(13)推測

 サビーネから説明を受けながら書架から《紅の輪舞ロンド》を探し出したシレイアは、室内の一角に設置してあるソファーの一つに座って、早速内容に目を通し始めた。他にも同様に読書中の女性客が何人か存在していたが、年齢層も出で立ちもバラバラであり、その事についてもシレイアは好奇心をそそられる。そんな彼女が無言のまま半分ほどを読み込んだところで、斜め後方から控え目な声がかけられた。


「失礼します。こちらの書庫分店責任者の、ラミア・ワーレスと申します。お嬢様、お楽しみいただいていますか?」

 その声にシレイアは軽く身体を捻り、相手を見上げながら応じる。

「はい。遠慮なく読ませて貰っています。なかなか興味深いです」

「そうでしたか。よろしければ、簡単に感想を聞かせていただけないでしょうか?」

 それにシレイアは少し考え込んでから、正直に思うところを述べた。


「そうですね……。そもそも男性同士で恋愛話が成立するのかと疑問に思っていたのですが、登場人物の葛藤や背徳感、揺らぐ内面の描写が素晴らしく、かつ周囲の人物の関係性にも惹き付けられます。特に主人公の姉が、愛情深い故に憎悪に身を焦がす様子が、人間臭さを如実に現していて引き込まれてしまいました」

 それを聞いたラミアは、感心した様子で頷く。


「お嬢様の年頃の方で、そこまでの感想を口にできる方は珍しいですね。先程サビーネ様から、例の総主教会でのやり取りをお聞きになられた関係者の方とお伺いしましたから、きちんと家庭教師から教育を受けられておられるのですね。さすがです」

「いえ、私は修学場に通っています」

「そうなのですか? 総主教会の皆様には、先日色々とお騒がせして申し訳なく思っております。お身内の方にも、よろしくお伝えください」

 どうやらサビーネから自分のことを総主教会の関係者と聞き、こんな子供にもわざわざ頭を下げに来たらしいと察したシレイアは、慌てて立ち上がりながら言葉を返した。


「とんでもありません。確かに通常ではあり得ない方法でしたが、だからこそエセリア様と共にあなたが提案された貸金業務について、とても感動して瞠目させられました。私が知る範囲でも総主教会内で詳細について前向きに検討していますし、絶対に本決まりになると思います」

「そうですか。それは何よりです」

 それを聞いたラミアは、安堵したように微笑んだ。そこでシレイアは、ふと疑問に思っていたことを思い出す。


「あの……、この機会に、ラミアさんにお尋ねしたいことがあるのですが……」

「はい、なんでしょうか?」

「査問会で都市部と地方の経済格差を語る中で、ご自身が子供の頃に両親を相次いで亡くされた後、兄弟姉妹がバラバラに奉公に出て音信不通になってしまったと仰られていたと思いますが、どうしてそうなったのですか? お互いに手紙をやり取りすればよいかと思いますが」

 シレイアが素朴な疑問を口にすると、ラミアは一瞬驚いたような表情になってから、悲しげに微笑んだ。


「簡単に言うと、手紙をやり取りするという考え自体がなかったからです」

「え?」

「私達兄弟全員、当時読み書きも満足にできない状態でしたので。さすがに自分や家族の名前くらいは書けましたが」

(そういえば……、以前お父さんが言ってたじゃない! 生活に余裕がない家では、読み書きや計算とかも教えられずに子供の頃から働くって!)

 10歳になった就学場の子供達は既に読み書きや計算など問題なくできており、この間すっかり失念していた事を思い出したシレイアは、一気に血の気が引いた。そして勢い良くラミアに向かって頭を下げる。


「あの! 本当にすみません! 大変失礼しました!」

「構いません。お嬢様のような立場の方だと、こういう事情は分からないのは当然です」

 動揺しているシレイアを宥めながら、ラミアは穏やかな口調で話を続けた。


「故郷から少し離れた街の仕立屋に下働きとして雇われたのが、私が12歳の時です。幸いそこの主人夫婦が良い方達で、『追々針仕事も任せるようになるから、その時までに指示書をきちんと読めるようにしておきなさい』と、先輩達や奥様が読み書きを教えてくれました。ご主人は『会計や諸費用の計算もできるようにしておきなさい』と、細かい計算を教えてくれましたし。それを自分の仕事が終わってから、または夜明けと共に起きて水汲みの合間に、砂箱に繰り返し書いて練習したものです」

(12歳だと、今の私と大して変わらない……。そんな頃からたった一人で、知らない人ばかりの中で働きながら暮らしていたなんて……)

 想像もできないその境遇にシレイアが絶句していると、この間彼女の隣に座って二人のやり取りを黙って聞いていたサビーネが、不思議そうに問いを発した。


「ラミアさん、すみません。『砂箱』ってなんですか?」

「深さが浅めの箱に砂を入れて表面をならして、そこに棒で文字や計算を書いて繰り返し練習するものです」

「え? 紙とペンじゃないの?」

 今度はサビーネが絶句し、シレイアは(そんな風に思うのは、私だけではなかったのね)と、内心で少しだけ安心した。


「手紙を送るという発想が元々なかった上、店の人達に聞いてそれを知ったものの、住み込みで働いている使用人に送料が負担できる筈もありません。その後何年も音沙汰なく過ごしたのですが、主人との結婚が決まった時に、店の主人がお祝いとして兄弟達に結婚の知らせを送ってくれることになりました」

