(14)察せるものと察せないもの

「皆、集まっているな。通常業務の内容ではないが、聞いてくれ」

 シレイアが献策書の写しを民政局に持ち込んで、ひと月ほど経過した頃。ベタニスは自分の机の前に部下達を集め、真剣な面持ちで口を開いた。


「先日、アズール伯爵、シェーグレン公爵連名で、王家に対して献策書が提出された。今後数年のうちに、アズール伯爵領に実学に関する学術院が開設される予定だ。それに対して、両陛下からの金銭的援助も行われることになる」

 それはその場全員が推察していた内容であり、特に驚きを見せずに上司の話に耳を傾ける。


「だがそれは両陛下の個人的な資金の中からという位置づけで、国家予算から大規模な補助を出すという事ではない。あくまでも運営はアズール伯爵と、その傘下の者達が執り行い、王家としては多大な影響力は行使しない姿勢だ」

 ここでベタニスは、本題を切り出す。


「それでも学術院の思想にいたく心を動かされた両陛下は、今後の金銭的援助以外の全面的な後援をお約束された。それに伴い今後は国内外の情報収集などで、アズール伯爵、及び王太子筆頭補佐官殿と連携をとっていく事になるだろう。さらに学術院開設の折には王宮との連携強化の面でも、官吏が派遣される可能性もある。皆の頭の中に入れておいてくれ」

(やっぱりそうなるわよね!? どこまで業務の範囲が広がるか分からない、可能性があり過ぎる新規事業! 開設の暁には、絶対派遣されたい! ナジェーク様が仰ったように、それまでにしっかり実績を積んでおかないとね!)

 予想通りの展開に、シレイアは密かに胸躍らせた。しかし彼女の心境とは裏腹に、僅かに不満や心外そうな表情になった者がそれなりの人数で存在していた。


「これから有益な技術や知識の情報、各地域での困難事項の解決策案の吸い上げなど、学術院の運用に向けて有効な情報があれば、副局長がそれらの情報を統括していくので遺漏なく報告するように。以上だ」

 さり気なく部下達の顔を見回しつつ彼らの反応を確認したベタニスは、話を終わらせると無言で椅子に座る。部下達はそれぞれ自分の籍に戻っていたが、小声で悪態を吐く者達がいた。


「はぁ……、本気かよ。婚約破棄されたんだったら、大人しく屋敷に引っ込んでろって」

「まったくだよな。結婚しなくても、一生楽に暮らせるご身分だってのに。周りに迷惑をかけるなよ」

「口のききかたに気を付けろ。王妃陛下の姪なんだぞ?」

「だけどな。せっかく官吏になったのに、僻地に飛ばされるなんて冗談じゃないぞ」

「そうそう。好き好んで得体の知れない学術院なんかに、誰が行くかって」

「第一、そんな所に行ったら出世できなくなるだろうが」

「率先して、好き好んで行きたがる奴がいるみたいだが?」

「女で官吏になった時点で、既にまともな人間じゃないだろ」

「それはそうかもな」

 そこで献策書の写しを持ち込んだシレイアが元凶とばかりに、彼らは忌々しげな視線をシレイアに向けた。対するシレイアも、少し前から不満げな空気を醸し出していた彼らを視界の隅に留めており、険悪な視線も素知らぬ顔で受け流す。


(あの辺り、なんとなく何を言っているのか分かるけど、別に腹立たしくはないわね。エセリア様の崇高な理念と深謀遠慮を理解できないなんて、なんて残念で可哀そうな人達かしら。競争率を上げたくはないし、派遣を希望しないならそれはそれでこっちにとっては都合が良いわ)

 職場内で多少居心地の悪い思いをするとしても、それがどうした程度には開き直っていたシレイアは、自分の目標に向かって邁進することを改めて自分自身に誓ったのだった。





「と、まあ、昨日そんな事があってね。将来の展望が開けない、視界が狭い人間って本当に可哀そうだわと思ったわけ」

 民政局内で、微妙な話題が出た翌日。偶々休暇が一緒だったシレイアとローダスは、共に街に出かける約束をしていた。買い物の合間にカフェに向かいながらの道すがら、四方山話の中でシレイアが前日の話題を出すと、ローダスも頷いて応じる。


