(12)紫の間への誘い

 査問会を立ち聞きした内容に衝撃を受けたシレイアだったが、元々理解力のある彼女は翌日には平常心を取り戻していた。しかし彼女はこの事で逆に、当初問題とされていた本の内容が気になってしまっていた。


「お父さんの書棚を探しても無かったし、教会関係者には開放している総主教会の一般書架にも、それらしい物は置いてなかったのよね……。あの時、公然とでなければ販売可と言われたけど、やっぱり総主教会内では禁書扱いで、奥の重要管理書庫に収納されているのかしら?」

 この半月ほどの探索結果を思い返しながら、シレイアは寝る前のひと時、自室で考えを巡らせていた。


「責任者のお父さんの立場もあるから、まさか通常閲覧不可の書物を保管している、総主教会の重要管理書庫に無許可で忍び込むわけにもいかないし……。本のタイトルは聞いているから、実際に買いに行くしかないか」

 シレイアはそんな結論を出し、それから数日後の休日にワーレス商会書庫分店に出向いた。

 そこにはこれまでに何回かステラと共に本を買いに出向いており、シレイアは迷わず目指す書棚に向かったが、その日は思惑通りにいかなかった。



「う~ん、マール・ハナーの本はあるけど、あれは置いていないみたい。やっぱり一般販売が差し止められているみたいね。取り置きとかなのかな? 一応店員さんに聞いてみて、置いてないなら仕方がないから他の本を買って帰ろうかしら……」

 マール・ハナーの本が並べてある付近をうろうろしつつ、目線を動かしていたシレイアだったが、少しして諦めながら独り言を漏らした。するとそんな彼女に、至近距離から声がかけられる。


「ねぇ、あなた。ちょっと良いかしら?」

「はい?」

(え? 誰だろう、この子。全然見覚えがないけど。それに着ている物が上質だし、ひょっとして貴族かしら?)

 声のした方を振り返ると、そこには自分と同じ年頃の少女が立っていた。しかし明らかに自分の衣類とは異なる上質な仕立てに加え、そこはかとなく漂う気品に、シレイアは若干怯みながら応じる。すると目の前の少女は、人好きのする笑顔を浮かべながら尋ねてきた。


「少し前からあなたの様子を見ていたのだけど、もしかしたらマール・ハナーの本を探しているのかしら?」

「あ、はい。でもこのお店には置いていないみたいです」

 反射的にシレイアが答えると、少女が不思議そうに問い返してくる。


「あら、ここにマール・ハナーの本を置いていない筈はないわ。因みに、欲しい本のタイトルは?」

「《紅の輪舞》ですけど……」

「やっぱりね。そうだと思ったわ」

 シレイアが探している本の題名を口にした瞬間、相手の両目が底光りし、その笑顔が微妙に不気味なものに変化した。それに気づいたシレイアが、内心でたじろぐ。


(え、ええと……、なんだか急にこの子の目付きが怖くなったような気が……。どうしよう? 店員さんを呼んだ方が良いかしら?)

 若干の恐怖を感じてしまったシレイアは、近くに手の空いた店員がいないかと無意識に視線を左右に動かした。しかし相手がいきなり手を伸ばし、シレイアの手首を掴んで問答無用で歩き出す。


「それならここに置いていないのは当然よ。案内してあげるわ、付いてきて」

「え!? え、ええと、あの!」

(付いていく以前に、引きずられているんだけど!?)

 訳が分からないままシレイアが引きずられて行った先は、会計をするカウンターとは異なる店の奥まった一角だった。するとその少女はシレイアの手首から右手を放し、ポケットから取り出した紫色のハンカチを目の前のカウンターに差し出しながら告げる。


「こんにちは。今日は私の友人を連れてきたの。よろしくね?」

「サビーネ様、いらっしゃいませ」

 すると小さなカウンターの向こう側にいた女性とその少女は顔見知りだったらしく、笑顔で頷きながら移動した。そしてカウンター斜め後方にある扉を開ける。


「どうぞ、お友達もごゆっくりお過ごしください。歓迎いたします」

「ありがとう。さあ、行くわよ」

「ど、どうも……」

(何? こんな店の奥に進んで良いの?)