「良かったですね! 本当に良いご主人ですわ!」

 そこでサビーネが表情を明るくしたが、ラミアが軽く首を振って話を続ける。


「ところが、既に修行で入った工房を辞めて行方知れずになっていたり、私が聞き覚えていた店が潰れていて、その後の行方が分からなかったり、そもそも聞いていた店が存在しなかったりして、全員と連絡がつかなかったのです」

「そんな!」

「無理もありません。私達兄弟に仕事を斡旋してくれた人はバラバラでしたし、当時は子供でしたからそれぞれの行き先を書き留めておくような知恵もなく、そもそも紙とペンなど家にありません。記憶もすぐに曖昧になってしまいましたから。この商会が軌道に乗ってから、夫がかなりの人手とお金を費やして方々を探してくれましたが、そんな曖昧な記憶だけが頼りでは、干し草の中から針を見つけ出すようなものです」

「…………」

 ラミアは淡々と話を続けたが、サビーネは悲痛な表情になって押し黙った。シレイアもなんと言って良いか分からずその場に重い沈黙が漂ったが、それをラミアの「ふふっ」という小さな笑い声が打ち消す。


「サビーネ様? 別に、そんな顔をなさる必要はありませんよ? 兄弟達は今現在の所在が分からないだけで、全員無事に幸せに生きていますから」

「え? でも……」

「私は、そう確信しています」

「そうですか……」

(分かった。もしかしたらと思っていたけど……)

 声をかけてきた時と同様の穏やかな笑みを浮かべているラミアと、まだ若干困惑しているサビーネを交互に見ながら、シレイアはある考えに思い至った。そして徐に、それを口にする。


「あの……、エセリア様が国教会に睨まれる可能性を考えた上で男恋本を売り出したのは、総主教会上層部と貸金業について直談判するためだと、査問会の時に伺いましたけど……」

「ええ、その通りです」

「ラミアさんがその話に乗って男恋本を売り出したのは、そうすれば国教会から睨まれると思ったからですか?」

「…………」

 シレイアが確信と共に口にした内容を耳にした瞬間、ラミアは笑みを消して真顔になった。しかしそれとは対照的に、サビーネは困惑も露わに尋ねてくる。


「え? シレイア。どうしてわざわざ国教会を敵に回す必要があるの? 商売に差し支えるかもしれないじゃない」

「普通の商売をしているだけでは、間違ってもできないことをするためよ」

「えぇ? 全然意味が分からないんだけど」

(確かに商売に差し障りが出るかもしれない。でもそうすれば、国教会内で絶対噂になるもの。ケラーディン出身のワーレス商会会頭夫人のラミア・ワーレスがとんでもないことをしでかしたって。それこそ全国各地に配置されている数多くの小規模教会全てに、時間はかかるだろうけど確実に伝わるわ)

 そのままシレイアは、ラミアを凝視した。するとラミアは、楽しげな笑みを浮かべながら応じる。


「何か思い違いをされておられるみたいですね? 私としても、わざわざ国教会と揉めるつもりはございませんよ? ただ商売人としての勘が、この本が売れると思っただけのことです」

「そうですか。それだけでしたか……」

(教会はその土地の住民と冠婚葬祭で繋がりがあるし、不特定多数の人が出入りするもの。本当にラミアさんの兄弟が生きていたら、何かの折りにそこで噂を耳にする可能性だってある。確かに可能性は限りなく低いけど、皆無とは言えないわ。そうしたら兄弟の方から、ワーレス商会に名乗り出てくれるかもしれない)

 だがそんな事を一々追及するのは馬鹿げていると考えたシレイアは、余計な事は一切口にしなかった。


「ええ。私は儲けるのが生き甲斐で欲深い、根っからの商人ですから」

「商人の鑑ですね」

「そう言っていただけると嬉しいです」

(ラミアさんは……、きっと何十年も自分の兄弟がどこかで元気に暮らしていると信じて、懸命に商売を続けてきたんだわ。店が大きくなって支店が増えて国内全域に出店ができたら、それだけ商会の名前と共に自分の名前も知られて、兄弟と再会できる可能性が幾らかでも出てくるから。これまで彼女がどんな思いで頑張ってきたのかを考えたら、想像するだけで泣きそう……。でもこの人は、同情して欲しいなんて微塵も思っていないはず。それなら……)

 そこで零れ落ちそうになる涙を気合だけで抑え込みながら、シレイアは今の自分にできる最大限の笑顔を作る。


「ラミアさん。ワーレス商会の、更なる発展をお祈りします。きっと国内全域に支店を出すような、国内随一の商会になれると思います」

「ありがとうございます。今日はゆっくりご覧になってくださいね」

 ラミアも、シレイアの精一杯の気遣いを察したらしく、笑顔で一礼してその場を離れていった。そしてシレイアは軽く息を整えてから、サビーネに向き直った。


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