、手に職も付けず婚期を逃して不幸な人生を送って欲しくないと、ご両親なりの親心だったかもしれないじゃない。……本当に、世間体だけ考えて、闇雲に反対しただけだった可能性も捨てきれないけど。でも、アイラさんと血が繋がっている人達だもの。この際、全く根拠のない、その親心を信じてみたい)

 低い声の恫喝だったが、シレイアは惚けた口調で応じた。


「え? 私、なにか気に障る事を言いましたか?」

「今更家族が、私と交流したいなどと思ってはいないからよ。それは断言できるわ」

(確かにご家族の対応は、酷いものだったかもしれない。でも、今はベテランの官吏として立派に勤めを果たしているアイラさんだから、この機会にご家族に対して卑屈になって背を向けていないで、堂々と胸を張って対峙して欲しい。だから……、すみません、アイラさん! 本心から考えて欲しいので、ここは敢えてきつい事を言わせてもらいます!)

 苦い口調で絞り出すように告げたアイラだったが、シレイアは淡々と言葉を継いだ。


「絶縁したはずのご家族の気持ちが分かるなんて、アイラさんは随分と卓越した能力をお持ちなんですね。それとも……、単に思い込みが激しいだけの、残念な方だったんでしょうか?」

 ここでとうとう、怒気を露わにしてアイラが叫んだ。


「分かったような事を言わないで! さっきからベラベラと、一体何様のつもりなの!?」

「すみませんね! まだ二十年も生きていない、ただの小娘ですよ! ですけどね、他人の心なんて、幾ら年を重ねたって分かる筈がないじゃありませんか! そんな事も分からないんですか!?」

「何ですって!?」

 相手が激昂しているのは分かっていたが、ここで引くわけにいかないシレイアは、殆ど勢いだけで声を張り上げた。

 

「『あなたの事は全て理解できます』なんて真顔でほざくのは、詐欺師か痛すぎる勘違い人間か、自己肯定感が強すぎる傍迷惑な人種ですよ!! アイラさんは、どうして自分はご両親の本当の気持ちが分かっていると断言できるんですか!? そもそもアイラさんが修学場での給費生になるのを反対したのは、ご両親なりの親心だったかもしれないじゃありませんか! 私は小娘だから他人の気持ちが分からないけど、アイラさんは私よりはるかに年を食っているから分かるんですか!? その主張がまかり通るなら、世間には賢人ばかりになりそうなものですが、巷に老害と思しき人物が散見されるのはどういう事なんでしょうね!?」

「……っ!!」

「シレイア!」

 ここでアイラが勢いよく立ち上がり、シレイアに詰め寄った。と同時にカテリーナが中腰になりながら、シレイアの肩を押して彼女とアイラの間に身体を割り込ませる。その結果、アイラの振りかざした右手が、勢いよくカテリーナの左頬を打った。


「カテリーナさん!?」

「大丈夫よ。心配しないで」

「ですが!!」

 自分が殴られるくらいは覚悟していたシレイアだったが、予想外にカテリーナに被害が及んだことで激しく動揺した。そして悲鳴じみた声を上げたが、カテリーナは冷静に彼女を宥める。

 対するアイラも怒りに任せての行為だったことで、ここで漸く我に返った。密かに動揺する彼女に対し、カテリーナは穏やかな口調で語りかける。


「アイラさん。シレイアの非礼はお詫びします。ですが、私も同意見です。この機会に、ご実家の方々に連絡を取ってみませんか? 全く反応がなかったら、それはそれで、今までと変化がなかっただけです。昔は単なる小娘に過ぎなくて将来を危ぶまれた不肖の娘が、官吏として立派に実績を積んで、通常とは異なるにせよ人生の最後は立派な伴侶を得ることになったから安心してくださいと伝えるのに、婚約式は最適の場ではないでしょうか。是非ご検討をお願いします」

「…………」

 最後に軽く頭を下げたカテリーナの申し出を、アイラは眉間にしわを寄せながら聞いた。そして聞き終えると同時に、無言で踵を返して談話室から出て行く。



「あのっ! 庇っていただいて、本当に申し訳ありませんでした!」

 アイラが退出すると同時に、シレイアは勢いよく頭を下げながらカテリーナに謝罪した。しかし当のカテリーナは、笑って応じる。


「大丈夫よ。訓練ではもっと激しくぶつかったりする事もあるし。これでもれっきとした騎士なのよ?」

「いえ、それでも顔が腫れたりとか!? 万が一そんな事になったら、ナジェークさんからの制裁がどんな事になるか!!」

「シレイア」

「はい、なんでしょうか?」

「連帯責任だし、こういう場合は『申し訳ありません』と言わなくても良いのよ? 聡明な貴女なら、なんと言えば良いのか分かると思うけど」

「ええと……」

 まだ動揺していたシレイアだったが、カテリーナから笑顔で告げられた内容を考え込んだ。そしてすぐに結論を出す。


「その……、先ほどは庇っていただいて、ありがとうございました」

「どういたしまして。そしてお疲れ様。言いたいことはきちんと最後まで伝えられたわね」

「はい。アイラさんを怒らせただけに終わってしまうかもしれませんが」

「大丈夫よ。怒るということは、完全に無関係で過去に葬り去っている対象ではないという事だもの。お節介極まりないとも思うけど、やはりこの機会にご家族との関係を考え直して欲しいと私も思ったし。でもアイラさんに面と向かってあそこまで言えるのは、やっぱりシレイアくらいよね。ナジェークもあなたを褒めていたけど、さすがだわ」

「恐縮です」

(くうっ、やっぱりカテリーナさん、格好良過ぎる! 男の人だったら、絶対に好きになってたわ!)

 なんでもなかったように微笑むカテリーナを、シレイアはほれぼれと眺めた。そこで一旦離れて様子を窺っていた者達が、談話室に入って来る。


「二人とも、大丈夫!?」

「さっきアイラさんが、凄い形相で部屋を出て行ったけど」

「え? カテリーナ。頬が少し赤く……、まさかぶたれたの!?」

 周囲が顔色を変える中、カテリーナは落ち着き払って状況を説明した。


「アイラさんを現時点で説得できなかったけど、シレイアがかなり揺さぶってくれたから、取り敢えず少し考えてみてくれると思うの。だから皆、当面これに関しては口外せず、焦らず経過を見守ってくれると嬉しいわ」

「よろしくお願いします」

 真顔のカテリーナからの要請と深く頭を下げたシレイアを見て、他の者達は微妙な顔を見合わせながらも了承する。


「分かったわ」

「二人がそう言うなら」

「他の人達にも、伝えておくわね」

 そこでその場は解散となり、どう考えても褒められない事をしでかしたシレイアは、密かに悶々としながら日々を送ることになった。

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