「外務局の方でも、話題に上がっていたな。局長が、外国からの文献収集や情報収集で、今後協力する可能性に言及されていた」

「確かにそうよね。外交局でも関係事項はあるわ」

「それでだな、シレイア。この際、ちょっと聞いてみたい事がある」

「え? 改まって何?」

 常にはない真剣な表情での言葉に、シレイアは何事かと反射的に足を止めた。しかしローダスは、何故か僅かに動揺しながら目の前のカフェの出入り口を指さす。


「ええと、その……。あ、ちょうどカフェに着いたし、後はお茶を飲みながらでも」

「それは勿論構わないけど……。あら、レスター? こんな所で奇遇ね」

 今まさにカフェに入ろうと扉に手をかけた人物の横顔を見て、シレイアは反射的に声をかけた。対するレスターも、驚いた様子で振り返る。


「え? シレイアにローダス? 本当に偶然だな」

「例の同窓会以来だな。お前も休暇か?」

「いや、任されている任務が、今佳境に入っていて。仕事の合間に一息入れようかと思っていたところだ」

 苦笑いで応じたレスターに、シレイアは同情する視線を向けた。


「そうなの、大変ね。シェーグレン公爵家の仕事っていうと、まさかアズール学術院関連で?」

「いや、あれはさすがに構想が出たばかりだからな。別件だ」

「それはそうよね。勘違いしちゃったわ」

「ところでレスター。最近シレイアが、ナジェーク様からあの三人の近況を聞いたらしいが、お前も知っているか?」

 ローダスの問いかけに、彼らの推薦と雇用に大きく関わっていたレスターは、笑顔で安心させるように告げてくる。


「ああ。屋敷内で直に話す機会もあるからな。皆、頑張っているぞ。早々にアズール伯爵領への派遣候補者になって、最近益々意気軒高な様子だった」

「そうか。それは何よりだ」

「やっぱり三人とも、あの現状維持のみで満足している向上心や展望を持たない輩とは違うわよね! 私も頑張るわよ!!」

 かつての同級生が、自分と同様の価値観を持っていると分かり、シレイアは満足しきった笑みを浮かべた。そんなシレイアと無表情になったローダスを交互に眺めてから、レスターが控え目に問いを発する。


「ええと……、学術院設立の折には、国から官吏も派遣される見通しらしいが、シレイアは希望しているんだ」

「当然でしょう?」

「その……、学術院に派遣されるってことは、王都を離れてアズール伯爵領に出向くことになるんだが……」

「それはそうでしょうね」

「勿論、短期間の派遣とかではなくて、長期間、数年単位の話だと思うんだが……」

「レスター。何を当たり前のことを、さっきからゴチャゴチャ言っているわけ?」

「ああ、うん……。分かっているなら良いんだ……。すまん」

 不審そうな顔つきになったシレイアに、レスターは物言いたげな表情になりながら謝罪の言葉を口にした。そしてローダスに歩み寄り、軽く肩を叩きながら囁く。


「……ローダス」

「何だよ?」

「まあ……、頑張れ」

「余計なお世話だ」

 ローダスは憮然としながら応じたが、ここでシレイアが予想外の台詞を口にした。


「レスター、せっかくだから一緒にお茶を飲んでいかない? 積もる話もあるし」

「…………」

 せっかくだからもう少し三人の詳しい話が聞きたいと、シレイアは笑顔で提案した。しかしローダスの眉間に僅かに皺が寄ったのを認めたレスターは、慌てて断りの台詞を口にしながら駆け出す。


「え!? あ、いや、悪い! 急用を思い出した! ナジェーク様から、今日中に済ませておくように言い使った仕事が! それじゃあ二人とも、また今度!」

「え? レスター?」

 あっという間に街路を駆け去ったレスターを、シレイアは半ば呆然としながら見送った。


「凄い勢いで消えて行ったわね……。そんなに仕事を任せて貰えているなんて、レスターも頑張っているのね」

「少なくても、あいつが空気を読めるようになったのは分かった」

「何を言っているのよ? さあ、お店に入るわよ」

 ローダスの淡々とした台詞に首を傾げつつ、シレイアは彼を促してカフェに入店したのだった。




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