 再び少女に手首を掴まれたシレイアは、勢いに負けてそのまま引きずられてドアの向こうに足を進めた。そして少女が更に廊下の突き当たりのドアを開け、かなりの広さがある室内に入った瞬間、シレイアを振り返って高らかに宣言する。


「さあ、あなた! ここがワーレス商会書庫分店、男恋本展示即売の間、通称“紫の間″よ! 存分に堪能して頂戴!」

「………………はい?」

 言われた意味が全く分からなかったシレイアが唖然としていると、相手が漸く思い出したように名乗ってくる。


「あ、すっかり自己紹介を忘れていたわね。私はサビーネ・ヴァン・リールよ。あなたは?」

「あ……、私はシレイア・カルバムです。よろしくお願いします」

 ヴァンが付くなら、やっぱり貴族のお嬢様だったかと思いながら、シレイアも慌てて名前を告げた。するとサビーネは上機嫌に、マイペースで話を進める。


「こちらこそよろしく。あなたの事はシレイアと呼ぶわね。私の事はサビーネと呼んで頂戴」

「え? そんな貴族のお嬢様を呼び捨てにするわけには……」

「それじゃあ、シレイア。ここの書架の説明を一通りしてから、私が一押しのお薦め本を紹介するわ!」

「あ、あの……」

(ちょっと待って! 何が何やら、全然訳が分からないんだけど! 私の話も聞いて!?)

 シレイアの困惑など全く意に介さないサビーネは、笑顔のまま解説を始めた。


「《紅の輪舞》を探していたなら、これが分類される男性同士恋愛本、略して男恋本だとは知っているわよね?」

「はい」

「実は、この男恋本は国教会の教義に反するから、半月ほど前から総主教会の指示で公に販売できなくなったのよ」

「それは知っています。私、査問会の内容を立ち聞きしたので」

 シレイアは素直に頷いたが、それにサビーネは劇的に反応した。


「査問会の内容を聞いていた!? なんて羨ましい!! エセリア様が理路整然と総主教会の上層部を言い負かし言いくるめ言いなりにした奇跡の舞台を、その場で目の当たりにしただなんて!?」

「え、ええと……。窓から室内を覗き込めなくて、本当に話の流れを聞いていただけなんだけど……。お姿を見たのは、最後に正面玄関からお帰りになるところをチラッと目にしただけだし……」

「それでもよ! それに、それであなたが《紅の輪舞》に興味を持ってくれたんでしょう? もうこれは偶然ではなくて、必然で運命ね!!」

「はぁ……」

 嬉々として食いついてきたサビーネに、シレイアは本音を言えば回れ右をして逃げ出したかったが、貴族相手に失礼な事をしたら後が面倒かもしれないと考え、なんとか踏み止まった。


「ごめんなさい。話が逸れたわね。それで不特定多数の人に公に男恋本を販売できないなら、一部の特別な人達に対して希少性と秘匿性を売りにして販売すればよいと、ワーレス商会書庫分店責任者のラミアさんが判断されたの」

「なるほど……、限定販売の欠点を利点に変えたのね。普通に買えない事で選民意識をくすぐり、購買意欲を高めるわけか……」

 素早く理解したシレイアが感心した風情で頷くと、サビーネの笑みが深まる。


「まさにその通り! それでラミアさんは査問会の翌日から店舗の改装を始めて、三日でこの部屋を整えて、紫の間をオープンさせたのよ。だから、まだ開設して十日も経っていないわ。この期間に来られて、運が良かったわね」

「三日……、凄いわね。それにしても、どうして運が良いの?」

「ここに入室するには紫の間愛好会、いわゆる《紫蘭会》に入会して会員になるか、会員に同伴されるしかないのだけど、まだ会員数が30人になっていないの。今入会すれば、堂々の初期会員よ!」

「あぁ……、そういうこと」

 正直、それのどこが良いのだろうと思ったものの、シレイアは正直にそれを口に出したりはしなかった。


「それで、あそこの一角にはソファーが置いてあるでしょう? あそこに座って、室内にある本を読んで構わないの」

 そんな予想外の事を聞かされたシレイアは、驚きで目を丸くした。


「え? ここの本は売り物じゃないの!?」

「勿論、全部売り物よ。だから、ここは普通の場所とは違うのよ。じっくり作品に触れて貰って、納得のいく本を探して購入して貰うのを売りにしているんだから」

「じゃあ……、丸々一冊読み終わって、もういいと言って本棚に戻して買わずに帰ったら?」

「購入代金なんて払わなくて構わないわよ。勿論、入室料とかも貰わないわよ?」

 サラリと断言されたシレイアは、もの凄く疑わしそうな顔になって尋ねた。


「それじゃあ商売にならないんじゃない?」

「さぁ……、それはどうかしら? ラミアさんの商売人としての勘は、なかなかのものよ? 読まずに買わずにいられない作品を厳選すると思うわ」

「本当にそうなら……、ちょっと怖いんだけど」

「シレイアって正直ね! 私もちょっと怖いわ!」

 そこで顔を見合わせた二人は、どちらからともなく楽しげに笑い声を上げた。

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